2021-05-01から1ヶ月間の記事一覧

自帰依 法帰依

高原 (126.66.155.7) 2021-05-31 01:07:18 ショーシャンクさん、こんばんは。 「五薀を仮合させる潜在的形成力=行=業力があり、五薀を集めている」とショーシャンクさんの言われた、同じ意味のことを佐々木閑先生もおっしゃっていて、釈迦の一番言いたかった…

無我と輪廻

原始仏典を見ると、歴史上の仏陀は、繰り返し繰り返し、死後の世界と輪廻転生について言及しています。 しかし、ほとんどの仏教学者は、死後の世界も輪廻転生も否定しています。 それは、仏教は無我を説いたという観念があって、霊魂などという実体のあるも…

ナパーム弾は誰が作った

別のブログで書いた話ですが、昔、アメリカ人の本だったと思いますが、自分の精神放浪の記録のような内容でしたが、その中で、おりしもベトナム戦争の時代、ある講演会にふらっと立ち寄ってみると、講師が、『すべては心が作っている』という講演をしていた…

中部経典『大マールキヤ経』

さて、中部経典第63『小マールキヤ経』まで書きましたが、中部経典だけで152経ありますし、この速度であれば、いつまで経っても原稿が書けません。原稿のための備忘録として書いていますので、これから先は、もっと要点のみで大急ぎで中部経典を終えた…

中部経典『小マールキヤ経』

中部経典の第63は、『小マールキヤ経』です。 有名な『毒矢の喩え』が出てきます。 マールキヤ尊者の心に、次のような考えが生じます。 いくら聞いても仏陀が回答せず、捨て置かれている問いがあり、どうしてもその回答を得たい、回答が得られなければ還俗…

中部経典『大ラーフラ教誡経』

中部経典の第62は、『大ラーフラ教誡経』です。 【出入息の念】が、ラーフラにたいし説かれます。 まず、仏陀は、ラーフラに対し、 『すべての色は、〈これは私のものではない、これは私ではない、これは私の我ではない〉と、このように如実に、正しく、慧…

中部経典『アンバラッティカ・ラーフラ教誡経』

中部経典の第61は、『アンバラッティカ・ラーフラ教誡経』です。 仏陀が、ラーフラに説いた教えです。 ラーフラは、仏陀の実子です。 密行第一と言われている弟子です。 まずは、わずかな水が入った容器を指し示します。 『故意の嘘に対して恥のない者の沙…

中部経典『無碍経』

中部経典の第60は、『無碍経』です。 釈尊は、サーラーという村のバラモン資産家たちに、 『あなたたちが、好ましい師を得ていないのであれば、この無碍の法を受け取り行なうべきです。』 こう言ってから、様々な見解に対して、賢明な人はその見解を持つこ…

十二縁起の『行』『識』『有』

ひだ (114.172.204.146) 2021-05-17 19:54:13 ありがとうございます。 ここ最近自分なりに十二縁起について考えてきたことが、この記事で裏打ちされたような気がして嬉しくなりました。 各支の中で、「行」「識」「有」が個人的には難しいと感じているのです…

輪廻がないという仏教者は

現代の仏教では、仏教学者の中でも、輪廻転生がないという人は非常に多いです。 特に今の日本においては、輪廻がないという仏教者の方が圧倒的でしょう。 なぜかといえば、科学的に証明されてないからです。 死後の世界もそうです。 しかし、ここにきてはっ…

中部経典『多受経』

中部経典の第59は、『多受経』です。 この経典は、仏陀の教説について弟子たちの間で口論になったときの法話です。 弟子のウダーイー尊者は 『世尊は、楽受と苦受と非苦非楽受の三受を説かれた』と主張します。 大工の棟梁のパンチャカンガは 『世尊は、楽…

長者窮子

『では大乗の修行によって悟った者がどれほどいるか、というと疑問ですね。宮元啓一氏が「大乗仏教の徒で、自他ともに仏となった、涅槃に入ったと認める人が、長い歴史のなかではたして登場したであろうか。答えは、まったく否なのである」と喝破している通…

中部経典【アバヤ王子経】

中部経典の第58は、【アバヤ王子経】です。 この経典でも、ジャイナ教の開祖マハーヴィーラ(ニガンタ・ナータプッタ)が出てきます。この経典でも、人に、釈尊を論破させようとします。 マハーヴィーラ(ニガンタ・ナータプッタ)は、アバヤ王子にこう言…

中部経典『犬行者経』

中部経典の第57は、『犬行者経』です。 犬行者とはまた聞き慣れない言葉ですが、犬の動作そのままを行ない、地に落ちている食べ物を食べるという『犬の行』をする者のことらしいです。 いかにもインドならではです。 そんなことをして何の意味があるのかわ…

中部経典『ウパーリ経』

中部経典の第56は、『ウパーリ経』です。 これは大変興味深い経典です。最重要なことも説かれています。 興味深いのは、ジャイナ教の教祖マハーヴィーラ、つまりニガンタ・ナータプッタと釈尊との対決の話だからです。 最重要なのは、業の中で、心の想い、…

中部経典『ジーヴァカ経』

中部経典の第55は、『ジーヴァカ経』です。 ジーヴァカという人が、つぎのように釈尊に尋ねます。 『ゴータマは、自分のために用意された肉を食べている』と言っている人がいます、と。 釈尊はこれに答えてこう言います。 (自分のために殺されたと)見ら…

中部経典『ポータリヤ経』

中部経典の第54は、『ポータリヤ経』です。 自分の仕事や財産をすべて息子たちに譲った資産家ポータリヤと釈尊の対話です。 ポータリヤは釈尊が 『資産家よ。』と呼びかけるのを不快に思います。 すべての地位や財産を息子に譲って最小限の衣食で暮らして…

中部経典『有学経』

中部経典の第53は、『有学経』です。 釈尊が、釈迦国のカピラヴァットゥに近い、二グローダ僧院に住んでいたときのことです。 カピラヴァットゥの釈迦族のために新しい会堂が建てられたのですが、その会堂を最初に使ってほしいと釈尊に依頼が来ました。 高…

中部経典『アッタカ市人経』

中部経典の第52は、『アッタカ市人経』です。 アッタカ市の資産家ダサマが、アーナンダに質問します。 『釈尊は、解脱していない心が解脱し、滅尽していないもろもろの煩悩が滅尽するに至り、到達していない無常の無碍安穏に到達するという、一法を説いて…

中部経典『カンダラカ経』

中部経典の第51は、『カンダラカ経』です。 カンダラカとは遍歴行者の名前です。 カンダラカという遍歴行者と象使いの子ペッサが、釈尊のもとに行って教えを聞きます。 釈尊は、ここの比丘には、阿羅漢であり解脱しているものがいて、それは四念処に心を定…

中部経典『降魔経』

中部経典の第50は、『降魔経』です。 この経典もわかりづらい内容です。 神通第一の弟子マハーモッガッラーナ(大目連)に悪魔が憑いて悩ませているという内容です。 過去七仏の第4のカクサンダ世尊のときの話をします。 そのときも、その悪魔は、バラモ…

仏陀の筏

原始仏典と大乗仏教を調べていくと、今こそ、歴史上の仏陀が残してくれた筏を甦らせないといけないという気持ちが強くなってきます。 原始仏典に何度も繰り返し出てくるものが仏陀の教えにとって極めて重要な法だということは間違いありません。 重要な理法…

中部経典『梵天招待経』

中部経典の第49は、『梵天招待経』です。 バカ梵天という梵天が、常見という悪しき見解を持ってしまったことから、仏陀が神通力を現しながら法を説くという経典です。 しかし、今のところ、核心となるものが私にはわかりにくい感じです。 仏陀が身体を消す…

中部経典『コーサンビヤ経』

中部経典の第48は、『コーサンビヤ経』です。 コーサンビーという町で説かれた説法です。 不和になって口論していたコーサンビーの比丘たちに説いたものです。 憶念すべきもの、敬愛を生むもの、尊重を生むもの、愛護のため、口論のないため、和合のため、…

中部経典『観察経』

中部経典の第47は、『観察経』です。 本当に覚者であるのか違うのか見極める観察法を説いています。 〈眼と耳によって識られる汚れの法が如来には存在しない〉 ⇩ 〈眼と耳によって識られる混合の法が如来には存在しない〉 ⇩ 〈眼と耳によって識られる清ま…

中部経典『大受法経』

中部経典の第46は、『大受法経』です。 前編の『小受法経』と同じく、 次の、四つの法の引き受けについての説法です。 1、現在に楽があり、未来に苦果がある 2、現在に苦があり、未来に苦果がある 3、現在に苦があり、未来に楽果がある 4、現在に楽が…

中部経典『小受法経』

中部経典の第45は、『小受法経』です。 四つの法の引き受けについての説法です。 1、現在に楽があり、未来に苦果がある 2、現在に苦があり、未来に苦果がある 3、現在に苦があり、未来に楽果がある 4、現在に楽があり、未来に楽果がある 1の『現在に…

中部経典『小有明経』

中部経典の第44は、『小有明経』です。 信者の問いにダンマディンナーという比丘尼が答えたものです。 『〈自身〉とは何でしょうか。』 『〈自身〉とは、色・受・想・行・識の五取蘊です。』 『〈自身の生起〉とは何でしょうか。』 『再生を起こし、歓び貪…

長部経典『大因縁経』

今回は、長部経典の『大因縁経』を取り上げます。 次回からはまた、中部経典に戻りますが。 『大因縁経』は『縁起』の意味を知る上で欠かせない経典です。 『縁起』は仏教の根幹と見られていますが、今の仏教で言う『縁起』と歴史上の仏陀が説いた『縁起』と…

中部経典『大有明経』

中部経典の第43は、『大有明経』です。 これは、サーリプッタの説法なのですが、解脱について詳しく説かれていて、非常に重要な経典だと思います。 ある比丘がサーリプッタに『無慧者』の意味を聞きます。 『これは苦である』と知らない。 『これは苦の生…