中部経典の第58は、【アバヤ王子経】です。
この経典でも、ジャイナ教の開祖マハーヴィーラ(ニガンタ・ナータプッタ)が出てきます。この経典でも、人に、釈尊を論破させようとします。
マハーヴィーラ(ニガンタ・ナータプッタ)は、アバヤ王子にこう言います。
『ゴータマのところに行って、ゴータマを論破するのです。そうすればあなたに素晴らしい名声が起こるはずです。』と。
この言葉からも、インドでは、議論し論破すれば、大いなる誇り、称賛を得ることができるのだとわかります。
マハーヴィーラの策はこうです。
釈尊に対し
『如来は他の者たちに好ましくない、不快な言葉を語ることがあり得ましょうか。』と質問して、
『あります』と答えたら、『それなら凡夫と変わらない』と糾弾します。
『ない』と答えたら
『あなたはデーヴァダッタのことを〈デーヴァダッタは悪処者である。地獄者である。劫住者である。不治者である。〉と授記されましたが、その言葉によってデーヴァダッタはあなたに怒り不快になったのではないですか?』
と言えば、論破することができる、ということです。
そして、アバヤ王子はその通りに、釈尊に質問しました。
『如来は他の者たちに好ましくない、不快な言葉を語ることがあり得ましょうか。』
釈尊は、
『この場合、一方的ではありません。』
これを聞いて、アバヤ王子は
『ニガンタ(ジャイナ教徒)たちは、破られました。』と言い、
マハーヴィーラから授けられた策を打ち明けました。
そこで釈尊は言います。
『幼子がそなたか乳母の不注意によって棒きれか小石を口の中に入れたらどう処置しますか?』
『私ならば取り出します。左手で頭をつかみ、右手で指を曲げ、血が出ようとも取り出します。幼子に対する憐れみがあるからです。』
『如来も、その言葉が真実でなく利益を伴わないものと知り、他のものに不快なものである場合、その言葉を語ることはありません。
その言葉が真実であり利益を伴わないものと知り、他のものに不快なものである場合もその言葉を語ることはありません。
しかし、その言葉が真実であり利益を伴うものと知り、他のものに不快なものである場合、その言葉を説き明かす時を知ります。
その言葉が真実でなく利益を伴わないものと知り、他のものに快いものである場合、その言葉を語ることはありません。
その言葉が真実であり利益を伴わないものと知り、他のものに快いものである場合も、その言葉を語ることはありません。
しかし、その言葉が真実であり利益を伴うものと知り、他のものに快いものである場合、その言葉を説き明かす時を知ります。
それはなぜか、王子よ、如来には生けるものたちに対する憐れみがあるからです。』
アバヤ王子はまた聞きます。
『世尊の心には、あらかじめ『このような問いがあればこのように回答しよう』という考えが生じているのでしょうか。それとも、直ちにそのことが現われるのでしょうか。』
釈尊は答えます。
『王子は、車の大小の部分について巧みですね。もし、誰かが王子に近づいて車の大小の部分について質問した場合、あらかじめこういう問いにはこう答えようと決めていますか、それとも直ちに現われるのでしょうか。』
『直ちにです。』
『まさにそのように、如来には法の要素がよく洞察されているので、そのことが直ちに現われます。』