仏伝だけでは、スジャーターは、仏陀が苦行を止めようと決意したときに、1回乳粥を差し上げただけの人のように受け取られます。
しかし、スジャーターの村の伝承を見ると、スジャーターは仏陀の成道において(ということは仏教全体において)極めて重要な役割をしたことがわかります。
ぐったりとしている仏陀を見て、スジャーターは乳粥を差し出します。
しかし、仏陀はかたくなに食べようとしません。
つまり、この時には、仏陀は苦行=断食を止めようと決意してなかったということです。
しかし、スジャーターは乳粥を食べるように何度も勧めます。
というのも、スジャーターは結婚してましたが、子供がまだだったため、毎日神様に子供が授かるように祈っていて、『祭りの日に倒れている沙門にお布施しなさい』という神様からのお告げをいただいていたのです。
お告げの人だと思ったのでしょう。どうにかして食べてもらおうとします。
そして、こう言います。
『沙門様、歌にもこうあります。「琴は弦が張り過ぎてもいい音は出ない。弦が緩み過ぎてもいい音がでない。張りすぎず緩み過ぎずがちょうどいい」と。沙門様、修行も張りすぎてはいけません』
仏陀は、この言葉にハッとしたのでしょう。
この言葉により、仏陀は苦行をやめる決意をします。
そして、乳粥を食べます。
極限までの断食行をし続けてきたのですから、一杯の乳粥で回復することはなく、それから何日もスジャーターは仏陀に乳粥を供養します。
それを見ていた5人の修行仲間は、仏陀が挫折し堕落したものと見なして離れていきます。
元気を取り戻した仏陀は、極限まで苦行をして悟れなかったのだから苦行では悟れないと考えます。
そして、ふと、在家の時のワンシーンが思い浮かびます。
王である父の祭典の日、一人離れて木陰で瞑想をしていたときのことです。
初禅と言われる瞑想ですが、仏陀にはこれが解脱への道だという確信が沸いてきます。
そして、スジャーターの村を離れて、ある村の菩提樹の下に座ります。
悟りを開くまでそこから動かないと決意します。
スジャーターの村を離れたのは、再び瞑想に没頭するためです。
スジャーターはそこまで食事を持っていきますが、仏陀はもう食べようとはしません。
心配になったスジャーターは、数人の子供たちに、仏陀が倒れるようなことがないか見張らせます。
しばらくして、仏陀は悟りを開きます。
悟りを開いた瞬間、子供たちにもわかるくらい光輝に溢れます。
子供の一人が叫びます。
『まるで悟りを開いたブッダみたいだ』と。
ブッダとは目覚めた人という意味で一般的な言葉だったのです。
この子供の言葉から、仏陀自身も自らをブッダと名乗るようになります。
子供たちはスジャーターに報告します。
スジャーターは再び、仏陀に食事の供養を始めます。
そうやって、半年間、仏陀は自らの法をどう説くか、熟考します。
そして、完成したあと、5人の修行仲間がいるバーラーナシーに法を説くために向かいます。
これを見ると、仏陀の人生に決定的な転機をもたらせたのは、スジャーターだったと考えられます。
スジャーターの説得によって、仏陀は苦行が弦を張りすぎているような、極端な道で解脱には向かわないことを知り苦行を止めて中道に向かう決心をしたのです。
仏陀は入滅の時も、スジャーターの供養について言及します。