中部経典の第47は、『観察経』です。
本当に覚者であるのか違うのか見極める観察法を説いています。
〈眼と耳によって識られる汚れの法が如来には存在しない〉
⇩
〈眼と耳によって識られる混合の法が如来には存在しない〉
⇩
〈眼と耳によって識られる清まりの法が如来には存在する〉
⇩
〈この善法に長い間入っている〉
⇩
〈この尊者はよく知られ名声を得ている比丘である。しかし、かれはここに何ら危難がない〉
⇩
〈畏れがなく静まっている。畏れがあって静まっているのではない。貪りが尽きていることによって貪りを離れていることから、欲に従うことがない〉