2019-01-01から1年間の記事一覧

天上天下唯我独尊

私は、『天上天下唯我独尊』の伝説は、仏陀が成道してから初めて遇ったウパカに対して答えたときの偈から来ていると思っています。【われは一切勝者、一切知者である。一切の法のために縛せられず、すべてを捨てて、渇愛尽きて解脱した。みずから覚りて誰を…

縁起

仏陀の説いた縁起とは、苦の縁って起こる原因のことです。これあればかれがあり、これが生じればかれが生じこれがなければかれなく、これが滅すればかれが滅す この四つの定理を使って、苦の原因を究明していきました。苦の消滅を目指して出家した仏陀は、こ…

十無記

>質問の主旨からはずれますが、私はこの「無常・苦・非我」が真理として観るべきものであるかどうか疑問に思っています。もし真理ならなぜ十無記の中に「“世界が無常である”とは、わたくしの記説しなかったことである。」が入っているのか?マールキヤプッ…

集諦

>ところで、お伺いしますが、四諦の集諦には三種の渇愛の集まるさま(ようす)が説かれ、滅諦には三種の渇愛の滅するさま(ようす)が説かれています。この渇愛(煩悩)と無常・苦・非我はどのように関係づけられているとお考えでしょうか。よろしければご…

八正道

相応部経典45.1『無明』にこうあります。 比丘たちよ、無明がまずあって無明に従う無智者によって邪見が生じる。邪見によって邪思が生じる。邪思によって邪語が生じる。邪語によって邪業が生じる。邪業によって邪命が生じる。邪命によって邪精進が生じる…

四念処

『涅槃へ至る一乗道』と歴史上の仏陀が言った四念処について、今の時点での私の解釈を書きます。あくまでも私独自の解釈ですので、全く間違っている可能性も高いですが、今思っているところまで書いておきます。私は、四念処観とは、身・受・心・法において…

三十七菩提分法

Yahoo掲示板『仏教についてのひとりごと』で、ある人からどのような瞑想をしているかを聞かれたのですが、その答えが次の文でした。 四念処・四正勤・四神足・五根・五力・七覚支・八正道の七科三十七菩提分法は重なっている項目が非常に多いですね。 特に、…

仏教の全肯定へ

今まで仏陀が説いたとされる原始仏典から歴史上の仏陀が本当に言いたかったのは何かを探求してきました。 その過程の中で、どうしても大乗仏典を軽視するようになっていきました。 これは、原始仏典を研究する人にはよくあることです。 逆に言えば大乗仏教一…

思考が思考者を作った

id:kougenn 2019-08-11 23:59:15 ターボーさんの返信を待っていたのですが。 「自分とは何か」の、ショーシャンクさんの「存在基盤と思い込んでいる記憶の束が抜け落ちたときに開ける無限の空間」という答えは、ぼくの言いたかった答えとほぼ同じ答えでした。…

私のブログ一覧

『人生についてのひとりごと』 https://shawshank-blog.hatenablog.jp/ 『今まで絶対に書けなかったこと』 https://shawshank-blog.hatenadiary.jp/ 『株についてのひとりごと』 https://shawshank-blog.hatenadiary.com/ 『法律についてのひとりごと』 http…

中部経典『布喩経』

中部経典『布喩経』には、歴史上の仏陀の教説を理解するために非常に重要な鍵が多くあるように思えます。 特に、三宝や五根・五力、七覚支、そして四無量心の関係が解読できるので、本当に貴重な経だと思います。 五根・五力は 信⇒精進⇒念⇒定⇒慧 です。 いわ…

現実遊離が悟り?

あるブログにこういう文章がありました。禅やノンデュアリティに関して書いてありましたので挙げてみます。 ✳✳✳✳✳ 今流行のノンデュアリティ(非二元論)。 らくちんこ道♡じゅんころさんや溝口あゆかさんなどのお話を聞いていると、全ての事象が「起こること…

『底が抜ける』

id:kougenn 2019-08-01 00:54:03 出版は難行だとは思いますが、ぜひとも成し遂げてください。 こないだのターボーさんの話で、もうひとつ話しておきたいと思う話があって、大事な話なのでショーシャンクさんも一緒に考えてみてもらえませんか? 以前、ターボ…

仏陀の真意

大乗仏教に長年親しんできた私が、いったん仏教なるものの常識をすべて白紙にして、最古層のパーリ語仏典から『歴史上の仏陀は本当は何を言いたかったのか』だけを突き詰めてきました。 積もりに積もった仏教の知識、常識を捨てることは抵抗もありましたが、…

たーぼーさんの投稿

ターボー (126.193.83.95) 2019-07-20 21:07:10 高原さんこんばんは。 >禅僧の人が座禅をしていると「周りの景色が次第に消えて、何もない空間に自分一人が宙に浮かんでいる」という言い方をされていて、禅というのは「自分が消えるのではなくて自分があるん…

『捨』の発見

相応部経典第3篇「四つの専念の確立」に関する集成第1章第10節にこうありました。 『四つの専念の確立(四念処)に心をつなぎとめている者には、前後の広大な階梯についての知識が期待される。』として 『身体において、身体を観察しているが、対象とし…

自己こそ自分の主

ターボー (126.182.13.4) 2019-07-17 16:39:25 高原さんこんにちは。 私も葉隠は大好きでよく読んでいましたよ。 武士道とは死ぬことと見つけたりという言葉も自分なりに分かっているつもりです。 ただカルマを切る為には、カルマを全て消化しきらないといけ…

一つの樹を伐るのではなく林を伐れ

ダンマパダ283にこうあります。 一つの樹を伐るのではなくて、林を伐れ。 危険は林から生じる。 林とその下生えとを切って、林から脱れた者となれ。 修行者らよ。 これは非常に重要な言葉です。 ここに仏陀の教説を解くカギがあります。 『一つの樹』とは…

高原さんからターボーさんへの投稿

id:kougenn 2019-07-07 19:38:08 ターボーさん、返事、ありがとうございました。 「葉隠」はご存知でしょうか?「(武士道とは)死ぬことと見つけたり」というやつです。 ターボーさんの「座布団の上で死に切ってこい」という意味は「神仏にすべてを委ねよ」と…

運命なんてない

ターボー (126.182.82.5) 2019-07-04 22:32:50 >>自分の他に頼るものはない、絶対の主体性を確立せよ、というのが歴史上の仏陀のメッセージです。他力を頼るとか、自力なんて無効だとか、は歴史上の仏陀は全く説いたことがありません。 自らの主体性を失わせ…

応供

id:tomatomatan 2019-07-04 14:31:39 お久しぶりです。 ヤフー掲示板でしまとりという名前で書き込みしておりました。 求法者を菩薩として、なにか利他の気持ちの強い人物像とする、とか、仏教の流れは面白いですね。 声聞と縁覚という、本来は求法の大道を…

ととのえられた自己が主

ターボー (126.182.82.5) 2019-07-04 09:40:40 >声聞というのは、文字通り、『声を聞いた人』です。誰の声でしょうか。歴史上の仏陀すなわち釈尊です。 声聞とは釈尊の声を直接聞いた直弟子のことです。仏教があまりにも変てこりんなのは、十大弟子などの仏…

たーぼーさんの返信

ターボー (126.182.82.5) 2019-07-04 01:59:17 <<最近、少し、ターボーさんのことが気になっています。ターボーさんの投稿が、とても断片的で、「二人を殺した報い」みたなことは書かれているのですが、ショーシャンクさんが「二人を殺したとはどういう意味…

化城の喩え

id:kougenn 2019-07-03 01:15:50 仏陀の説いた筏とは、凄く深淵なものだと思っているので、それが「feel good」や「安心」くらい気持ちでは、ぼくの中ではそれが筏とは思いたくないです。イスラム教に入信したとしても白人女性が性の対象と見られなくなると…

筏とは

id:kougenn 2019-07-01 00:04:36 それでは、まず素朴な疑問をひとつ。 「筏」です。龍樹は「筏」を否定してますよね。「筏」によって自分一人で助かろうとする人を声聞と呼び、自分のことしか考えない卑怯者と蔑み、大乗という皆で乗れる大船があると言いま…

自分に合った筏を

id:kougenn 2019-06-28 23:40:58 ぼくは原典で読んだことがないので、サンスクリット語とパーリ語の違いも関心はありませんでした。玄奘三浄の漢訳がサンスクリット語を訳したことは知っていたので、パーリ語よりもサンスクリット語という言葉の方が普通に耳…

歴史上の仏陀が本当に言ったことがわかってくる時代

id:kougenn 2019-06-27 01:33:49 ぼくは、仏陀が生きていた初期の頃の仏教は、仏陀は我々が手を伸ばせば手の届く存在だったのだと思います。それが、次第に、大乗仏教になってからの仏陀は、我々がどんなに手を伸ばしても届かない神とか仏とかの遠い存在へと…

無量心

id:kougenn 2019-06-26 21:05:10 「喜捨」は、世間で、寄付、お布施という意味の方が一般的になってますね。 確かに、最初に「慈」があって、一対として「悲・喜」があって、最後に「捨」があると読む方が繋がりと座りが良いように思います。 七覚支の最後に…

慈悲喜捨の『喜』と七覚支の『喜』

id:kougenn 2019-06-26 00:08:01 「慈悲喜捨」にも「七覚支」にも「喜」が出てきます。文字通り「喜ぶ」という意味なんでしょうが、何かしっくり納得できません。何を喜ぶんでしょうか? 慈悲喜捨の『喜』と七覚支の『喜』は漢字では同じ『喜』ですが 慈悲喜…

七覚支こそ三十七菩提分法の核

パーリ語『大般涅槃経』にこうあります。 『過去の長い時にわたって真人・正しく悟った人々がいたが、それらすべての覚者は、五つの蓋いを捨て去って、人を弱くする心の煩悩を明らかに知って、四つのことを心に思い浮かべる修行(四念処)のうちに心をしっか…