原始仏典を見ると、歴史上の仏陀は、繰り返し繰り返し、死後の世界と輪廻転生について言及しています。
しかし、ほとんどの仏教学者は、死後の世界も輪廻転生も否定しています。
それは、仏教は無我を説いたという観念があって、霊魂などという実体のあるものを否定した、ということからです。
このことを見ても、仏陀の真意は正しく伝わっていないと感じます。
『私という中心』から見ているので、仏陀が言おうとしたことがわからないのです。
私たちは、『私という中心』を持ち、死後の世界や輪廻転生を信じる人は、『私の前世』『私の来世』『私の霊魂』と捉えます。
しかしそうではなく、五蘊を仮合させる潜在的形成力=行=業力があり、それが五蘊を集めているのです。
時が経ち、五蘊がバラバラになったとしても(つまり死んだとしても)、解脱していない限り、渇愛から来る潜在的形成力はなくならず、必ず新しい五蘊を集めます。
これが輪廻転生です。
死後の世界もあるのです。現在の五蘊が破れても、異蘊を集めます。
行=sankhara のままに自らの世界が展開します。
もし、死んだらすべて何もないのであれば、それは仏陀が最も怖れた断見という邪見です。
霊魂という実体が、永遠に生まれかわるというのは常見という邪見です。
結局、今の仏教には、心霊主義のような常見か唯物論のような断見かしかないのです。
いまこそ、仏陀の真意を甦らせなければいけないと思う理由です。