中部経典の第54は、『ポータリヤ経』です。
自分の仕事や財産をすべて息子たちに譲った資産家ポータリヤと釈尊の対話です。
ポータリヤは釈尊が
『資産家よ。』と呼びかけるのを不快に思います。
すべての地位や財産を息子に譲って最小限の衣食で暮らしているので、自分では『俗事の正断』『業務の正断』と思っているからです。
釈尊は、『聖者の律による業務の正断』を説きます。
次の八法が、聖者の律による業務の正断に導くと説きます。
1、不殺生によって殺生が捨てられるべきです。
2、不偸盗によって偸盗が捨てられるべきです。
3、真実語によって妄語が捨てられるべきです。
4、不両舌によって両舌が捨てられるべきです。
5、無貪欲によって貪欲が捨てられるべきです。
6、無毀瞋によって毀瞋が捨てられるべきです。
7、無忿脳によって忿脳が捨てられるべきです。
8、無過慢によって過慢が捨てられるべきです。
ここでも、『不善の法の捨断』が出てきました。
そして、不善の法の捨断をして、世間の味に対する執着がすべて残りなく消滅している、捨のみを修習します。
そこで、かれは、自分の種々の過去の生存を思い出し、宿住智を得ます。
そして、生けるものたちがその業に応じて赴くありさまを観る天眼智を得ます。
そこでかれは、この無上の、平静による念の清浄によって、もろもろの煩悩の滅尽から、煩悩のない、心解脱、慧解脱を現世において自らよく知り、目の当たり見、成就して住みます。