中部経典の第53は、『有学経』です。
釈尊が、釈迦国のカピラヴァットゥに近い、二グローダ僧院に住んでいたときのことです。
カピラヴァットゥの釈迦族のために新しい会堂が建てられたのですが、その会堂を最初に使ってほしいと釈尊に依頼が来ました。
高名な釈尊に最初に使ってもらえると縁起がいい(笑)ということでしょう。繁栄を期待してのことです。
いわば、こけら落としのようなものでしょう。
釈尊が法話をした後、アーナンダを指名して講話するように言います。
そこで、釈迦族出身で釈迦族に抜群の人気があるアーナンダが『有学の実践者について』話します。
そして、ここでも
不善の法を断じる⇒四禅⇒三明
が語られます。
いわば、釈迦族の祝いの席、こけら落としというときに、多聞第一のアーナンダが 不善の法を断じる⇒四禅⇒三明 を選んだということは、このことがいかに重要な理法であるかがわかります。
具体的には、
1、戒をそなえる者となる
2、もろもろの感官の門を守る者となる
3、食事に量を知る者となる
4、覚醒に努める者となる
5、七の正法をそなえる者となる
6、四禅を得る
『七の正法』とはこれです。
1、如来の菩提について信仰のあるものになる(saddho hoti)
2、慚のあるものとなり、身・語・意の悪行を恥じ、悪しき不善の法が入ることを恥じます。(hirima hoti)
3、愧のあるものとなり、身・語・意の悪行を恐れ、悪しき不善の法が入ることを恐れます。(ottappi hoti)
4、聞を積んでいる多聞者になります。(bahussuto hoti)
5、努力精進をそなえ、もろもろの不善の法を捨てるために、もろもろの善の法を成就するために、住みます。
6、念があり、最上の念と賢明をそなえる者になります。長い間行なわれたことでも、長い間語られたことでも、記憶し、つぎつぎ記憶します。(satima hoti)
7、慧のある者となり、生滅に通じる、聖なる、洞察力をそなえている、正しく苦の滅尽にいたる慧をそなえています。(pannava hoti)
この『七の正法』は、仏陀の真意を知るためには、非常に重要です。
ここで、6、についての註を見ます。
身と語の両者は色(rupa)であり、それを起こす心・心処は無色(arupa)である。
以上のように、これら色・無色の法がこのように生じ、このように滅している、と記憶し、つぎつぎ記憶し、念覚支(sati sambojihanga)を起こす。
この経典を見ても、念(sati)が『記憶』と言う意味であることがはっきりと示されています。
念(sati)は、『記憶』と言う意味で捉えるべきです。
その理解で初めて、三十七菩提分法が解明できます。