中部経典の第62は、『大ラーフラ教誡経』です。
【出入息の念】が、ラーフラにたいし説かれます。
まず、仏陀は、ラーフラに対し、
『すべての色は、〈これは私のものではない、これは私ではない、これは私の我ではない〉と、このように如実に、正しく、慧によって見られるべきです。色だけでなく、受も想も行も識もです。』
と五蘊非我を説きます。
その教誡を聞いたラーフラは樹の元で足を組んで坐るのですが、通りかかったサーリプッタがラーフラに出入息の念を修習するように勧めます。
そこでラーフラは、仏陀に出入息の念のやり方を聞きます。
1、地界 内の地界 髪・毛・歯・皮・肉・骨などの身体の中の堅いもの
外の地界 外界の堅いもの、固形物
2、水界 内の水界 血・汗・唾液などの身体の中の液体
外の水界 外界の液体
3、火界 内の火界 身体の中の熱(火)と化すもの、食べ物
外の火界 外界の火や火と化すもの
4、風界 内の風界 息など
外の風界 外界の風や風と化すもの
5、空界 内の空界 耳の穴、鼻の穴、口内などの空であるもの
外の空界 外界の空や空と化すもの
この、地界、水界、火界、風界、空界のすべてについて、〈これは私のものではない、これは私ではない、これは私の我ではない〉と、このように如実に、正しく、慧によって見られるべきです。
地のように修習しなさい。地が不浄のものを投棄しても嫌悪しないように。
水のように修習しなさい。水が不浄のものを洗っても嫌悪しないように。
火のように修習しなさい。火が不浄のものを焼いても嫌悪しないように。
風のように修習しなさい。風が不浄のものに吹きつけても嫌悪しないように。
空のように修習しなさい。空がどこにも定着することがないように。
慈しみを修習しなさい。怒りが捨てられるから。
憐れみを修習しなさい。害心が捨てられるから。
喜びを修習しなさい。不快が捨てられるから。
平静を修習しなさい。対立が捨てられるから。
不浄を修習しなさい。貪りが捨てられるから。
無常想を修習しなさい。我の慢が捨てられるから。
出入息の念を修習しなさい。大きな果報、大きな功徳があるから。
足を組んで坐ります。
全面に念を凝らして坐ります。
念をそなえて出息し、念をそなえて入息します。
長く出息するときは〈私は長く出息する〉と知り、長く入息するときは〈私は長く入息する〉と知ります。
短く出息するときは〈私は短く出息する〉と知り、短く入息するときは〈私は短く入息する〉と知ります。
〈私は全身を感知して出息しよう〉と学び、〈私は全身を感知して入息しよう〉と学びます。
〈私は身行を静めつつ出息しよう〉と学び、〈私は身行を静めつつ入息しよう〉と学びます。
〈私は喜びを感知して出息しよう〉と学び、〈私は喜びを感知して入息しよう〉と学びます。
〈私は心行を感知して出息しよう〉と学び、〈私は心行を感知して入息しよう〉と学びます。
〈私は心行を静めつつ出息しよう〉と学び、〈私は心行を静めつつ入息しよう〉と学びます。
〈私心心を感知して出息しよう〉と学び、〈私は心を感知して入息しよう〉と学びます。
〈私は心を満たしつつ出息しよう〉と学び、〈私は心を満たしつつ入息しよう〉と学びます。
〈私は心を統一しつつ出息しよう〉と学び、〈私は心を統一しつつ入息しよう〉と学びます。
〈私は心を解放させつつ出息しよう〉と学び、〈私は心を解放させつつ入息しよう〉と学びます。
〈私は無常を随観して出息しよう〉と学び、〈私は無常を随観して入息しよう〉と学びます。
〈私は離貪を随観して出息しよう〉と学び、〈私は離貪を随観して入息しよう〉と学びます。
〈私は寂滅を随観して出息しよう〉と学び、〈私は寂滅を随観して入息しよう〉と学びます。
〈私は破棄を随観して出息しよう〉と学び、〈私は破棄を随観して入息しよう〉と学びます。
ラーフラよ、出入息の念をこのように修習するならば、大きな果報があり、大きな功徳があります。
ラーフラよ、出入息の念をこのように修習するならば、それらの最後の出息も確かに知られるとおりに消滅します。知られないままではありません。