中部経典の第51は、『カンダラカ経』です。
カンダラカとは遍歴行者の名前です。
カンダラカという遍歴行者と象使いの子ペッサが、釈尊のもとに行って教えを聞きます。
釈尊は、ここの比丘には、阿羅漢であり解脱しているものがいて、それは四念処に心を定めて住んでいる、と言います。
身において身を観つづけ、熱心に、正知をそなえ、念をそなえ、世界における貪欲と憂いを除いて住みます。
受において受を観つづけ、熱心に、正知をそなえ、念をそなえ、世界における貪欲と憂いを除いて住みます。
心において心を観つづけ、熱心に、正知をそなえ、念をそなえ、世界における貪欲と憂いを除いて住みます。
法において法を観つづけ、熱心に、正知をそなえ、念をそなえ、世界における貪欲と憂いを除いて住みます。
象使いの子ペッサは言います。
獣は明瞭であり、象は調御することができるが、人間の心は密林(不透明)です。
それなのに、このように心が整えられているとは。
釈尊は、四種の人間のことを語ります。
1、自らを苦しめる者
2、他を苦しめる者
3、自らを苦しめ、他を苦しめる者
4、自らを苦しめず、他を苦しめない者
1の自らを苦しめる者は、苦行を行なう者。
2の他を苦しめる者は、猟師や漁師、牛殺しなど。
3の自らを苦しめ、他を苦しめる者は、横暴で残虐な王族などの支配者。
そして、4の自らを苦しめず、他を苦しめない者とは、この世に如来が現われていることを知り、出家し、不善の法を離れて修行し、五蓋を捨断し、四禅定に住みます。三明を獲得します。そして解脱します。
ここでも、
不善の法を捨離⇒五蓋の捨断⇒四禅定⇒三明⇒解脱
が出てきます。
ここまで繰り返し繰り返し出てくるのは、仏陀が解脱した道筋である、
不善の法を捨離⇒五蓋の捨断⇒四禅定⇒三明⇒解脱
が、極めて重要であるからです。
具体的には、
殺生・盗み・邪淫・妄言・両舌・悪口・綺語・などの不善の法を捨離する
眼耳鼻舌身意の感官から悪しき不善の法が流れ込まないように防護する
食べるにも飲むにも大小便をするにも正知をもって行動する
五蓋を捨断する
これが、不善の法の捨離となります。
その後、
第一の禅⇒第二の禅⇒第三の禅⇒第四の禅⇒宿住智⇒天眼智⇒漏尽智(煩悩を滅する智=四諦)⇒煩悩からの解脱
となります。
この経典には四念処も出てきますから、
四念処と、不善の法の捨離(そのひとつとして五蓋の捨断)