2021-08-01から1ヶ月間の記事一覧

仏教における布施、寄進

道元の玄明追放の話が出たので、この機会に、仏教における布施、寄進について、つまり経済的な側面について書いておきます。 道元は、執権北条時頼からの寄進状を持って帰った首座の玄明を破門、追放し、玄明が坐っていた床を壊し、その床の下の土を7尺(2…

資料の良し悪し?

石飛先生が私について書かれていました。 ※※※※※ ショーシャンクさまにとっては、思い込みではなくて、記された事実、(すなわち、歴史上の仏陀が何をしたのか、に類するもの)として、取り上げられているのだと思います。逸話だから、記された事実として、そ…

道元の玄明追放の典拠

マニカナで、春間さんが私のこのブログについて 『道元についても、道元の行ないについての解釈は勝手な思い込みに拠っている。』 と書いていたので、このブログに道元のことを書いたかな?と思って検索してみると、ずっと前に玄明追放のことを書いていまし…

仏陀によって解答されてないものは解答されないものとして受け止める

箭喩経の毒矢の喩えを話しているときに 仏陀が言った『私によって解答されてないものは解答されないものとして受け止めなさい』という言葉は、 『私によって語られなかったものは、語られなかったものと憶持しなさい』と訳してはいけないと言ったのは、 『憶…

歴史上の仏陀が本当は何を言ったかを知りたいだけです

遠佐さん、私は最初から今までこう言っています。 私は、歴史上の仏陀は本当は何を言ったのか、を探求しているのだ、と。 例えば、キリスト教ではそのようなことは起きません。 何故かと言うと、四福音書は確定しているからです。 イエス・キリストが言った…

道元の、これはどうでしょう

春間さんがコメントくれたので、マニカナ見たら、私のブログについて話しているようですね。 『道元につても 、道元の行いについての解釈 は 勝手な思い込みに拠っている』 と書いてありました(笑) 私はあまり道元については書いていませんが、調べるとず…

行為(kamma)によって世界(loka)も人々(paja)も起こる

中部経典『ヴァーセッタ経』にこうあります。 生まれによってバラモンとならず 生まれによって非バラモンとならず 行為(kamma)によってバラモンとなり 行為(kamma)によって非バラモンとなる 行為(kamma)によって農民となり 行為(kamma)によって職人…

仏陀が悟った法とは何か

成道したときに仏陀は『私が悟ったこの法は実に深遠で、見難く、理解しがたい。人々は、執着を楽しみ、執着を喜び、執着に歓喜している。説いたとしても、疲れるだけ、私に悩みとなるだけであろう』と思って、説こうとしませんでした。 そこで、梵天勧請が行…

文献学が悪?

文献学とは何でしょうか。 例えば、どこかから古文書が出てきたとき、その古文書がかかれている紙などの材料を科学的に分析していつの時代のものかを特定する方法は文献学ではありません。 文献学とは言語から成る文章から、その文章がいつ書かれたものかな…

禅定至上主義が間違っている理由

仏陀の禅定と今の仏教の禅定は全く違います。 何が違うのでしょうか。 仏陀は、 不善の法を捨離⇒五蓋の捨断⇒喜⇒軽安⇒禅定⇒三明⇒解脱 と進んだのです。 これは連続的な一連の流れです。 まず、不善の法の捨離が行なわれます。 そして、五蓋の捨断に進みます。…

アラシについての考察

ネットの掲示板には必ずアラシと呼ばれる輩がいます。 マナーなく掲示板を荒らすから、アラシと呼ばれます。 自分よがりの多投稿、連続投稿がその特徴です。 自分の主張ばかりして相手の話を聞かない、 対話ができない、というのもアラシの最大の特徴と言え…

善法を増大させる見解(ditthi)を持つべき

仏陀は、見解(ditthi)を持たないように説いた、と解釈する人がいるようですが、全く違います。 ditthi =見解 という言葉は、それだけだと、邪見解、悪見解という意味になることが多いので、『ditthiを持たない』という箇所もあるかもしれませんが、その場…

五蓋の本当の意味

『五蓋』とは、貪・瞋・惛眠・掉悔・疑 の五つの煩悩です。 仏典では、『慧を弱める心の付随煩悩』と説かれます。(六浄経など) 貪とは、貪欲のことです。 瞋とは、悪意や怒り、憎しみのことです。 惛眠とは、惛沈と睡眠の2つからなります。沈鬱と眠気のこ…

八正道は正定で終わりではなかった

中部経典『大四十経』を読んでいたら、すごいことが書いてありました。 次の言葉です。 正見の者には正思惟が生じます。 正思惟の者には正語が生じます。 正語の者には正業が生じます。 正業の者には正命が生じます。 正命の者には正精進が生じます。 正精進…

七つなのになぜ五蓋?

『五蓋』とは、貪・瞋・惛眠・掉悔・疑の五つの煩悩のことですが、 このうち、惛眠は、惛沈と睡眠 の2つです。 掉悔は、掉挙と悪作 の2つです。 つまり、五蓋は、貪・瞋・惛沈・睡眠・掉挙・悪作・疑の七つなのです。 しかも、掉挙と悪作の掉挙とは心の浮…

sati とは『記憶』『憶念』

中部経典『サーマガーマ経』において、片山一良は 『sati-vinaya』を『記憶による裁断』と訳しています。 『重罪である波羅夷を犯したことを憶えていますか?』にたいし 『憶えていません』と答えた場合に、『よく知りなさい』と追求します。 ですから、ここ…

無限であること、無量であること

中部経典『不動適応経』にこうあります。 私は広い、大なる心によって住み、意によって確立し、世界を征服してはどうであろうか。 私が広い、大なる心によって住み、意によって確立し、世界を征服するならば、悪しき不善の意が、貪欲としても瞋恚としても憤…

中部経典『行生経』

仏陀は、中部経典『行生経』において、生まれかわりたい者に生まれかわるための方法を説いています。 例えば、『どうか、私は、身体が滅ぶと、バラモン大富豪の仲間に生まれかわることができますように』という願いを叶えるための行法です。 つまり、仏陀は…

感じたままに言いますと

『私の意識』『私の霊魂』『私の前世』『私の来世』という迷宮に入り込んでいる限り、すべての理論、すべての言説、すべての回答は、ただ、私という中心に付加され記憶の束のひとつになっていくだけです。 『私という中心』の成り立ち、欺瞞性を徹見しない限…

形成力だけが残る

遠佐 (126.77.139.124) 2021-08-13 14:00:49 肉体が破れ死んだとしても、kammaによる形成力は五蘊を集めます、と仰いますが、具体的には色は焼かれて灰と骨になります。 他はどうなるのでしょう。 私という中心は固定して残るのですか。 kammaはどうして残る…

自我の成り立ちの洞察なしには

ひだ (114.172.204.146) 2021-08-11 17:40:26 横レスになってしまい申し訳ありません。 まさに十二縁起を明快に説いてくださいました。ありがとうございます。 感謝の気持ちを表したく、コメントしました。 ひださん、ありがとうございます。 私は、仏陀の真…

何が輪廻転生するのか

遠佐 (126.77.139.124) 2021-08-11 11:14:44 ショーシャンクさん 輪廻転生について教えてください。 ショーシャンクさんは釈迦が非常に明快に説いているとおっしゃいます。 釈迦はこう言う。仏陀は迷いの自我が死後、天や地獄に行き、輪廻転生する、と。 本…