中部経典『大マールキヤ経』

さて、中部経典第63『小マールキヤ経』まで書きましたが、中部経典だけで152経ありますし、この速度であれば、いつまで経っても原稿が書けません。原稿のための備忘録として書いていますので、これから先は、もっと要点のみで大急ぎで中部経典を終えたいと思います。

 

中部経典第64『大マールキヤ経』

仏陀が『五つの下位の束縛(五下分結)を確と記憶にとどめよ』と言ったところ、マールキヤ比丘が『記憶にとどめています。自身見・疑い・戒禁取・欲貪・瞋恚です。』と答えた。

仏陀は、ただ用語を憶えただけで、それでは幼児のようなものだ、と言います。

そして、この束縛がどうしたら断たれるか、その行道について説かれます。

 

ここに、比丘は、生存素因の遠離により、もろもろの不善法の捨断により、あらゆる身の粗悪の止息により、もろもろの欲を確かに離れ、もろもろの不善の法を離れ、大まかな考察のある、細かな考察のある、遠離から生じる喜びと楽のある、第一の禅に達して住みます。

かれはそこで、色に関わるもの、受に関わるもの、想に関わるもの、行に関わるもの、識に関わるもの、それらの法を、無常である、苦である、病である、腫れ物である、矢である、禍である、疾である、他である、破壊である、空である、無我である、と観ます。かれは、それらの法から心を解き放ちます。

かれは、それらの法から心を解き放ち、不死界に心を集中します。

 

次に、第二の禅に達して住みます。

次に、第三の禅に達して住みます。

次に、第四の禅に達して住みます。

次に、空無辺処に達して住みます。

次に、識無辺処に達して住みます。

次に、無所有処に達して住みます。

 

これも、五つの下位の束縛を断つための行道です。

 

これによて、あるものは心解脱のものとなり、あるものは慧解脱のものとなるのは、感官の種々性による。(そのひとの機根によるということ)

 

 

 

 

 

さて、中部経典は152経あり、最近、仕事も忙しくなってきましたので、いったん64経までで止めます。

重要だと思うものを備忘録としてピックアップするようにします。