2018-11-01から1ヶ月間の記事一覧

仏教についてのひとりごと 76

馬鹿馬鹿しい。あなたは本質をはぐらかし続けている。 今回の経緯はこうです。 ⇓⇓⇓わたし『文章の抜き書きではなく、それが書かれている仏典を全部読めば 縁起の意味、法の意味がはっきりとするからです。』あなた『法の意味を知ってどうしますか ?』わたし…

仏教についてのひとりごと 75

すくなくとも、あなたよりは見ていると思います。 あなたのように、本を何冊読んだとか、誰と知り合いだとかを威張ろうとは思わない。また、知らない人に対して『身の程を知れ』などとは言わない。それは、自分の中の愚かさ、醜さを見ているからです。 あな…

仏教についてのひとりごと 74

<<「 縁起を見るものは法を見る 法を見るものは我を見る 」 パーリ仏典 「 我を知る者は 法を知る 法を知る者は 我を見る 」 「 縁起 」 とは 「 法 」 です >> ほとんどの仏教者が間違えるのは、原始仏典を大乗仏教の思想によって解釈するからです。 あ…

仏教についてのひとりごと 73

あなたの言う縁起というのは仏教の定説ですね。つまり、龍樹が作り上げたものです。 縁起⇒相依性⇒あらゆるものとの関連によって成り立つ⇒それ自体の実体がない(無自性)⇒空 という式を龍樹が勝手に作り上げたのです。 仏陀が説いた縁起とは十二縁起(十一・…

仏教についてのひとりごと 72

反芻するのも思考ですよね。 思考がなければ十二縁起の反芻はできません。 原始仏典では、『縁起を順逆に考察された』とあります。 仏陀が言う縁起と、龍樹以降の観念である縁起とは全く違います。 仏陀の言う縁起とは、苦の縁って起こる原因のことです。 龍…

仏教についてのひとりごと 71

宮元啓一氏の投稿が興味深かったのは仏陀の瞑想は、無思考型の瞑想ではなく徹底思考型の瞑想であったということを再確認できたからです。 仏陀はアーラーラ・カーラーマやウッダカ・ラーマプッタの瞑想を修行しましたが完成すると『解脱ではない』として離れ…

仏教についてのひとりごと 70

宮元啓一氏は著作の中で『玉城康四郎博士は、最晩年、「私の仏教理解は間違っていた」と周囲の人にもらしていたそうだ。』と書かれていました。 そこで、私は今月、玉城康四郎博士の『ダンマの顕現』を読んでみました。 玉城康四郎博士に関しては華厳経の著…

仏教についてのひとりごと 69

<<あらゆる積み重ね その行為の顕われがサンカーラです>> とすると、『行』(sankhara)のあなたの解釈は行為の果ということでしょうか。 sankharaはご存知のように、多くの意味があります。 主なものでは4つあるように思います。 ①意志作用②現象世界の生…

仏教についてのひとりごと 68

唯識論は面白いですね。 私も学生の時に嵌まりました。 唯識論では基本、阿頼耶識=八識が蔵識、根本識となりますが華厳宗や天台宗では、その上に阿摩羅識=九識という清浄識を立てたりします。 (密教ではさらに乾栗陀耶識=十識という大日如来の意識まで立て…

仏教についてのひとりごと 67

ですから、 無明⇒行⇒識⇒名色⇒六入の中の【識】は六識に分かれる前の識、すなわち【何かを意識しようとする意識】だと思いますよ。 未分化の意識、つまり、見ようとする意識、聞こうとする意識に分化する前は【対象を意識しようとする漠然とした意識】のはず…

仏教についてのひとりごと 66

十二縁起の中の『名色』ですね。 namarupaの漢訳が名色です。namaが名。rupaが色。namarupaとは、本来は、『名称と形態』のことで、ウパニシャドにおいては現象界を意味する語であったが、仏教に採用されて、両者で個人存在を意味すると考えられた。(中村元…

仏教についてのひとりごと 65

もし、仏陀が仏教を見ると『私、そんなこと言ってませんけど・・・』と言うでしょうね。 後世に様々に造り上げられた仏教なるものを通して見ては仏陀の真意は絶対に探れません。 仏教史には多くの天才たちが現れ、宗祖となっていきました。 宗祖たちは天才だ…

仏教についてのひとりごと 64

<<マハーカッサパ(摩訶迦葉)は、仏典結集のときに、恣意的に、自分の気に入らない者たちに不名誉な評価がされるようになさったというお話を聞きました。>> 具体的にはどのようなことでしょうか。 魔訶迦葉は第一結集の議長役をしました。 第一結集の前…

仏教についてのひとりごと 63

しまとりさん、はじめまして。 <<これが、釈尊の説いた縁起であり、それが、相依性と訳されてしまったなどもあり、物事には自性がない、となり、空観になってしまった。ということですか? 順観と、逆観もあるので、初期経典でもすでに相依性も語られてい…

仏教についてのひとりごと 62

仏教学教授の佐々木閑と評論家の宮崎哲弥の対談本『ごまかさない仏教』が昨日届きましたので読んでいますが、私の現時点での結論と共通していることが多々ありました。 宮崎哲弥は自らを中観派と言っているくらいナーガールジュナ(龍樹)に心酔している人な…

仏教についてのひとりごと 61

仏陀成道のときの感興句; 努力して瞑想しているバラモンにもろもろのものごと(因果関係の鎖をなしていること)が顕わになったとき、彼はもろもろの原因を持つものごと(ものごとは原因があって生ずるということ)を知ったので、彼の疑念はすべて消え去る。…

仏教についてのひとりごと 60

仏陀の真意を探るのに非常に興味深い仏陀の言葉を見つけました。 sabbam paravasam dukkham sabbam issariyam sukham 中村元の訳では『他に従属することはすべて苦しみであり自由(主体性)はすべて楽しみである』 パーリ語辞典では、paravasa は、『他人の…

仏教についてのひとりごと 59

【仏陀の悟りの場面】 その時、目覚めたお方、幸あるお方は、ウルヴェーラー村はネーランジャラー河の岸辺にある菩提樹の下にあって、最初の目覚めを体験された。 時に、幸あるお方は、菩提樹の下で一たび結跏趺坐しまま、七日の間、解脱の楽を味わいながら…

仏教についてのひとりごと 58

親鸞の教え、特に歎異抄は、中途半端に生齧りすると毒水になりますね。micなどは毒が回っているとしか思えない(笑) 親鸞は徹底的に学問し修業しましたが、どうしても煩悩を捨てられない愚かな自分に絶望し、弥陀の本願に縋るしかない自分と見切ったのです…

仏教についてのひとりごと 57

pipitさん、こんにちは。 Y和弘という人の言うことは気にしなくていいですよ。この人は、micやsanと同じく、大乗仏教の何かを信じていて それが自分の中で強い自我を構築しているのに気がつかないのです。 自分がどれだけそのドグマに束縛されているか直視で…

仏教についてのひとりごと 56

<<〈生存と衰滅を共に捨てる〉 私は、『スッタニパータ』においては〈二元対立の超越〉を教えられ座右の書となっています。〈二元対立の超越〉によって〈不二中道〉という道が開けるという、釈尊の中道の原点だと思っています。>> なるほど。二元対立の…

仏教についてのひとりごと 55

中国では、盛んにどの仏典が最高峰かを議論していました。 南三北七と言われるものです。そして、華厳経が最高峰という説と涅槃経が最高という説に分かれていました。 南のほうでは涅槃経が最高という派が多く北のほうでは華厳経が最高という派が多かったと…

仏教についてのひとりごと 54

尊者マハーカッサバは世尊に次のことを申し上げた。 「世尊よ,どのような直接的原因(囚),どのような間接的原因〔縁)によって,以前には学処(sikkhapada)は少なかったのに,より多くの比丘が完全知に定まっているのでしょうか。 また世尊よ,どのよう…

仏教についてのひとりごと 53

これはたぶん誰に言ってもわかってもらえないと思いますが、私の中では確信に近づいています。 仏陀は、仏教などという宗教の開祖になろうとは思ってもいなかったし形而上学的な教義を説いたこともなかったのです。これは『私は過去の覚者たちが発見した古城…

仏教についてのひとりごと 52

密教は、原理的には、欲望を全肯定すると思います。 密教の究極は宇宙の原理たる大日如来との一体化です。 大日如来と一体化するというのは、宇宙全体と合一するわけですから性によって生まれている宇宙の森羅万象を全肯定しなければ密教ではないと思います…

仏教についてのひとりごと 51

「我・常」ということを積極的に主張するのが、如来蔵思想であり、『涅槃経』には「仏陀とは、我(アートマン)を意味する。しかるに、その我は永遠不変の実在である」と明記されているのである。 大乗仏教というものが、ヒンドゥー教の強い影響のもとに成立…

仏教についてのひとりごと 50

般若心経だけでなく、仏教の最も陥りやすいのが虚無思想です。 スッタニパータにも、【世界を空なりと観ぜよ】とあります。なぜ、世界は空(sunnata)なのでしょうか。 最初期において、仏陀の真意は、 【生じたものは必ず滅する】から空としたのです。 生じ…

仏教についてのひとりごと 49

ここ最近の仏教学、文献学の進歩はすさまじく どの仏典がより古層なのかもかなり詳細にわかってきました。それにつれて、仏陀の肉声により近い仏典、仏陀の考えに最も近い仏典も明らかになってきました。 しかし、仏教界には、それが明るみになると非常に困…

仏教についてのひとりごと 48

「仏教の思想的立場は無我説と呼ばれているが、それは決してアートマンを否定したものではない。 客観世界に見出されるいかなる実体もアートマンではない-非我-ということを主張したのである。 アートマンが実在するか否かということについては、釈尊は全…

仏教についてのひとりごと 47

根底に持続的なもの、持続的な意識活動があるのであれば それは実体があるということです。ですから、【変化する我】の根底に持続的なものを認めるのであれば無我というのは間違いということです。 アートマンも表面上は変化していきます。 無明や錯覚により…