仏教についてのひとりごと 76

馬鹿馬鹿しい。あなたは本質をはぐらかし続けている。
今回の経緯はこうです。
 ⇓⇓⇓
わたし『文章の抜き書きではなく、それが書かれている仏典を全部読めば
     縁起の意味、法の意味がはっきりとするからです。』
あなた『法の意味を知ってどうしますか ?』
わたし『仏典の本当の意味を知ることが重要だと思わないのですか?』
あなた『なぜ重要ですか ?』
わたし『仏典の本当の意味を知るということは仏陀の真意を知ることだからです。』
あなた『仏陀 が 仏陀の真意を知る者です
    それを 「法華経」 では 「  唯仏与仏 乃能究尽 」 と 表します』
わたし『私が、『仏陀の真意』と書いたときの仏陀とは歴史上の仏陀
    つまりゴータマ・シッダッタ(Gotama Siddhattha)のことです。
    法華経方便品の『唯仏与仏 乃能究尽』のところは、サンスクリット原典では、
    『如来だけが知っているのだ』という言葉ですが、
    鳩摩羅什訳では、『ただ仏と仏のみ』としました。
   『唯仏与仏 乃能究尽』は更に道元などによって、禅的に解釈されることになりましたが
    私の指すところの『歴史上の仏陀、つまりゴータマ・シッダッタの真意』というところを
    あなたは無理やり自分のフィールドで解釈して悦に入っているのです。』
あなた『「如来によってのみ知られる」とサンスクリットではなっています( P本 )
     『如来だけが知っているのだ』とはなっていません』

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この一連の流れを見ると歴然です。

 

 

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ちなみに、『如来だけが知っているのだ』というサンスクリット語法華経の訳は
岩波文庫の訳です。

あなたは、『如来だけが知っているのだ』か、『如来によってのみ知られる』か、
にこだわっていますが
それがこの問答の本質部分では全くありません。
鳩摩羅什訳では、『ただ仏と仏のみ』として、仏が一人になっていないのです。

わたしが『仏典の本当の意味を知るということは仏陀の真意を知ることだからです。』と書いたときの仏陀は、ゴータマ・シッダッタのことです。
それをあなたは無理やり大乗仏典の法華経を引いて
仏陀 が 仏陀の真意を知る者です  それを 「法華経」 では 「  唯仏与仏 乃能究尽 」 と 表します』と言ったのです。
無理やり、大乗仏教の教説を取り出してきて、はぐらかしているのです。

仏陀 が 仏陀の真意を知る者です  って
ゴータマ・シッダッタゴータマ・シッダッタの真意を知る者であることは当たり前ですね?
本人なんですから。
それを、あなたは禅的な解釈に持って行きたいだけです。

この一連の会話で
如来だけが知っているのだ』か、『如来によってのみ知られる』か、
は、全く本質的なものではありません。

 

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<<「如来によってのみ知られる」とサンスクリットではなっています( P本 )
  『如来だけが知っているのだ』とはなっていません>>

 

あなた、何を言ってるんですか?
それは、日本語訳の違いです。
岩波文庫では『如来だけが知っているのだ』となっています。

あなたの持っている本の訳し方でないと、岩波文庫でも間違いなのですか?(笑)

もう無茶苦茶ですね。
あなたは論争に勝ちたいだけです。

私は、仏陀の真意を知りたいだけ。
あなたがすべてのパーリ仏典を読んでると言ってましたから期待したのですが・・・・

 

 

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<<お聞きします  岩波は 正しいのですか ?>>

う~ん、こうなると幼児の喧嘩ですね。

 

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<<鳩摩羅什は  唯仏与仏  と訳しています
  『ただ仏と仏のみ』 は あなたの訳です>>

はあ?
読み下しているだけですが?
漢文の読み下し文も知らないのですか?

この人は延々と、本質でない部分ばかり言ってきますね。

あの一連の会話でわからないのですか?

私が言った仏陀の真意の仏陀ゴータマ・シッダッタということですが
あなたが書いた鳩摩羅什訳『唯仏与仏』では、ただ仏と仏のみ、となって
複数になっているので、私の文章の意味とはズレることを言ったのです。
サンスクリット原典では『如来だけが』と単数になっていることを指摘しただけですよ。

 

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<<「如来によってのみ知られる」とサンスクリットではなっています( P本 )
  『如来だけが知っているのだ』とはなっていません>>

それでは、岩波文庫の訳の『如来だけが知っているのだ』では
一連の会話で、どういうふうに不都合なのですか?

 

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今回の経緯はこうです。
 ⇓⇓⇓
わたし『あなたは、自分から『縁起を見るものは法を見る 法を見るものは縁起を見る』
    という文章を挙げましたが、本当に、その文が書かれた仏典を全部読みましたか?』
あなた『それを知って あなたにどういういいことが起きますか ?』
わたし『文章の抜き書きではなく、それが書かれている仏典を全部読めば
     縁起の意味、法の意味がはっきりとするからです。』
あなた『法の意味を知ってどうしますか ?』
わたし『仏典の本当の意味を知ることが重要だと思わないのですか?』
あなた『なぜ重要ですか ?』
わたし『仏典の本当の意味を知るということは仏陀の真意を知ることだからです。』
あなた『仏陀 が 仏陀の真意を知る者です
    それを 「法華経」 では 「  唯仏与仏 乃能究尽 」 と 表します』
わたし『私が、『仏陀の真意』と書いたときの仏陀とは歴史上の仏陀
    つまりゴータマ・シッダッタ(Gotama Siddhattha)のことです。
    法華経方便品の『唯仏与仏 乃能究尽』のところは、サンスクリット原典では、
    『如来だけが知っているのだ』という言葉ですが、
    鳩摩羅什訳では、『ただ仏と仏のみ』としました。
   『唯仏与仏 乃能究尽』は更に道元などによって、禅的に解釈されることになりましたが
    私の指すところの『歴史上の仏陀、つまりゴータマ・シッダッタの真意』というところを
    あなたは無理やり自分のフィールドで解釈して悦に入っているのです。』
あなた『「如来によってのみ知られる」とサンスクリットではなっています( P本 )
     『如来だけが知っているのだ』とはなっていません』
わたし『岩波文庫では『如来だけが知っているのだ』となっています』
あなた『岩波は 正しいのですか ?』


あなたは本質部分を故意にはぐらかそうとしているか
本質部分が把握できないか、どちらかです。

 

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<<仏というのが、一神教という言葉のように、一つの対象を指すのか?となりませんか?
 もともと、仏陀とは、悟った者(たち)を指すのだから、複数でも問題ないでしょう。>>

春間さんとの会話の一番最初から見ていただければお分かりになるかとも思いますが
私が書いた『仏典の本当の意味を知るということは仏陀の真意を知ることだからです』の仏陀
歴史上の仏陀ゴータマ・シッダッタのことです。
ゴータマ・シッダッタが何を言いたかったかが私のテーマですから。
この会話の中で出てくる仏典は原始仏典の中阿含経の象跡喩大経のことです。
ですから、そのあとに、春間さんが
仏陀仏陀の真意を知る者です それを法華経では「唯仏与仏 乃能究尽 」と 表します』
とした文章では、意味がズレてしまうのです。
ですから、春間さんは中阿含経の話を無理やり自分のフィールドの大乗仏教のほうにもっていったので、そう指摘したのです。

 

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大乗仏典における仏は、悟った人という意味で無数に存在します。
原始仏典でも、ゴータマ・シッダッタ仏陀だと紛らわしいのでこう呼びますと)は
『私は過去の仏たちが見つけた道を見つけただけだ』と言っていますように
目覚めた人は無数にいたでしょう。

ただ、私の言う『仏陀の真意』は、原始仏典でのゴータマ・シッダッタであり
そのゴータマ・シッダッタが本当は何を言ったのか、がテーマなのです。

 

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<<これをどんどん明らかにすれば良いと思う。>>

はい。
縁起に関しては、このスレッドでも最近も何度も書いていますので
お読みください。
龍樹以降の縁起説が今の仏教の縁起の定説ですが、仏陀のいう縁起は
苦の縁って起こる原因のことです。

そろそろ、私の考えもまとまってきましたので
これからは、掲示板よりも、自費出版の原稿書きのほうに重心を移していくつもりです。
それでないと、時間が足らなくなってしまうので。

 

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そうですね。
第4章11は、十二縁起の原型と言ってもいいでしょうね。

しかし、それにしても、仏教は、仏陀の言葉であるスッタニパータなどの原始仏典を埋もれさせていた期間が長すぎますね。
キリスト教であれば、四福音書を埋もれさせていたようなものですから、不思議な現象です。

 

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わたしたちは、大乗仏教の国日本に生まれて育ったので
小乗仏教は低い教えとして、顧みることもありませんでした。
しかし、最近になって文献学も大いに発展し、どの仏典がより古層でゴータマ・シッダッタの肉声に近いかもわかってきました。

最古層のスッタニパータと大乗仏典を見比べると、その違いの大きさにびっくりします。
歴史上のゴータマ・シッダッタが本当は何を言いたかったのか、を探るためには
今までの仏教の定説をいったん白紙にしてまっさらの状態で探求したいと思っています。

大乗仏教の教説を原始仏典の字句に投影して読み込む人も大勢います。
それはそれでいいのですが、私は、白紙の状態で、
歴史上の仏陀が本当は何を言いたかったのか、を探求したいと思ったのです。

ほぼ、まとまりつつあるので、掲示板からは少しずつ離れていきたいとは思います。

 

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