仏教についてのひとりごと 73

あなたの言う縁起というのは仏教の定説ですね。
つまり、龍樹が作り上げたものです。

縁起⇒相依性⇒あらゆるものとの関連によって成り立つ⇒それ自体の実体がない(無自性)⇒空

という式を龍樹が勝手に作り上げたのです。

仏陀が説いた縁起とは十二縁起(十一・十・九・五支などはありますが)、つまり苦の縁って起こる原因です。

原始仏典で、仏陀が、縁起だから無自性だとか、縁起だから空だと言ったことがありますか?

あなたは原始仏典を持っているのでしょう?
それなら、相応部経典の中で縁起がどう説かれているか読みなさい。
話はそれからですね。

私は龍樹の研究をしたいとも思わないのです。
歴史上の仏陀が本当に言ったことを調べているのです。

質問です。
答えてください。
原始仏典で、仏陀が、『縁起だから空』と言ったことがありますか?

 

 

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最大の問題は、行と識なのです。

これが、個体である名色、感覚器官である六入の前にきているのです。
個体ができる前に、身口意の行為ができるでしょうか?
感覚器官の六入、つまり眼や耳ができる前に、眼識耳識などがあるでしょうか?

 

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仏陀は、争う人々を見、少ない水の中で口をアップアップしている魚のような人々のあり様をみて
苦を滅するために家を出ました。
仏陀は、哲学や形而上学を説きませんでした。
そのようなものは苦を滅することに何の役にも立たないことが分かっていたからです。
それが、毒矢の喩えです。
人は毒矢に射られて物凄い苦の中にいるというのが仏陀の認識です。
そして、仏陀は、毒矢を抜く道を発見したのです。

『これあれば彼あり これ滅すれば彼滅す』
という公式は、仏陀においてはひたすら苦の滅のための公式でした。

しかし、部派仏教はアビダンマという煩瑣な哲学に埋没してしまいましたし
大乗仏教の祖と言われる龍樹は、縁起を哲学的に解釈して独自の哲学を構築しました。

故に、仏陀の真意は失われたと考えています。

 

 

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そうでしょうね。
あなたは、原始仏典の典拠を示して私に反論することができませんよね。

仏陀が説いた縁起とは、『十二縁起を代表とする苦の縁って起こる原因』のことだからです。
それしかありません。

あなたが考える縁起説ははるか後世に龍樹が作り上げたものです。
仏陀が言ったことではありません。

私のこの説に対して、あなたはそれを否定する典拠を示すことができませんでした。

私の説の典拠であれば原始仏典にごまんとあります。
例えば、相応部経典12、1 法説
『なんじらに縁起を説こう。・・・比丘たちよ、縁起とは何であろうか。無明に縁りて行があり、行に縁りて識があり・・・・・・・・かかるものが、すべての苦しい人間存在の縁ってなるところである。これが、縁によって生起するというのである。』

 

 

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ですから、その『縁起』の内容について
仏陀が語っているところをすべて調べるとわかります。

縁起つまり、苦の縁って起こる原因、無明に縁って苦が起こるということ、は
仏陀の教えの核心です。
ですから、縁起を見るものは法を見る、と言ったのです。

 

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反論があるなら
なぜ、あなたは典拠を示して、反論しないのですか?

原始仏典もすべて読んでいると言ってましたよね?

 

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