仏教についてのひとりごと 62

仏教学教授の佐々木閑と評論家の宮崎哲弥の対談本『ごまかさない仏教』が昨日届きましたので読んでいますが、私の現時点での結論と共通していることが多々ありました。
宮崎哲弥は自らを中観派と言っているくらいナーガールジュナ(龍樹)に心酔している人なので、共通する部分はないだろうと思っていましたが。

 

『おしなべて大乗仏教は阿羅漢を高く評価しませんが、では大乗の修行によって悟った者がどれほどいるか、というと疑問ですね。宮元啓一氏が「大乗仏教の徒で、自他ともに仏になった、涅槃に入ったと認める人が、長い歴史の中ではたして登場したあろうか。答えは、まったく否なのである。」と喝破している通りなのです。大乗仏教の基礎を築いた龍樹(ナーガールジュナ)や世親も菩薩止まりでしょう。涅槃に入った、如来になった、という話は聞かない。然るに、最初期の仏教においては修行者が悟りに達することが頻発している。』(宮崎哲弥


『禅定によって高度な精神集中を達成しても、そこで「十二因縁」のような仏教の真理を観察しなければ、悟りは開けない。』(宮崎哲弥)(仏教学者田中公明からの引用)

 

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『龍樹は自説を釈迦の縁起観と接続して正当化するために、縁起=空性という新定理を導入した。この定理一本で釈迦の世界観はがらりと転換し、新たな龍樹の世界観に変更されたのです。』(佐々木閑


『龍樹は私から見ると、釈迦の考えた世界観を根本からひっくり返したように思えます。』(佐々木閑


『宇井伯寿が此縁性を「相依性」と訳したため、当初から双方向性が含意されていたような誤解が広まった』(宮崎哲弥

 

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私は、ナーガールジュナ(龍樹)が仏教を仏陀の真意から全く別の『贋金』に変貌させたと思っています。
仏陀が予言した『贋金が現れたときに本物の金が滅びる。贋金が出現しなければ本物の金は滅びることはない。』『正しい法は500年しか続かない。』ですね。

鳩摩羅什の『龍樹菩薩伝』では龍樹の生涯はこうです。

【龍樹菩薩伝】

 天性の才能に恵まれていた龍樹はその学識をもって有名となった。
 龍樹は才能豊かな3人の友人を持っていたが、ある日互いに相談し学問の誉れは既に得たからこれからは快楽に尽くそうと決めた。
 彼らは術師から隠身の秘術を得、それを用い後宮にしばしば入り込んだ。100 日あまりの間に宮廷の美人は全て犯され、妊娠する者さえ出てきた。
 この事態に驚愕した王臣たちは対策を練り砂を門に撒き、その足跡を頼りに彼らを追った衛士により3人の友人は切り殺されてしまった。
 しかし、王の影に身を潜めた龍樹だけは惨殺を免れ、その時、愛欲が苦悩と不幸の原因であることを悟り、もし宮廷から逃走することができたならば出家しようと決心した。

 事実、逃走に成功した龍樹は山上の塔を訪ね受戒出家した。
 小乗の仏典をわずか 90 日で読破した龍樹は、更なる経典を求めヒマラヤ山中の老比丘からいくらかの大乗仏典を授けられた。
 これを学んだ後、彼はインド中を遍歴し、仏教・非仏教の者達と対論しこれを打ち破った。
 龍樹はそこで慢心を起こし、仏教は論理的に完全でないところがあるから仏典の表現の不備な点を推理し、一学派を創立しようと考えた。

 しかしマハーナーガ(大龍菩薩)が龍樹の慢心を哀れみ、龍樹を海底の龍宮に連れて行って諸々の大乗仏典を授けた。
 龍樹は 90 日かけてこれを読破し、深い意味を悟った。

 1人のバラモンがいて、術により宮廷に大池を化作し、千葉の蓮華の上に座り、岸にいる龍樹を畜生のようだと罵った。それに対し龍樹は六牙の白象を化作し池に入り、鼻でバラモンを地上に投げ出し彼を屈服させた。

 またその時、小乗の仏教者がいて、常に龍樹を憎んでいた。
 龍樹は彼に「お前は私が長生きするのはうれしくないだろう」と尋ねると、彼は「そのとおりだ」と答えた。
 龍樹はその後、静かな部屋に閉じこもり、何日たっても出てこないため、弟子が扉を破り部屋に入ると、彼はすでに息絶えていた。

 

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伝記というのは、本当の生涯からは相当美化されているものですが
その美化されている伝記を読んでも、うさんくささが感じられます。

「快楽に尽くそうと決めた」のはいいのですが、隠身の秘術を身につけてレイプという犯罪をしようとするところがまずはうさんくさいですよね。
しかもその被害者の数が尋常でなく、妊娠するものさえ出ているというのに
その悪行の懺悔から出家を決めたわけではなく
切り殺されそうになって「愛欲が苦悩と不幸の原因である」と思って出家を決めています。
切り殺されそうになったのは、愛欲のためというより重大な犯罪を犯したためなのですが。

また、出家をしても「龍樹はそこで慢心を起こし、仏教は論理的に完全でないところがあるから仏典の表現の不備な点を推理し、一学派を創立しようと考えた」というように、非常に慢心を起こしやすい人だったということです。

また他者と超能力で闘争しています。
これも仏陀はしてはいけないと言っていたことでした。

極め付けは最期の場面です。
《またその時、小乗の仏教者がいて、常に龍樹を憎んでいた。龍樹は彼に「お前は私が長生きするのはうれしくないだろう」と尋ねると、彼は「そのとおりだ」と答えた。龍樹はその後、静かな部屋に閉じこもり、何日たっても出てこないため、弟子が扉を破り部屋に入ると、彼はすでに息絶えていた。》

この記述から、龍樹は自殺したと言われるようになりました。

なぜわざわざ、自分が死ぬときに小乗の仏教者に対し「お前は私が長生きするのはうれしくないだろう」と言って死ななければいけなかったのか、です。
これでは、小乗の仏教者の望み通りにしてあげた、となってしまいます。

非常に美化された伝記ですら、このように人格的に疑問符がつく場面が多いです。

 

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ナーガールジュナは、龍樹菩薩伝にもありましたように
野心家で、宗教の教祖になりたかったのではないでしょうか。
少なくとも、仏陀の説を自説に変えてしまおうとしたと思います。
もちろん、本人は仏陀の説を進化発展させたと思っていたでしょうけど
仏陀の説とは全く違う哲学を創り上げ、結果的にそれが後世の仏教のスタンダードとなってしまいました。
才能のない人でしたら、仏陀の説にとって替わることはできなかったでしょうけど
龍樹は天才でした。
このため、仏陀の真意は跡形もなく消え去ってしまいます。
仏陀の死から500年後でした。

文献学がこれほど発達した今、仏教を龍樹出現の前、もっと言えば根本分裂、部派仏教の前に遡って仏陀の真意を探らなければ、人類は大きな損をしていると思います。

 

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確かに、仏陀の死後500年は仏像は作られませんでしたね。
これも500年です。

《空を飛ぶ鳥には足跡がない》と言っているのですから仏足石でもどうかと思いますが
法を尊重することは説いても個人への信仰は説かなかった仏教には仏像がない時代(無仏像時代)のほうが本当ですね。