仏教についてのひとりごと 49

ここ最近の仏教学、文献学の進歩はすさまじく
どの仏典がより古層なのかもかなり詳細にわかってきました。
それにつれて、仏陀の肉声により近い仏典、仏陀の考えに最も近い仏典も明らかになってきました。

しかし、仏教界には、それが明るみになると非常に困り反発する人たちがごまんといます。
今までの仏教自体が、仏陀の真意に基づいていない、あるいは仏陀の真意とはかけ離れた教義を作り上げてきたからです。
そういう人たちは、最古層のスッタニパータが正確に訳されてくると、怒りを露わにします。
自分たちの信じる教義の土台が崩されるからです。


brahmabhutena attana viharati .


これを見ても、今までの仏教教理というものがいかに間違っていたか、です。

 

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仏陀が繰り返し説いたのは
無常⇒苦⇒非我 です。

無常なものは苦である。
無常であり苦であるものを、われ、わがもの、わがアートマンとするのは正しいだろうか?

これが、仏陀の本意です。

古来、仏教の基本原理とされていた
無常⇒苦⇒無我
は間違いです。
無我=アートマンがない
と解釈されてきました。

無常であるものは苦である。
苦であるものは無我である。
というのですが
無我=アートマンがない というのが真理であれば
苦であっても楽であっても、アートマンがないことには変わりがないはずですね。
ここで、苦⇒無我 の方程式が成り立たなくなるのですよ。

 

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あなたは盛んに過去七仏にこだわりますが
七仏の思想の背景には千仏、もっといえば無数の仏がいたということです。

あなたたちは、仏陀が仏教の開祖と捉えていますね。
とすれば仏陀以前の過去の無数の仏たちは当然仏教以前ですよね。

当たり前です。
仏陀は『私は過去の覚者が発見した古城に向かう古道を発見しただけだ』と言っているのですから。

 

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そうですね。

般若心経の『色即是空』『空即是色』の『空』は唯一意識として解釈しなければ成り立ちませんね。

『色即是空』だけだと、物質的な現象には実体がない、という訳でいいのですが
それであれば『空即是色』が意味を成しません。

私の解釈する『色即是空』『空即是色』の『空』は、
無限の空間、光り輝く空間、唯一の意識の満ち溢れる空間、です。

これを言葉で説明するのは非常に難しいですが
対象のない意識そのものである空間、としか言いようのないものです。

 

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あなたの信じる日蓮は、
『釈の意は経文に明ならんを用いよ、文証無からなんをば捨てよとなり、伝教大師の云わく「仏説に依憑して口伝を信ずること莫れ」』
と言ってますよ。

<<大乗の毘盧遮那仏阿弥陀仏の話だって、仏陀がされたかもわからないということだね。>>
<<とうぜん部派仏教に取り入れられなかった教えだって、埋もれていた可能性もあるってことだよ。>>
あなたのこれらの言葉は、日蓮の『文証無からなんをば捨てよとなり』に反します。
『釈の意は経文に明ならんを用いよ』ではないのですか?
仏陀の肉声に最も近い最古層の仏典になければ、仏陀の真意ではないということです。

 

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私は、別にあなたの信仰を否定したいわけではありません。

私は何度も繰り返し言ってきました。
ここは、歴史上の仏陀が本当は何を言ったかを自由な立場で探求していくスレだと。

ところが、いくら言っても、日蓮の仏法を信じているあなたがあまりにもしつこく自分の主張を書き込むので、仕方なく事実を指摘しているだけです。

つまり、大乗仏典は歴史上の仏陀が言ったことではなく、後世の創作であること。
ですから、どんなに宗教的に優れていても、歴史上の仏陀が何を言ったかのスレでは場違いなのです。
日蓮の教えを信仰することは素晴らしいですが、このスレは仏陀の肉声は何だったか、のスレですよ。

ここまで言ってもまだわかりませんか?

あなたは日蓮の教えが最高だと思い、それを認めさせたいのでしょうけど、あなたの存在は逆効果ですよ。
あまりにもしつこいと、こういう人が信仰している教えは、と敬遠する人も出てきます。

いずれにせよ、あなたの投稿はスレ違いですので、ご自分でスレッドを立てて思う存分布教してください。

ここまでしつこいと、徹底的にあなたの書いていることの矛盾を突いていかなければならなくなります。
それは本意でないので、そうさせないでほしいですね。