【仏陀の悟りの場面】
その時、目覚めたお方、幸あるお方は、ウルヴェーラー村はネーランジャラー河の岸辺にある菩提樹の下にあって、最初の目覚めを体験された。
時に、幸あるお方は、菩提樹の下で一たび結跏趺坐しまま、七日の間、解脱の楽を味わいながら坐したもうた。
時に、幸あるお方は、その七日目の夜の初夜に、縁起を順逆に考察された。
すなわち、「無明に縁って行が生じ、行に縁って識が生じ、識に縁って名色が生じ、名色に縁って六処(六入)が生じ、六処に縁って触が生じ、触に縁って受が生じ、受に縁って愛が生じ、愛に縁って取が生じ、取に縁って有が生じ、有に縁って生が生じ、生に縁って老と死と愁いと悲しみと苦と憂慮と悩みとが生ずる。このようにして、すべての苦の集まりが起こってくるのである。
また、無明が余すところなく滅すれば行が滅し、・・・、有が滅すれば生が滅し、生が滅すれば老と死と愁いと悲しみと苦と憂慮と悩みとが滅する。このようにして、すべての苦の集まりは滅し尽くすのである」と。
(ゴータマ・ブッダはその夜の初夜に縁起を順逆に考察されて、感興の詩句を述べられた)
努力して瞑想しているバラモンに
もろもろのものごと[が因果関係の鎖を成していること]が顕わになった時
彼はもろもろの原因を持つものごと(ものごとは原因があって生ずるということ)を知ったので、
彼の疑念はすべて消え去る。
(さらに、ゴータマ・ブッダはその夜の中夜にも縁起を順逆に考察されて、感興の詩句を述べられた)
努力しているバラモンに
もろもろのものごと[が因果関係の鎖を成していること]が顕わになった時
彼はもろもろの原因(縁)の滅を知ったので、
彼の疑念はすべて消え去る。
(さらに、その夜の後夜にも縁起を順逆に考察されて感興の詩句を残された)
努力して瞑想しているバラモンに
もろもろのものごと[が因果関係の鎖を成していること]が顕わになった時
彼は、太陽が天空を照らすかのように
悪魔の軍勢を打ち破って立つ。
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仏教はどんどん安易な方向に流れていったのですよ。
後世になればなるほど、悟りや救いの大安売りです。
天台本覚思想や親鸞や盤珪をみればわかりますが
既に悟っているんだとか、修行などしなくても信じるだけで救われているんだとか
不生の仏心でござれとか、耳ざわりのいいことを言ったために
意志を喪失してしまって堕落したのが歴史上の事実ではないですか。
親鸞なんかは実の息子でさえまっとうな人間にならなかったではないですか。
仏陀は、『吸い込まれる汚泥』『万力』などとこの世や迷いの吸引力の凄さを語っています。
人はすべて苦の集積に向かっているのですよ。
しかも強力この上ない吸引力が働いて。
安易なことを言う奴はペテンですよ。
仏陀の教えを仏教とするならば、そういう安易なものは仏教ではない。
悪人正機や悪人正因などという寝言をいうのは
この世の吸引力の凄まじさを知らないだけです。
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法然は本物中の本物でしたね。
自らは比叡山でも『知恵第一』と言われていたほど学識深い人でしたし、戒律も厳守し、さらには病気を治癒する超能力もありましたし、身体から人にもはっきり見えるくらいの光を発していたと言われています。
しかし、法然はそのような能力をひけらかしもせず、下根の衆生たちのためにただひたすら称名念仏を勧めました。
しかし、親鸞は、弟子の質問に、自分も念仏唱えても一向に踊躍歓喜の心も起きないし、浄土にいきたいという心も起きない、と白状してます。
あれほど念仏を唱えても歓喜の心も起きないようでは、私は親鸞は本物ではないと思っています。
性欲が抑えられないのであれば、わざわざ僧侶になって戒律を堂々と破る必要などなく
また出家でありながら妻帯するというような仏教の根幹をぶち壊すようなことはする必要はなく、俗人のまま仕事に精を出し自らの欲望を満たしていけばよかっただけです。
そこまでして、なお、歓喜の心も起きないような念仏しか唱えられないようではどうしようもありません。
親鸞は後世の者たちによって過大評価されていると思っています。
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<<無戒だと魔にやられる こんなことも わすからない ?>>
あなたは法然や親鸞をほんの少しでもわかってますか?
法然や親鸞が『末法無戒』と言った意味は
『末法には戒律など守れない下根の衆生しか生まれないので、戒律は無意味』と言う意味ですよ。
わかってますか?
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戒律戒律って
親鸞が守った戒律というのは何かありますか?
あなたが守っている戒律とは何ですか?
戒律を徹底的にぶち壊した親鸞の信者のあなたが戒律とはね(笑)
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しかればすなはち末法のなかにおいては,ただ言教のみありて行証なけん。
もし戒法あらば破戒あるべし。
すでに戒法なし,いづれの戒を破せんによりてか破戒あらんや。
破戒なほなし,いかにいはんや持戒をや。
ゆゑに大集にいはく,仏涅槃ののち無戒州 に満たんと,云々。
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この言葉をあなたは知らないのですか?
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『もし戒法あらば破戒あるべし。
すでに戒法なし,いづれの戒を破せんによりてか破戒あらんや。
破戒なほなし,いかにいはんや持戒をや。』
この言葉もあなたは知らないようですね?
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『破戒なほなし,いかにいはんや持戒をや。』
末法においては戒律自体がないのだから
破戒も持戒もあるわけない、と親鸞は言ってるのですよ。
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親鸞が、破戒ということも持戒ということも無意味だと言ってるのに
あなたは戒律戒律と馬鹿の一つ覚えで言ってるのですよ。
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「私が受け継いだ教えでは、修行者が二百五十戒を犯したら、その人は厳しく呵責されなければならない。禁じられている規則をきびしく守らなければ、どうしてブッダになる可能性を知ることができるだろうか。すべての人々にブッダになる可能性があるといっても、定められた規則を守ることによってはじめて見ることができるのである」
↑
それでは、親鸞は絶対無理ですね(笑)
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仏陀の時代にも、破戒僧はいましたし、性行為してサンガを追い出された人も多かったです。
いつの時代にも規則を破る人はいるものです。
しかし、法然や親鸞が考える『末法無戒』とは、末法には破戒する人が多くなるというような一般的な意味ではなく、末法には戒律を守れるような上根の人は一切生まれず戒律など守れない下根のものしか生まれない、だから戒律自体がない=無意味=無効化される、という意味なのです。
そもそも末法には戒律などというものがないのだから、あるいは戒律はすべて無効化されているのだから、破戒も持戒もない、ということです。
仮に、完全な持戒堅固の人がいたとしても『持戒もない』という、徹底的に戒律を全否定している思想です。
ですから、親鸞は、僧侶でありながら妻帯したのです。
親鸞の公然とした肉食妻帯は『末法無戒』の思想からです。
しかし、micは、法然や親鸞が言う『末法無戒』の思想の本質がわからないまま
『末法には戒律を破る人が多くなる』としか理解していないので
戒律戒律と言っています。
それでは、法然や親鸞の本質がまるでわかっていないということです。
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<<そもそも、僧籍を剥奪されていたのじゃなかったですか?>>
親鸞の生涯に関しては文献が非常に少なく、非実在説まで出たくらいです。
裏を返せば、法然の弟子たちの中でそれほど有名ではなかったとも言えます。
あれほど浄土系を攻撃していた日蓮も親鸞に関しては一言も触れていません。
ただ、通説では、配流前、つまり僧籍剥奪前の、京都にいる時代に妻帯したというのが一般的です。
ですから僧籍にある時に妻帯したことになります。
また、勅免のあとでも妻帯していました。
公然とした妻帯という行為の源泉には法然の『末法無戒』の思想があったと思います。
法然は大いなる矛盾の人でした。
末法無戒と言いながら、自分は戒律を厳守していました。
また自分では観仏していましたが、末法の衆生には称名念仏だけが正行だと説いていました。
私は法然のその矛盾が好きですが
親鸞は法然の思想を徹底したといえるでしょうね。
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<<きみの思考 異様さ 末法だから どーでもよいとなる>>
私はそんなこと全く思ってませんよ。
何度も言っているように、末法などという思想は仏陀が一言も言ったことのない考えで
後世のものが勝手に作り上げたものです。
仏陀の時代だろうが今の時代だろうが、人間の程度は同じです。
仏陀の時代には上根のものが生まれ、末法になってからは下根のものしか生まれないなどというのは何の根拠もない説です。
そもそも戒律自体、スッタニパータで仏陀が『私は戒律によって清浄になるとは説かない』と言っているように、本質的なものだとは思っていません。
ただ、集団生活のレベルを高度に保つためには規則は必要で、そのためのものです。
私は戒律には何の興味もないですが、あなたが親鸞信者でありながら戒律戒律と言っているので
それはあまりにも支離滅裂で矛盾しているという証拠として
法然や親鸞の言葉を書いただけです。
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<<京都で法然の弟子を直接にしていた頃に、恵信尼ではない女性と結婚していたとされているのでしょうか>>
恵信尼が京の人か越後の人かで論争があるようです。
また、京都で別の人と結婚して、配流先で恵信尼と再婚した説もあります。
親鸞に関する文献が非常に少ないために諸説あるようです。
<<阿弥陀仏の救いを信じ念仏を唱えることで救われる道であれば、戒律も実質として不要となる、ということですね>>
法然の考えは、末法における正行は称名念仏だけだということでしょう。
その根拠として、末法においては戒律など守れない下根のものしか生まれないから戒律は無意味無効化され(末法無戒)、下根のものにふさわしい行こそが唯一の正行だという理論を作ったのでしょう。
念仏には古来、上中下とあって、上の念仏は仏の真理そのものを観じること。
中の念仏は、仏の姿をありありと観想すること。
そして、下の念仏は称名念仏(口称念仏)で声に出して南無阿弥陀仏と唱えること。
その中で、下根のものができるのは称名念仏だけなので、末法ではこれこそが正行と主張したのでしょう。
ただ、法然は自己矛盾していて、末法無戒といいながら自分は戒律を守っていましたし
仏の姿をありありと観ていたようです。
この矛盾が、親鸞に比べて法然が人気がない原因だと思います。
<<ここによく投稿されているみちおさんですが、もう見慣れた風景ではあります。
みちおさんは社会人として過ごされた時期を経て、今はご家族のお世話をされながらゆったりと生活されているようですよ。慣れてしまえばほっておくというか、そっとしておけるのかな、とも思いますが>>
そうですね。
アラシはそっとしておくのが一番かもしれません。
みんな慣れていてそっとしているみたいですので。
ありがとうございます。
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