仏教についてのひとりごと 60

仏陀の真意を探るのに非常に興味深い仏陀の言葉を見つけました。

sabbam paravasam dukkham
sabbam issariyam sukham

中村元の訳では
『他に従属することはすべて苦しみであり
自由(主体性)はすべて楽しみである』

パーリ語辞典では、paravasa は、『他人の意志にたよる・追従する』
issariya は、『統治権の主権・支配管轄』

 

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スッタニパータにも
『つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界を空なりと観ぜよ』
とあります。
しかし、仏陀の言う『空』と後世の『空』では全く違います。

仏陀の言う『空』は、『生じるものは必ず滅する。泡のようなものだ。』という意味での空です。

しかし、後世、ナーガールジュナ(龍樹)が現れ
縁起⇒相依性⇒無自性⇒実体がない⇒空
としてしまったのです。

これにより、仏陀の説いたことは全く違う方向に行ってしまいました。
仏陀の真意はこれによって全く失われたと考えています。
もちろん、仏陀の死後直後から神格化は進んでいましたし
根本分裂以後の部派仏教はアビダルマという煩瑣な哲学をもてあそぶようになり
仏陀の真意からはどんどん離れていっていましたが。

ナーガールジュナは『縁起』を哲学的に解釈して、
縁起から無我や空を導き出しました。
あらゆるものは、他との関連性によって成り立っているので、それ自体に固有の性質(自性)はなく、実体がない。空である、というわけです。

 

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いま、古道を見つけただけだという相応部経典の箇所を貼ろうとしましたが
なぜか貼れません。

その箇所で、仏陀は、その道とは、八正道と十二縁起だと言っています。

仏陀が生まれた古代インドでは求道者はウパニシャドなどは読んでいて当然のものでした。
仏陀も『ヴェーダの達人』などと言われています。

 

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そうですね。
少なくとも、仏陀自身は、自分が開祖となる独自の宗教、つまり仏教なるものを作ろうとは思っていなかった、ということではあると思います。
仏陀自体はそれまでもあった教えの正道を説いているという意識ではなかったでしょうか。

初期経典にはバラモン教ジャイナ教の用語がふんだんに出てきます。
それまでのインドの考えをより精神的に純粋に解釈した、ということでしょう。
例えば、不正の行為がなまぐさいのであり、肉食がなまぐさいのではない、とか
生まれによってバラモンではなく行為によってバラモンになるのだ、という考えですね。

しかし、後世になればなるほど、仏陀は仏教の開祖として神格化され
バラモン教ジャイナ教の違いを強調していき、共通点を排除していくようになります。
『私の宗教の教祖が一番』というわけです。

このような後世のフィルターのすべてを剝がしていって、仏陀の真意を突き止めたいものです。

 

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pipitさんに教わった、あのパーリ語原典サイトのおかげで、本当に助かっています。
もう一度感謝の意を伝えます。

私が知っている範囲では、仏法が滅びることに仏陀が言及しているのは
前にこのスレッドに書きました、
『女性の出家を認めたために、正しい法は1000年続くところが500年になった。』という箇所と
『本物の金が滅びるのは贋金が出てくる時であり、贋金が出てこない限り、わが法も滅びない。』
という箇所です。

<<悟りへ至る道は八正道として古来からあって、自分も今生でその道を発見したということかなと思いました。>>

そうかもしれませんね。
八正道や十二縁起は仏陀の独創だと思いますが、仏陀の悟りの中では、諸々のブッダたちが見つけた『古城に至る古道』であることが明確だったのでしょうね。

 

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比丘たちよ、たとえば、ここに人ありて、人なき林の中をさまよい、ふと、古人のたどった古道を発見したとするがよい。
 その人は、その古道にしたがい、進みゆいて、古人の住んでいた古城、園林があり、岸もうるわしい蓮池がある古き都城を発見したとするがよい。

 比丘たちよ、その時、その人は、王または王の大臣に報告していうであろう。
『尊きかたよ、申しあげます。わたしは人なき林の中をさまよっている時、ふと、古人のたどった古道を発見いたしました。その道にしたがって、ずっと進みゆいてみると、そこには古人の住んでいた古城がありました。それは、園林もあり、岸もうるわしい蓮池もある古き都城でありました。尊きかたよ、願わくはかしこに城邑(まち)を築かせたまえ』と

 比丘たちよ、そこで、王または王の大臣が、そこに城邑をつくらせたところ、やがて、その城邑はさかえ、人あまた集まりきたって、殷盛を極めるにいたったという。
 比丘たちよ、それとおなじく、わたしは、過去の正覚者のたどった古道・古径を発見したのである。

 比丘たちよ、では過去の諸仏のたどってきた古道・古径とはなんであろうか。
 それはかの八つの聖なる道のことである。
 すなわち、正見・正思・正語・正業・正命・正精進・正念・正定がそれである。比丘たちよ、これが過去の正覚者たちのたどった古道・古径であって、この道にしたがいゆいて、わたしもまた、老死を知り、老死のよって来るところを知り、老死のよって滅するところを知り、また老死の滅にいたる道を知ったのである。

比丘たちよ、わたしはまた、この道にしたがいゆいて、生を知り、・・・有を知り、・・・取を知り、・・・愛を知り、・・・受を知り、・・・蝕を知り、・・・六処を知り、・・・名色を知り、・・・識を知り、・・・またわたしは、この道にしたがいゆいて、行を知り、行のよってなるところを知り、行のよって滅するところを知り、また、行の滅にいたる道を知ったのである。

 比丘たちよ、わたしは、それらのことを知って、比丘、比丘尼ならびに在家の信男・信女たちに教えた。
 比丘たちよ、そのようにして、この聖なる修行は、しだいに広まり、おおくの人々によって知られ、また説かれるようになったのである

 

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八正道は四諦の中の道諦、
十二縁起の順観は四諦の中の集諦、
十二縁起の逆観は四諦の中の滅諦、
と考えていますから
四諦の中に全部の真理が入る=象の足跡にはすべての動物の足跡が入る
のでしょう。

ですから、四諦さえ本当にわかれば悟れる、ということでしょう。

 

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中村元は、十二縁起そのものは後の時代に教義が整えられてからだという主張をしていますね。
宮元啓一などは、そうではなく最初から十二縁起は仏陀の中で出来上がっており
相手により、無明からの十二支や行からの十一支、識からの十支、愛からの五支縁起などを使い分けたとしています。

スッタニパータの第三章に十二縁起の原型があります。
『無明』『行』『識』『触』『受』『愛』『取』が出てきて
『取』つまり執着によって、生存つまり『有』が起きる、ということには言及してます。


また、スッタニパータの第四章には
『名称と形態とによって感官による接触が起る』
『感官による接触によって快と不快が起る』
『快と不快によって欲望が起る』
『欲望によって愛し好むものが起る』
『愛し好むものによって悲しみ憂いなどが起る』
とあります。

スッタニパータの様な最初期の仏教では、十二縁起という形には整えられていなかったとは思いますが、『苦の縁って起こる原因』が詳しく考察されていて
十二支のほとんどの項目に言及されているのが分かります。

『無明』『行』『識』『触』『受』『愛』『取』『有』ははっきり言及されていますし
名称と形態とは『名色』、感官は『六入』です。