仏教についてのひとりごと 58

親鸞の教え、特に歎異抄は、中途半端に生齧りすると毒水になりますね。
micなどは毒が回っているとしか思えない(笑)

親鸞は徹底的に学問し修業しましたが、どうしても煩悩を捨てられない愚かな自分に絶望し、弥陀の本願に縋るしかない自分と見切ったのです。
この徹底した自己洞察と、凄まじいまでの自己否定を経ないものが、生半可に歎異抄をかじるととんでもないことになります。
悪人正機も、絶対の阿弥陀仏、そして絶対の阿弥陀仏の本願力のほうから見ないと、こちら側から見てしまうと大変です。

 

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親鸞の中でも最も有名な言葉、
『善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや』をどう解釈するか、は本質的な部分がわかる問いかけだとと思います。
『自分が善行をしていると誇っている善人よりも、自分が悪人だと認識している者のほうが謙虚で救われやすい』というような解釈なのか、
五木寛之が言うように『すべての人間が宿業として悪をかかえて生きているのであり、だからこそ人間に善人、悪人などという区別はないのだ』という意味なのか、
それとも全く違う意味か、
ここは面白いところですね。

 

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この場面ですね。

『念仏申し候えども、踊躍歓喜の心おろそかに候こと、また急ぎ浄土へ参りたき心の候わぬは、いかにと候べきことにて候やらん』
と申しいれて候いしかば、
親鸞もこの不審ありつるに、唯円房、同じ心にてありけり。』

弟子の唯円が、『私は念仏しても一向に踊躍歓喜の心が起きませんし、浄土に早くいきたいという心も起きません。これはいったいどういうことでしょうか。』と聞いたところ
親鸞が『唯円、お前もそうか!実は私もそうなのだよ。』

この場面はいつも爆笑してしまいます。
親鸞が飛び抜けて正直な人だったのは認めますが、踊躍歓喜の心が起きないようでは、親鸞の言う救いが本物だったのか、という感じです。

親鸞は、念仏しても一向に踊躍歓喜の心が起きないことについて考察します。
『よくよく案じみれば、天におどり地におどるほどに喜ぶべきことを 喜ばぬにて、いよいよ往生は一定と思いたまうべきなり。
喜ぶべき心を抑えて喜ばせざるは、煩悩の所為なり。
しかるに仏かねて知ろしめして、煩悩具足の凡夫と仰せられたる ことなれば、他力の悲願は、かくのごときの我らがためなりけり と知られて、いよいよ頼もしく覚ゆるなり。 』

つまり、踊躍歓喜の心が起きないのは、煩悩のせいである。
しかし、弥陀の本願は煩悩熾盛の凡夫のためのものであるから、それでいいのだ。

踊躍歓喜の心が起きないという事実に対して、理屈で自分を納得させているのです。

 

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親鸞の教えは劇薬なので、ほとんどの人には毒薬となりますが
三種類の人には良薬となるかもしれません。

一つは、自分を無学だと思っていて、無学であるから他の教えなど理解することもできず阿弥陀仏を信じるしかないと徹底した人です。こういう人が妙好人といわれる素晴らしい人格となっています。
もう一つは、自分の中のどうしようもない厭らしさや罪悪を知性によって洞察することができる人たち、特に文化人や知識人に多いですが、そういう人たちが親鸞の教えで救われることは多く、文化人には人気ありますね。
最後は、死刑囚などの犯罪人ですね。自分がどう懺悔してもし足りない犯罪を犯してしまったという罪悪感に苛まれている人は、親鸞の教えで救われるケースが多いです。

この三種類に共通なのは、徹底した自己否定ですね。
この、徹底した自己否定を経ない人が生半可に親鸞の教えをかじってしまうと
たちまち毒となるでしょうね。

 

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仏陀の父親は浄飯王と呼ばれていました。
また、仏陀の述懐によれば、家は極めて裕福で、召使たちにも毎食、米と肉が与えられていたようです。
いまでもそうでしょうけど、古代インドで米飯は珍しかったのではないでしょうか。
ネパールのルンビニで生まれたこともあり、インド本流の生活様式からは少し外れていたかもしれませんね。
米飯というところは、日本に近い食文化だと思いますね。

ただ、『仏陀の思想もインド的というより東洋的な感じがし』という指摘はどうでしょうか。
日本にもたらされた仏教というものは、つまりは中国仏教そのものでしたからそういう感じを受けるのでしょう。
日本の仏教なるものは、あくまでも漢訳された経典のみに基づき、その漢訳が絶対だと信じてきて
漢字一語一語に哲学的な意味を持たせることで発展させてきました。
そういう意味で、日本仏教なるものは、仏陀の教えというより中国仏教そのものですから
『インド的というより東洋的な感じ』がするのではないでしょうか。

 

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あなたがコピペしている、
『種々の規則のなかでどんな軽い規則でも犯し、また、ちょっとした悪行でも行ったら、かならずその報いを受け、その苦しみは際限なくつづくことを知るべきである。私の仏法はすっきりしている。たとえ粗悪な罪を犯しても罪にならないことはない。
したがって、してはならないと規定された規則は自覚して守らなければならない。これらの規則を守らなかったら、どのような教えをもって規則とするのだろうか。』
という文章をそのまま、
親鸞に言ってあげたらどうですか。

親鸞こそ、仏教の戒律そのものを徹底的に破壊した人ですよ。
僧侶でありながら堂々と肉食妻帯したのですから、それまでの仏教の戒律そのものを壊しまくったのですよ。
浄土真宗の坊さんで、仏陀が残した戒律をたった一つでも守っている人がいますか?
いるなら紹介してください。
絶対にいませんよ。

 

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あなたは、仏陀の定めた戒律を知っているのですか?
食事は一日一回午前中だけで、しかも托鉢(乞食)をして午前中にもらえなかったら
その日は食べてはいけないのですよ。
それが仏陀の戒律の基本です。
日本の出家でそのような戒律を守れた人なんかいませんよ。

特に性交には厳しく、出家でありながら一度でも性交したら直ちにサンガを追い出されました。

親鸞は、仏陀の定めた戒律はおろか、日本仏教の何ともゆるーい戒律もガンガンに破りました。
みんな隠れて破戒していたのを堂々と壊しまくったのですよ。
親鸞は日本仏教の破壊者です。
あなたは、親鸞の教えを信じていると言いながら、戒律を守れだとか、出家しろとか
とんでもなくトンチンカンですよ。
仏教史の基本もまるで知らないようですね。
少しはインド、中国、日本の仏教史を知ってから仏教を語ってくださいね。

 

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2500年前となると、米は非常に貴重な食べ物だったのではないでしょうか。
ですから、召使にさえ、毎食、米と肉を食べさせていたというのは裕福の極みでしょうね。
たぶん、豆を食べる人が多かったのではないかと思います。
だからわざわざ、仏陀の父親は、浄飯王(浄飯は白米のこと)と呼ばれたのでしょう。
白米を食べることができる王、ということです。

私は仏陀はモンゴリアンだったと思いますよ。
アーリア人は紀元前5世紀にはガンジス川中流には定住していたと思いますが
ネパールのルンビニあたりは、モンゴリアンだったのではないでしょうか。

 

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