歴史上の仏陀が本当に言ったことがわかってくる時代

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ぼくは、仏陀が生きていた初期の頃の仏教は、仏陀は我々が手を伸ばせば手の届く存在だったのだと思います。それが、次第に、大乗仏教になってからの仏陀は、我々がどんなに手を伸ばしても届かない神とか仏とかの遠い存在へと変わって行ったのだと思います。手の届く存在にあった仏陀と、永遠に手が届かない仏陀が、同じ存在であるはずはありません。ぼくは、そんなふうに考えています。
 
 
そうですね。
例えば、仏教の言語と言えばサンスクリット語だとほとんどの人は思っています。
しかし、歴史上の仏陀は、自分の教えをサンスクリット語で説くことを禁止したのをご存知ですか?
 
引用したものを貼ります。
釈尊の時代の正統バラモンの言語はサンスクリット語でした。西のギリシャ語に似たア-リア民族の言語で文法の整備された格式高い言語でした。インドエリ-トに相応しい言語でした。もとバラモン教徒から釈尊の弟子となった兄弟の仏弟子が居ました、釈尊の高尚なさとりの内容を卑俗な言語で説くことは仏教の冒涜になると考え、釈尊サンスクリット語で説法するように願いました。釈尊はその要求を却け、だれでも理解できる一般民衆の言語で説くと宣言し、サンスクリット語の採用を禁止しました。この言語方針はのちに仏弟子の幹部に継承されて南伝の上座部系仏教となり、スリランカ・ミャンマ-及びタイ国ら東南アジア仏教となります。』
 
 
サンスクリット語は古代インドのヴェーダなどで使われた聖典専用の言語、バラモン専用の言語です。古代のインド哲学の基礎であるために哲学用語や抽象的な言葉、形而上学の用語などが完璧に備わっている言語です。
しかし、歴史上の仏陀は、サンスクリット語で仏の教えを説くことを禁止しました。
あくまでも、マガダ語やパーリ語など、その地方の大衆が日常会話で使っている言語で説きなさいと命じたのです。
 
これを見ても、後世になればなるほど、仏陀の真意から大きく乖離していったことがわかります。後世の仏教者はサンスクリット語を使って哲学的な思弁に耽るようになりました。
 
 
仏陀の真意は、長い歴史の中で、歴史の堆積物に深く埋もれてしまいました。
 
やっと今になって初めて、歴史上の仏陀が本当は何を言ったかが分かるようになりました。
ごく最近になるまで、仏陀の肉声に一番近いものはどれか、さえ全くわからなかったのです。
明治以前は、最古層で仏陀の肉声に最も近いスッタニパータは阿含経典群にも入っていないため日本に入って来てなく日本人が読むことはできませんでした。
 
 
パーリ語仏典やパーリ語辞典がどんな地方でも入手できるようになったのは、ネットができ、Amazonができてからずっとあと、ごく最近のことです。
今までは、パーリ語原典は専門の仏教学者の独占物であり、一般の大衆はその仏教学者の解釈、フィルター、色眼鏡を通してしか知り得ませんでした。
 
歴史上の仏陀が言ったことを誰でも簡単に調べることができるようになった今から、仏教は様変わりするでしょう。
歴史上の仏陀が言いたかったことは本当は何なのか、それを探求する人も多くなるはずです。
 
今までの仏教者や仏教学者が解説してきたことをいったん白紙にして、最古層の仏典、仏陀の肉声に一番近い仏典のパーリ語原典から見ていけば、いかに仏教が仏陀の真意からかけ離れたものになっているか愕然とするはずです。