仏教の全肯定へ

今まで仏陀が説いたとされる原始仏典から歴史上の仏陀が本当に言いたかったのは何かを探求してきました。

その過程の中で、どうしても大乗仏典を軽視するようになっていきました。

これは、原始仏典を研究する人にはよくあることです。

逆に言えば大乗仏教一辺倒で来ている人は、原始仏典を『小乗仏教』と見下すことが多いです。

歴史上の事実からすれば、歴史上の仏陀=ゴータマ・シッダッタが説いた教えは第一結集で500人の直弟子によって確認、確定されていて、それを後に経典にしたのが原始仏典ですから、歴史上の仏陀の真意を知ろうとすればまずは原始仏典に取り組まなければなりません。

 

歴史上の仏陀の真意を探るとともに、なぜ大乗仏教は興ったのか、も私の大きなテーマでした。

解明するのには、グレゴリー・ショペンの『4世紀までは大乗教団というものはなく、大乗仏典だけがあった』という最新の説は役に立ちました。

初期大乗の『法華経』の中にもヒントがありました。

大乗仏教は、根本分裂の後の大衆部が発展して大乗仏教になったわけでもなく、仏塔管理の在家が始めたわけでもありませんでした。

 

私は、いま、大乗仏教は、部派仏教に不満を持ち『これは仏陀の真意ではない』と叫んだ人たちによる仏陀の真意の復興運動だったと確信しています。

なぜ、その人たちは部派仏教に不満を持ち、仏陀の真意はそんなものではないと思ったのか、です。

それは、仏陀の死後、教団が確立し大きくなるにしたがって、仏陀という『宗祖』の教えが他とは全く違った優れた教えであるということを強調していって、それまでのインドの豊饒なるものを排除していき、大いなるものを見失っていったからです。特にバラモン教を全否定し対立するものとしての理論構築がなされるようになりました。その過程で大いなるものを喪失していったのです。

 

私は今、原始仏教と大乗仏教をすべて包含した仏教の全肯定へと進みました。

                       (2019年9月19日)