慈悲喜捨の『喜』と七覚支の『喜』

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「慈悲喜捨」にも「七覚支」にも「喜」が出てきます。文字通り「喜ぶ」という意味なんでしょうが、何かしっくり納得できません。何を喜ぶんでしょうか?
 
 
 
 
慈悲喜捨の『喜』と七覚支の『喜』は漢字では同じ『喜』ですが
 
慈悲喜捨の『喜』は
muditā
 
七覚支の『喜』は
pīti
 
です。
 
慈悲喜捨の四無量心は、今までは、慈悲と喜捨というように解釈されていますが
私は、慈はスッタニパータにそれだけが出てくることからもわかるように、無量心の原型、最初期には慈無量心が説かれていたと考えます。
『生きとし生けるものが幸せであれ』ということです。すべてを生かす宇宙の働きです。
私はむしろ、悲と喜が対照しているように思えます。
『悲』は苦しんでいるものを救いたいという宇宙の働き
『喜』は真理によって喜びに復帰したものを喜ぶ働き
だと思っています。
 
七覚支は念⇒択法⇒精進⇒喜⇒軽安⇒定⇒捨です。
その中の『喜』pīti は身体的感覚に関する快です。
念⇒択法⇒精進 
つまり
四念処⇒択法⇒四正勤 
をすることによって
身体も心も軽くなり安定して身体的な快=喜を感じることです。
 
 
ですから、慈悲喜捨の『喜』と七覚支の『喜』は同じ漢字でも全く意味が違います。