四念処

 『涅槃へ至る一乗道』と歴史上の仏陀が言った四念処について、今の時点での私の解釈を書きます。あくまでも私独自の解釈ですので、全く間違っている可能性も高いですが、今思っているところまで書いておきます。


私は、四念処観とは、身・受・心・法において、無常であり(生ずるものは滅するという生滅の法)、苦であり、非我であるという仏陀の理法を観じていくことだと思っています。

四念処の最後『法』が七覚支の『択法』につながり、『四正勤』につながると考えます。

まずは、四念処とは、自分の身(肉体)、受(感覚)、心(思考)、法(記憶や観念)につき、どれもが『私ではない』と切っていくことです。

長くなりますので、非常に簡潔に言いますと、
身(肉体)は、自分の肉体は死体のように腐って朽ち果てる性質のものであることを観じ、『私ではない』と観じます。
受(感覚)は、苦受・楽受・非苦非楽受がありますが、そのどれも束縛であり苦に行き着くものであり『私ではない』と観じます。
心(思考)は、受に反応して起きます。その生じて滅するありさまを観じ、そのような根のないものは『私ではない』と観じます。
法(記憶・観念)は、蓋であり、精神を縛するものであると観じ、『私ではない』とどんどん切り捨てていきます。

これが私が考える四念処です。