2021-04-01から1ヶ月間の記事一覧
中部経典の第37は、『小愛尽経』です。 愛尽とは、渇愛の滅尽のことです。 同じ問答が3回繰り返し出てきます。 それは、神々の主サッカ(帝釈天)が仏陀に質問し仏陀が答えた問答を、マハーモッガッラーナ尊者がサッカに聞きに行くのと、マハーモッガッラ…
中部経典の第36は、『大サッチャカ経』です。 この経典には、仏陀が出家してから行なった苦行の数々が詳細に語られています。 これ以上はないほどの、苛酷な修行に打ち込みますが、最勝の智見を得ることができませんでした。 そこで苦行を止め 四禅⇒三明⇒…
大般涅槃経の有名な言葉『自らを島とし、法を島とせよ』は、 自洲法洲とも、自燈明法燈明とも、自帰依法帰依とも言われますが、その本当の意味は何でしょうか。 大般涅槃経では、仏陀は、 『この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、…
中部経典の第35は、『小サッチャカ経』です。 サッチャカとは人の名前です。 ジャイナ教徒で、議論を好み、賢者を自称し、多くの人に善人と認められていた人のようです。 議論において自信満々な人であったようです。 仏陀が 色は無常である 受は無常であ…
遠佐 (126.77.139.124) 2021-04-24 21:08:36 ショーシャンクさん こんばんは。 良寛の災難に逢時節には災難に逢がよく候 ですが、私はこの言葉の意味をずっと考えていました。 そして、ふとした折、小林秀雄の「事変と文学」というエッセイを読み、その最後…
中部経典の第34は、『小牧牛者経』です。 これは、前編の『大牧牛者経』を受けてより具体的な内容になっています。 これも無知な牧牛者の例え話です。 その昔、マガダ国に住む無知の牧牛者がいました。 ガンジス川のこちらの岸を確認せずあちらの岸も確認…
中部経典の第33は、『大牧牛者経』です。 この牧牛者の喩えは大変面白いのですが、マニアックすぎて最初に説明がないとその喩えの巧みさがわかりません。 ダメな牧牛者、つまり牝牛から乳を充分に取れず、牛を増やすこともできない牧牛者の特徴を11個挙…
中部経典の第32は、『大ゴーシンガ経』です。 これは、前編の『小ゴーシンガ経』と同じ、ゴーシンガのサーラ森林にて説かれたものです。 『小』のほうは、釈尊と3人の比丘(アヌルッダ、ナンディヤ、キミラ)が登場人物でしたが、『大』は、オールスター…
中部経典の第31は、『小ゴーシンガ経』です。 仏陀の弟子である3人の尊者が住み、そこで仏陀の説法が行なわれたのが、ゴーシンガのサーラ森林と呼ばれる森であったので、題名にゴーシンガがついています。 3人の尊者、アヌルッダとナンディヤとキミラが…
くり (119.228.245.134) 2021-04-18 10:59:30 ショーシャンクさま おはようございます。 緑が美しい時期となりました。 いつも初期経典のご紹介ありがとうございます。 ショーシャンクさまの簡潔な解説を見ては{ああ、お釈迦様はそんなことを仰っているのか…
中部経典の第30は、『小心材喩経』です。 この経典は、第29の『大心材喩経』と同じ喩えです。 ただ、違うのは、『大心材喩経』では、心材とは不動の心の解脱を指しましたが、この『小心材喩経』では、 第一禅 第二禅 第三禅 第四禅 空無辺処定 識無辺処…
中部経典の第29は、『大心材喩経』です。 この経典は、樹の心材の喩えです。 樹の心材とは、樹の中心部分、芯のことです。 硬くて腐りにくいことから、木材の最も価値ある部分です。 この経典は、提婆達多が離反して間もないころに説かれたもののようです…
中部経典の第28は、『大象跡喩経』です。 この経典は 『縁起を見る者は法を見る。法を見るものは縁起を見る。』という言葉で有名です。 この経典に書かれている『大きな象の足跡』というのは、四諦の法のことです。 ジャングルのいかなる生き物の足跡も、…
中部経典の第27は、『小象跡喩経』です。 この経典は、ただ単に象の足跡が大きかったからといって象の専門家(笑)は『大きな象』の足跡とは見ない。大きな足跡を残す小さい象もいる。それでは何を見て『大きな象』と判断するのか?という喩えです。 なか…
中部経典の第26は、『聖求経』です。 この経典は、仏陀が、自らの出家の動機や、出家した後、アーラーラ・カーラーマやウダカ・ラーマプッタのところで禅定を学んだこと、しかしそれを捨てて去り、自ら修行して悟ったこと、梵天勧請や、初転法輪が書かれて…
中部経典の第25は、『餌食経』です。 猟師が鹿を捕まえるために撒く餌の喩えです。 第一の鹿の群れは、猟師が撒いた餌の中に入り夢中になって食べました。もちろん、すぐ猟師に捕まってしまいました。 第二の鹿の群れは、第一の鹿の群れの有様を見ていたの…
中部経典の第24は、『中継車経』です。 サーリプッタとプンナという長老同士の対話です。 プンナが中継車の喩えをしたことから中継車経と呼ばれます。 プンナは貿易商であり、長者だった人です。 説法第一と言われていて、わかりやすく面白い説法で大人気…
中部経典の第23は、『蟻塚経』です。 クマーラカッサパという比丘のところに、ある神が訪ねてきて、次のような話をしたということです。 この蟻塚は夜に煙を出し、昼に燃えています。 バラモンは次のように言いました。 『賢者よ、剣を持ち、掘りなさい。…
中部経典の第22は、『蛇喩経』です。 この経典には、有名な『筏の喩え』も出てきます。 本当は『筏喩経』のほうがいいのですが、蛇の喩えのほうを題名としたようです。 アリッタという比丘が、『世尊が障害であると述べられたこれらの法を行なっても、障害…
中部経典の第21は、『鋸喩経』です。 この経典は、どのような言葉を投げかけられても、どのような仕打ちをされても、鋸で手足を切断されようとしても、一切の世界を対象とした慈心=慈無量心であるべきだという教えです。 いろいろな例を挙げて、最後は、…
中部経典の第20は、『考相経』です。 この経典は、不善の法が心に起こったときの5つの対処法について説かれます。 不善の法とは不善の考え、悪い想いです。 そして、ここでも、 不善の法を滅する⇒定 ということが説かれます。 これは数多くの経典に出てき…
pipitさんが、ご自身の掲示板に貼られていた 森章司先生『死後・輪廻はあるかーー「無記」「十二縁起」「無我」の再考ーー』http://www.sakya-muni.jp/pdf/bunsho12.pdf の論文がとても素晴らしかったです。 全文素晴らしいので、全文を載せようと思いました…
中部経典の第19は、『二種考経』です。 この経典は、仏陀の修業時代(まだ正しい覚りを得ていない菩薩の時代)の回想です。 菩薩という言葉が、原始仏教では、まだ正しい覚りを得ていない修行者という意味で使われていることに注目です。 そして、この経典…
中部経典の第18は、『蜜玉経』です。 この経典は、仏陀が『この法門を〈蜜玉の法門〉として受け止めなさい』と言ったとあります。 蜜玉とは、蜜と砂糖で作られたお菓子ということです。 現代の感覚では、コンビニで100円あれば買えるようなものですが、…
中部経典の第17は、『山林経』です。 この経典は、最初を読むと、山林に住むことについての心得のように思えるでしょう。 しかし、実は、山林だけではなく、村、町、都市、地方のどれにおいても、そこに住むべきかどうかの基準が語られています。 それどこ…
中部経典の第16は、『心不毛経』です。 この経典は、五つの心の不毛と、五つの心の束縛について説かれます。 そして、五つの心の不毛と五つの心の束縛が捨てられたとき、四神足と努力が起きます。 全部で十五の部分であり、これをそなえたならば、最上の無…
中部経典の第15は『推理経』です。 この経典は、 悪言業と善言業を作る諸々の法(それぞれ十六法ある)につき説かれ その十六の法を『推理』すること その十六の法を『観察』すること が説かれます。 悪言業とは、悪言の行為(kamma)のことです。 善言業…
中部経典の第14は、『小苦蘊経』です。 この経の前半は、第13の『大苦蘊経』と同じことを語っています。 『大苦蘊経』との違いは、後半のニガンタ(ジャイナ教徒)たちとの問答です。 仏陀がジャイナ教徒に『なぜあなたたちは苦行するのか?』という意味…
中部経典の第13は、『大苦蘊経』です。 この経は、異教の行者たちの質問『ゴータマもわれわれも、欲・色・感受の知悉を主張している。どのような違いがあるのであろうか?』に答えた説法です。 仏陀は、こう言います。 欲の 楽味(assada)・危難(adinava…
前に、大般涅槃経(大乗涅槃経も同じ題名なので、区別するためパーリ涅槃経という)の仏陀のメッセージによって、後に大乗仏教が興ったと書きました。 そして、『大獅子吼経』でも、同じ感想を持ちます。 『大獅子吼経』も、パーリ涅槃経と同じく、仏陀80…