中部経典『大サッチャカ経』

中部経典の第36は、『大サッチャカ経』です。

 

この経典には、仏陀が出家してから行なった苦行の数々が詳細に語られています。

これ以上はないほどの、苛酷な修行に打ち込みますが、最勝の智見を得ることができませんでした。

そこで苦行を止め

四禅⇒三明⇒解脱

となります。

修業時代や、悟りの内容である四禅⇒三明⇒解脱に関しては、他の経典と重複します。

 

この経典の特徴としては、苦行の内容が詳しく書かれていることです。

そして、仏陀の苦行が、止息と断食であることがわかります。

呼吸と食事は生きる上で必須のものですから、つまり生存欲を滅しようということでしょう。

 

その他は、ほとんど他の経典にも出ていることですが、この経典は細かな箇所で面白い記述があります。

 

ひとつは、濡れた木片の喩えです。

火を起こそうとしている人がいます。

樹液があって水に浸けられている木片、水からは離れているけど樹液がある木片、水から離れていて樹液のない乾いた木片、のうち、初めの2つの木片からは火は出ません。火をおこそうとする人は最後の木片から火を起こすでしょう。

樹液や水は欲や煩悩の喩えです。

樹液があって水に浸けられている木片は、心の修習も身の修習もできていない修行者の喩え。

水からは離れているけど樹液がある木片は、身の修習はできているが心の修習ができていない修行者の喩え。

最後は身も心も修習ができている修行者です。

 

 

次に面白いエピソードは、サッチャカが、仏陀に対し、仏陀が日中に眠ったことについて問いただすところです。

簡単に言えば、『昼寝してたではないか。それは身の修習ができてないということでhないのか?』ということです。

仏陀は、『夏季の最終月に、食後、托鉢食から離れると、大衣を四つ折りに敷き、右脇を下にして、念をそなえ、正知をそなえて眠りに入ったことを憶えています。』

サッチャカは『ある沙門やバラモンたちは、これを迷いの住まい(sammoha-vihara)と語っています。』と言います。沙門やバラモンたちは、仏陀が昼寝しているのを見て、修行を怠けてる、なってない、と非難していたのでしょう。

仏陀は、『これだけをもって迷いのある者、迷いのない者にはなりません。』

『いかなる者でも、汚れのある、再生に導き、恐れを伴い、苦しみの果報のある、未来に生まれと老いと死のある、もろもろの煩悩が断たれていなければ、彼を私は迷いのあるものと言います。汚れのある、再生に導き、恐れを伴い、苦しみの果報のある、未来に生まれと老いと死のある、もろもろの煩悩が断たれていれば、迷いのない者と言います。』

これを聞き、サッチャカは感激します。

自分が議論をふっかけて、いろいろな攻撃的な言葉を投げかけたにもかかわらず、仏陀が平静で顔の色も澄んでいることに驚いたのです。

 

そして、自分が六師外道の6人それぞれに同じように議論を交わしたときは、6人とも、話をそらしたり、怒りや嫌悪や不満を顕わにしたと語ります。

 

故に、仏陀は阿羅漢であり正自覚者であると確信したのです。

 

インドにおいては、宗教上の議論は古来さかんに行なわれていました。

仏陀も、このサッチャカのような人からさかんに議論をふっかけられます。

そしてそのつど、相手を感服させています。

これはすごいことです。

仏教では、部派仏教も他の部派との議論に明け暮れていましたし、龍樹は説一切有部との論戦に明け暮れていました。

中国でも、天台宗と華厳宗との論戦は有名ですし、日本では叡山と南都との論戦が有名です。

最澄と南都の論戦だけでなく、若くて無名であった良源が南都の最優秀な人と論戦し完全に論破したことから、中興の祖ともなりました。

仏教の論戦は負けると負けた側の宗旨が間違っていたことになりますから、それは真剣でした。

 

あの温和なイメージの強い法然も、自説が師の考えと違った場合には一歩も引かずに論争を続け師匠からボコボコに殴られ血を出したことがあるくらいです。

仏教の歴史を見ると、論戦や法論の歴史でもありました。

 

しかし、この『大サッチャカ経』を見てわかるように、同じ議論をしても、六師外道の6人と仏陀は全く違ったということです。

その説得力がまず違っているのと、どんな議論でもきわめて平静です。

ここで本物かどうかの違いが分かります。

すぐ罵詈雑言するようであれば、それは間違いなくニセモノです。