中部経典の第19は、『二種考経』です。
この経典は、仏陀の修業時代(まだ正しい覚りを得ていない菩薩の時代)の回想です。
菩薩という言葉が、原始仏教では、まだ正しい覚りを得ていない修行者という意味で使われていることに注目です。
そして、この経典でも、
煩悩(不善の法)を滅する⇒四禅定⇒三明(宿住智・天眼智・漏尽智)⇒解脱
という道筋が示されています。
この道筋は極めて重要なために、数多くの経典において説かれています。
仏陀はこう言います。
私は、まだ正しい覚りを得ていない菩薩であったとき、こう思いました。
「私は、二種ずつにして考えの中に住んでみてはどうであろうか」と。
欲の考えになるもの、怒りの考えになるもの、害意の考えになるもの、これを一の部分にしました。
欲のない考えになるもの、怒りのない考えになるもの、害意のない考えになるもの、これを第二の部分にしました。
そして、一の部分の考えが起こったときに、「これは、自らを、他を、両者を害するためになる」「涅槃のためにならないものである」と熟慮するようにしているうちに、一の部分の考えは消えていったと言います。
次に、第二の部分の考えが起こったときに、「これは、自らを、他を、両者を害するものにならない。涅槃のためになるものである。」と考え続けたといいます。
その結果、その通りに意向、心の傾向性が生じたといいます。
そこで、精進が始まり、念が現前し、心が安定したといいます。
そして、第一禅定、第二禅定、第三禅定、第四禅定に達して住んだといいます。
その後、過去の生存を想起する智に心を傾注し向けた、といいます。
(宿住智)
次に、生ける者たちの死と再生の智に心を傾注し向けた、といいます。
(天眼智)
次に、もろもろの煩悩を滅する智に心を傾注し向けた、といいます。
そして
これは苦である
これは苦の生起である
これは苦の滅尽である
これは苦の滅尽に至る道である
これは煩悩である
これは煩悩の生起である
これは煩悩の滅尽である
これは煩悩の滅尽に至る道である
と如実に知りました。
(漏尽智)