災難をのがるる妙法

 遠佐 (126.77.139.124)  
ショーシャンクさん こんばんは。
良寛の災難に逢時節には災難に逢がよく候 ですが、私はこの言葉の意味をずっと考えていました。
そして、ふとした折、小林秀雄の「事変と文学」というエッセイを読み、その最後にこうあるのを知り、あ、これだなと思ったのです。
それは、こういう文です。  
困難な事態を、試練と受取るか災難と受取るかが、個人の生活ででも一生の別れ道となろう  と書かれています。
すなわち、良寛も、災難を試練と受け止めて、それを乗り越えろ、と励ました、と言うことだろうと思うのです。
災難に遭う時は遭えばいい、とはいいませんよ。
良寛は馬鹿じゃありません。
私は小林秀雄の文をよんで、アッと思ったのです。それは人生のとらえ方の根本を示していると思います。

 

 

 

 

遠佐さん、こんにちは。

 

良寛の住む新潟で1500人以上の死者を出す地震がありました。

そのとき、その地震で子供を亡くしてしまった山田杜皐に手紙を書きます。

 

「地震は信に大変に候。野僧草庵は何事もなく、親類中死人もなくめでたく存じ候。うちつけに、死なば死なずに永らえて、かかる憂きめを見るがわびしさ」

 

これが書き出しです。

地震は大変だよね、でも、自分の住居には何ごともなく、自分の親類にも死んだひとがなかったのでめでたいことだと思っている。

と言う意味です。

子供を亡くした人に対して、自分のほうは全員無事だったのでめでたい、と書き送る感性が理解できません。

私ならもし同じことを書き送るのでも、『自分の住居や親類は何ごともなかったですが、地震は本当に大変なことだと思います。』と書いて、『めでたい』と言う言葉は絶対に使わないでしょう。

 

そして、その後、

 

災難に逢う時節には災難に逢うがよく候
死ぬ時節には死ぬがよく候
これはこれ災難をのがるる妙法にて候

 

と言う言葉が出てきます。

 

この意味については、いろいろな捉え方があるでしょう。

遠佐さんが言われるように、災難を試練と捉えて乗り越えよう、という意味ととらえるのが一般的かもしれません。

 

私はたぶん良寛はこういう意味で言ったと思っています。

 

いまで言えば、ワンネス、ノンデュアリティの人が言っている意味です。

 

災難はあっても災難に遭う『人』はいない

死ぬ『人』はいない

『私』というものがない以上、災難に遭う『私』もないし、死ぬ『私』もない。

このように『私』などないと見極めるのが、災難を逃れる妙法にて候。

 

つまり

災難に遭って、苦しみ、嘆き悲しみ、その災難を避けようとする『人』などいないということを見極め、

災難と見えていることもただ起こっているだけと見極めなさい、それを避けようとするのは自我の働きだ、と。

 

 

このようなことだろうと思います。

そして、それはある一面の悟りではあると思います。

 

悟りではあるのですが、一面にしか過ぎない。

 

悟りには、それ以上つまり、向上、があると考えます。

 

災難が起きていることをあきらめたり、災難を容認するのではなく

我此土安穏としていく働きがなければ、空一辺倒の虚無主義に留まります。

 

 

 

 遠佐 (126.77.139.124)  
このようなことだろうと思います。ってショーシャンクさんが思うのですよね。だけど、それは悟りの一面だ、と。ここで自我はないと仰った。じゃあ、ただおこっていることと見極めるのは誰ですか。悟りには向上があると仰る。では向上するのは、誰ですか。緊急の非常時に私は向上したいから、こうやろうと二元的に考えてやる人はいないでしょう。誰しも、必死になって我を忘れて対処するでしょう。それを試練ととらえて困難に向かうことだ、と言うのだと思います。大地震が起きた時、自我はないから、地震はないと考える人はいませんよ。
 
 
そうですよ。あくまでも、ここは私の考えを書いています。
それが正しいか間違っているかは、それぞれの人の判断でいいのです。
 
私が、たぶん良寛はこういう意味で言ったのではないかと思っただけです。
 
ノンデュアリティという考え方はご存じですか?
日本で最も有名なのは、大和田菜穂さんという女性です。
禅僧とコラボしており、禅の悟りがノンデュアリティだと考える人もかなりいます。
 
大和田菜穂さんの書いていることを読んだら、
『大地震はあるけど大地震に遭う『人』はいない』
『災害はあっても、災害に遭う『自分』はない』
などと言っています。
 
遠佐さんの考えは最も妥当だと思います。
 
私は、良寛はあまり評価していないので、また大和田菜穂という人も評価していないので、同じような一面的なワンネスの考えで発した言葉ではないかと思ったのです。
 
私は、災難に遭うのは全力で避ける努力をすべきだと考えていますので、良寛のこの言葉には批判的です。