中部経典の第15は『推理経』です。
この経典は、
悪言業と善言業を作る諸々の法(それぞれ十六法ある)につき説かれ
その十六の法を『推理』すること
その十六の法を『観察』すること
が説かれます。
悪言業とは、悪言の行為(kamma)のことです。
善言業とは、悪言の行為をしない者になることから起こるとされます。
悪言業を作る十六の法とは
1,悪欲に支配される者になること
2,自分を誉め、他人を貶す者になること
3,忿怒に征服される者になること
4,忿怒によって恨みを抱く者となること
5,忿怒によって執念を抱く者となること
6,忿怒ある言葉を発する者になること
7,叱責者によって叱責され、叱責者に敵対する者になること
8,叱責者によって叱責され、叱責者を非難する者になること
9,叱責者によって叱責され、叱責者に言い返す者になること
10,叱責者によって叱責され、話をそらし、怒りや嫌を顕わにする者になること
11,叱責者によって叱責され、所業について語ることができない者になること
12,被覆のある、脳害のある者になること
13,嫉妬のある、吝嗇のある者になること
14,誑かしのある、諂いのある者になること
15,強情のある、過慢のある者になること
16,我見に固執し、捨てることができない者になること
善言業を作る十六の法は、以上の悪言業を作る十六の法の反対です。
以上の悪言業を作る十六の法を『しない者になること』です。
その十六の法を『推理』するとは
悪言業を作る十六の法のひとつひとつにつき、もしある人がそのような者であれば好ましくないと知って、自分はそのような者になるまいと心を起こすことです。
その十六の法を『観察』するとは
悪言業を作る十六の法のひとつひとつにつき、自分はそのような者であるか、そのような者でないかを観察することです。
そのような者であるならば、その不善の法を断つ為に努力する、
そのような者でないなら、その歓びと満足によって諸々の善法を学び住むべき、
と説かれます。