中部経典『大苦蘊経』

中部経典の第13は、『大苦蘊経』です。

 

この経は、異教の行者たちの質問『ゴータマもわれわれも、欲・色・感受の知悉を主張している。どのような違いがあるのであろうか?』に答えた説法です。

 

仏陀は、こう言います。

 

欲の  楽味(assada)・危難(adinava)・出離(nissarana)

色の  楽味(assada)・危難(adinava)・出離(nissarana)

感受の 楽味(assada)・危難(adinava)・出離(nissarana)

を知っているかいないかが違いである、と。

 

欲の楽味とは、眼耳鼻舌身によって識られる好ましい色声香味触のこと。

 

欲の危難とは、そのような欲の楽味を得るための労苦、得られないときの愚痴、奪われる恐怖、奪い合いの争い、そしてその争いが口論から刃物での戦い、殺し合いまで発展すること、このようなことを言います。

 

欲の出離とは、欲貪の捨断を言います。

 

色の楽味とは、例えて言うなら、15,6歳の少女のような輝いている状態。

色の危難とは、例えて言うなら、そのような少女が年老いて、病み、死んで墓場に捨てられ、獣に食べられ、骨が散乱し、腐食しているような状態。

色の出離とは、そのような色の楽味と色の危難を知って、色に対する欲貪を捨断すること。

 

感受の楽味とは、諸々の欲を離れ、不善の法を離れ、第一禅、第二禅、第三禅、第四禅に達して住み、ただ不害の感受のみを感じる、そのような最上の不害を感受の楽味という。

感受の危難とは、感受は無常であり苦であり、壊滅する性質のものであるから、感受は危難である。

感受の出離とは、諸々の感受に対する欲貪の捨断のことである。