中部経典の第25は、『餌食経』です。
猟師が鹿を捕まえるために撒く餌の喩えです。
第一の鹿の群れは、猟師が撒いた餌の中に入り夢中になって食べました。もちろん、すぐ猟師に捕まってしまいました。
第二の鹿の群れは、第一の鹿の群れの有様を見ていたので、すべての餌食を避けることにしました。怖れによって食べることを離れ、深く森の中に入りました。
しかし、草や水がなくなり、気力をなくしてしまいました。
そして、結局、猟師の撒いた餌食の中に入り夢中で食べてしまい、捕まってしまいました。
第三の鹿の群れは、第一第二の群れを見ていたので、餌食に夢中にならないように気をつけようと決心しました。
そして、猟師の撒く餌食の近くの密林の茂みなどを住処として、猟師の注意が逸れたときに夢中にならずに餌食を食べてすぐ住処に帰るようにしました。
猟師は考えました。
猟師が注意をそらしたときに餌を食べに来るので、餌の近くに住んでいるはずだと。
それで、撒く餌一帯に大きな罠を仕掛けました。そして、住処を見つけ、捕まえました。
第四の鹿の群れは、第一第二第三の群れを見ていたので、こう考えました。
われわれは、猟師とその仲間が行かないところに住処を設けよう。
そして、猟師が撒く餌の中に入らず、夢中にならずに餌を食べよう。
この第四の鹿の群れは、猟師には住処がわからず、猟師から逃れられることができました。
〈餌〉とは、五種妙欲のこと。ここちよい色・声・香・味・触。
〈猟師〉とは、魔のこと。仏教では煩悩に引き込む力のこと。
〈鹿の群れ〉とは、沙門・バラモンのこと。
それでは、第四の鹿の群れが考えた〈猟師の行かないところ〉、つまり〈魔の行かないところ〉とはどこでしょうか。
ここで、仏陀は、
第一禅
第二禅
第三禅
第四禅
空無辺処
識無辺処
無所有処
非想非非想処
を挙げます。
そして、非想非非想処を超え、想受滅に達して住みます。
慧によって見、彼にはもろもろの煩悩が滅尽します。
ここでも、
禅定⇒漏尽智
が説かれています。