中部経典の第34は、『小牧牛者経』です。
これは、前編の『大牧牛者経』を受けてより具体的な内容になっています。
これも無知な牧牛者の例え話です。
その昔、マガダ国に住む無知の牧牛者がいました。
ガンジス川のこちらの岸を確認せずあちらの岸も確認せず、渡し場でないところから牛たちを向こう岸に渡そうとしました。
その結果、牛たちは川の真ん中で溺れて死んでしまいました。
ちょうどそのように、この世について巧みでない、あの世について巧みでない、魔の領域について巧みでない、魔を超えた領域について巧みでない、死の領域について巧みでない、死を超えた領域について巧みでない比丘たちがいます。
かれらの言を聞いたものは、長く不利益に、苦しみになるにちがいありません。
その昔、智慧を備えた牧牛者がいました。
ガンジス川のこちらの岸を観察し、あちらの岸を観察して、渡し場から牛たちを対岸に渡そうとしました。
最初に、父牛であり首領牛である牡牛を渡しました。
次に、力のある牛を渡しました。
つぎに、牡の仔牛を渡しました。
つぎに、力の弱い仔牛を渡しました。
そして、生まれたばかりの幼い仔牛も向こう岸に着きました。
ちょうどそのように、この世について巧みである、あの世について巧みである、魔の領域について巧みである、魔を超えた領域について巧みである、死の領域について巧みである、死を超えた領域について巧みである比丘たちがいます。
かれらの言を聞いたものは、長く利益に、安らぎになるにちがいありません。
父牛は、阿羅漢の喩え。
力のある牛は、不還者の喩え。
牡の仔牛は、一来者の喩え。
力の弱い仔牛は、預流者の喩え。
生まれたばかりの仔牛は、随信行者の喩え。