中部経典の第29は、『大心材喩経』です。
この経典は、樹の心材の喩えです。
樹の心材とは、樹の中心部分、芯のことです。
硬くて腐りにくいことから、木材の最も価値ある部分です。
この経典は、提婆達多が離反して間もないころに説かれたもののようです。
提婆達多を念頭に説かれたものです。
苦の滅を目的に出家していながら、しかし、枝葉のことに捉われて離れてしまい、苦に住んでしまうとあります。
心材を欲しているのに、枝葉を心材と思ってしまうからです。
1、苦の滅を求めて出家しながら、得られた利得や尊敬、名声によって自賛し、他を貶し苦に住みます。
2、利得や名声に酔うことがない者でも、戒をそなえることを自賛し、他を貶し、苦に住みます。
3、名声や戒で自賛することはない者でも、定をそなえることを自賛し、他を貶し、苦に住みます。
4、名声や戒や定で自賛することがない者でも、智見をそなえることを自賛し、他を貶し、苦に住みます。
5、その智見に酔うことなく、不動の解脱に達した者こそ、心材を得たものです。
この梵行は、名声を功徳とせず、戒をそなえることを功徳とせず、定をそなえることを功徳とせず、智見を功徳としません。
不動の心の解脱こそ、心材なのです。このためにこの梵行があります。これが終結です。