sati とは『記憶』『憶念』

中部経典『サーマガーマ経』において、片山一良は

『sati-vinaya』を『記憶による裁断』と訳しています。

『重罪である波羅夷を犯したことを憶えていますか?』にたいし

『憶えていません』と答えた場合に、『よく知りなさい』と追求します。

ですから、ここにおけるsatiは、記憶の意味なのです。

 

『スッタニパータ 435』の中村元の註でも、

スッタニパータ434 が、

『苦行(食物を制することを含む)の結果として、【念いが確立する  sati  ....  titthati】と説くのは、ウパニシャドの【食物が清浄なときに本性の清浄がある。本性の清浄なるときに、記憶(念い  smrti =satiの梵語)が堅固である。堅固な記憶を得たときに、一切の束縛から解放される】から来ている』と記しています。