道元の、これはどうでしょう

春間さんがコメントくれたので、マニカナ見たら、私のブログについて話しているようですね。

道元につても 、道元の行いについての解釈 は 勝手な思い込みに拠っている

と書いてありました(笑)

 

私はあまり道元については書いていませんが、調べるとずっと昔に書いていましたね。

よく、このブログを熟読してますね。

このブログはあまり役に立たないですよ。

私のブログで一番役に立つのは

法律についてのひとりごと (hateblo.jp)

です。

 

 

道元の行いについて書いたところを調べると、下のように書いています。

 ↓↓↓

身心脱落と言った道元は本当に自由な境地に至ったのでしょうか。
道元の逸話にこういうことがあります。
道元禅師は、弟子の玄明が北条時頼の寄進状を受け取り持ち帰ったことに対して激怒し、永平寺から追放して、玄明がいつも坐禅していた床まで切り取って、さらにその床下の土を七尺も掘ってその土を捨てた、と言います。
宋から持ち帰ったものは?と聞かれて柔軟心と答えた道元はどこに行ったのでしょう。
玄明も自分が私腹を肥やしたわけではなく、お寺のためを思ってしたことですね。
異常なまでの潔癖症で、弟子に対する慈悲の心が感じられません。
道元の遺偈【 五十四年 照第一天  打箇孛跳  觸破大千 咦  渾身無覓 活陷黄泉】も
なぜ、活陷黄泉という言葉を使ったのか、
どうしても道元が大自在の心境にあったとは思えないのです。

 

 

これは今でもそう思いますね。

玄明を破門しただけならまだしも、座っていた床を切り取り、さらにその下の土まで掘り返すとは・・・・

ちょっと、潔癖症過ぎませんか?