道元の玄明追放の典拠

マニカナで、春間さんが私のこのブログについて

『道元についても、道元の行ないについての解釈は勝手な思い込みに拠っている。』

と書いていたので、このブログに道元のことを書いたかな?と思って検索してみると、ずっと前に玄明追放のことを書いていました。

それで、『今でもそう思っています』とこのブログに書きました。

そうすると、マニカナに

 

>  道元の逸話にこういうことがあります。

そのようなことはありませんが、
そのようなことがあった と 
あなたは  “ 解釈されて  作り出された逸話 ”
         を  解釈する ( ことを重ねる )

 

七尺  他の人に 掘らせたと いう 記述は ありますか ?

 

などと書いていました。

玄明追放の逸話も知らないようです。

 

道元の弟子玄明追放の逸話はとても有名です。

何かと言えば、道元、道元と言っている春間さんが、この逸話も知らないとはびっくりです。

知らないだけなら、ただの無知なのですが、自分が知らないことを『そのようなことはありません』と頭から否定します。

自分の意に沿わない事実や自分に都合の悪い事実は、『そんなことはなかった』『あなたの思い込みだ』と断定し否定するのはいつものことですが、そのような態度が仏教者の取る姿勢でしょうか。

 

玄明追放の逸話は、永平寺が編纂した道元の伝記に記載されているものです。

 

 

「玄明首座追放の件」

道元和尚、越前へ御帰りの後、西明寺殿、願心を遂んが為、越前国の内六條の保と申す二千石の在所を永平寺領に寄進申さるる、然りと雖も、師、終に之れを受け給わず返進し給う。
永平寺の玄明首座と申す老僧、此の寄状の使いをせらる。六條保寄進の事は愚僧が高名なりとて、歓喜し衆中をふれあるき給う事を、師聞きたまいて、悦喜する心中きたなしとて、軈て寺を擯出し給うて、玄明の坐禅せし僧堂の床縁をきり、地を七尺ほり捨て給う、前代未聞、見ざる事なり。

此の玄明首座は生羅漢と申し伝う。開山御入滅後、百三十年已後にて、伊豆の国箱根山にして行脚の僧に逢うて、我は永平寺の玄明首座なりとて、開山和尚の御時代の事を委しく物語して、竹杖にすがりて立ち給いたるを見てありつると、其の行脚の僧、永平寺へ来て物語りしあると申し伝うるなり。
                            (永平高祖行状建撕記)

 

 

こう典拠をはっきり示すと今度は『その逸話がその伝記にあることは知っていますが、それが事実だとなぜわかりますか?』と言ってくるでしょうね(笑)

自分が知らなかっただけとは絶対に言わない人ですから。

 

ヤフー掲示板の仏教板に、『歴史上の仏陀が言ったことを探求したい』『十二縁起を解明したい』と書いたら、数多くの大乗仏教信奉者が来て、

『小乗などより大乗仏教の方がこれほど優れているのだ』『大乗仏教を教えてやろう』という態度でいろいろ自分たちの知識を総動員して大乗仏教を滔々と述べ立てていました。

しかし、親鸞信奉者、道元信奉者、法華経信奉者など大乗のあらゆるジャンルの人が来ましたが、どれも知っていることばかりでした。

むしろ、少し質問してみると、その人の専門分野でも知らないことが数多かったですね。

そして、内容の薄っぺらい人に限って、『俺が教えてやろう』と頼みもしないのに押しかけてくる傾向にありました。

 

春間さん、道元のことを他人に教えようとするならもう少し道元のことを知ったほうがいいし、親鸞を他人に教えようとするならもう少し深く知ったほうがいいですよ。