文献学が悪?

文献学とは何でしょうか。

例えば、どこかから古文書が出てきたとき、その古文書がかかれている紙などの材料を科学的に分析していつの時代のものかを特定する方法は文献学ではありません。

文献学とは言語から成る文章から、その文章がいつ書かれたものかなどを特定させ、その時代の言語の意味などからその文章の内容を探るものと私は思っています。

例えば、『おかし』または『おかしい』の現代的な意味は、笑うほど変だ、となりますが、平安時代であれば、趣があるという意味になるでしょう。

 

新しい紙に書いてあったからと言って、書かれていた文章が現代のものとは限りません。

古い時代でも写本によって伝えられており、その文章が最初に書かれた時代を判断するのには書かれた紙などは参考になりません。

源氏物語も紫式部直筆のものは一つも見つかっていません。写本のみです。

 

例えば、こういう文章があったとします。

『むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがいました。ある日、おじいさんは山に柴刈りに、おばあさんは川に洗濯に行きました。おばあさんが石鹸で洗濯をしていたら川上から大きな桃が流れてきました。』

さて、この文章はいつの時代に作られたものでしょうか。

川に洗濯に行くという風習だからずいぶん昔だと思うかもしれませんが、その文章なら今でも書けます。

石鹸が出てきているから、石鹸が日本に到来した安土桃山時代と思う人がいるかもしれませんが、その時には、石鹸はわずかに大名がやっと手に入れることができるくらい貴重でしたので、田舎のお婆さんが洗濯に使うなどという発想はできません。

ということから、石鹸が日本の山奥の貧しい老人夫婦でも使うことができる時代に書かれたものと推測できます。昭和の中期以降かもしれません。

このように文章から成立時代を特定したり、それによって意味を確定させたりするのを文献学と私は思っています。違うかもしれませんが。

 

ところで、仏教の本当の姿を知るのに、文献学の発展が非常に大きく寄与していると私が思うのは、理由があります。

仏陀の教えを正確に後世に伝えるために、仏陀の死後すぐに500人の直弟子たちが集められました。第一結集です。

すべて、仏陀の肉声を聞いた人たちです。

ここで、仏陀の教えが確定しました。

ところが仏陀が滅度して400年を超えたころ、この第一結集とは関係のない経典を作り始める人たちが出てきました。大乗仏教です。

仏教は、インドから中国に伝来しましたが、その際、中国では、原始仏典、大乗仏典関係なく、インドで作られた経典はすべて仏陀の肉声としました。

その中国仏教をそのまま受け入れたのが日本です。

ですから、第一結集で確定した教えか、そうでないかという考えそのものがありませんでした。

 

もし、歴史上の仏陀が本当に言ったことは何だろうと考えた場合、膨大な仏典から、仏陀の肉声に近いものがわからないと、どうしようもありません。

その意味で、仏教の歴史という極めて特殊な状況において、文献学の発展は、私にはとても意味深いものでした。

つまり本当は仏陀は何を言ったかを知りたいと思った人にとっては、文献学の発展によって、最古層の仏典が特定されつつある今の状況は本当に有り難いものです。

 

その文献学を目の敵にする人たちがいるのにはびっくりしました。

文献学の発展により本当の仏教史がわかるのに。

 

昔、地動説を目の敵にして、地動説を唱えた人を処刑にした人たちがいました。

イエス・キリストは、『地球を中心に宇宙は回っている』などとは一言も言っていません。

自分たちが勝手に作り上げた神学の概念の中で、地球が中心でなければいけないと思い込んでしまったのです。

 

もし、事実の前に崩れ去るような理論があれば、それは邪見です。

真実は、事実が明らかになればなるほど輝きを放ちます。

 

ですから、文献学を悪と決めつけ、歴史的な事実から目を背けようとするのは間違っています。