自我の成り立ちの洞察なしには

 ひだ (114.172.204.146)  
横レスになってしまい申し訳ありません。 まさに十二縁起を明快に説いてくださいました。ありがとうございます。 感謝の気持ちを表したく、コメントしました。
 
 

 

ひださん、ありがとうございます。

私は、仏陀の真意は、三明から解き明かすべきという結論に達しました。

仏陀は、

不善の法を捨離⇒五蓋の捨断⇒四禅定⇒三明  

と進み、解脱します。

 

三明の最後、四諦の法を観ずることによって、煩悩の滅に至ります。

これが漏尽智です。

 これにより、仏陀は成道します。

そして7日間、解脱の楽しみに浸ります。

7日後、過去生のあり方から導いた十二縁起の理法を、徹底的に順逆観じます。

そして、縁の滅を知ったので、すべての疑念はなくなり、太陽が輝くように、悪魔の軍勢を破って立ちます。

 

四諦の法と十二縁起の法が、仏陀の成道に決定的な役割を果たします。

ゆえに、私たちは、四諦の法と十二縁起の法を知らねばならないのです。

 

四諦の法は、苦と苦の生起と苦の滅と苦の滅に至る道、です。

四諦の法を本当に知るには、苦=dukkha の全的な理解がどうしても必要となります。

 

そして、十二縁起。

なぜ、仏陀は、解脱した後、7日後に十二縁起を順逆観じたのか、これが仏陀の真意を解き明かす鍵となります。

 

自我の洞察、自我の成り立ちを洞察することなしには、自我の滅はあり得ないのです。

自我の滅とは、『私という中心がある』という思い込みを滅することです。

『私という中心がある』という思い込みを滅するには、自我がどのように出来上がったかを洞察する以外には不可能です。

 

いくら禅定至上主義で悟った気になったところで、自我の成り立ちを洞察することなしには、我ありとの思い込みからの解脱は無理なのです。

それがはっきりとわかりました。

やはり、仏陀は智慧の道だったのです。