ネットの掲示板には必ずアラシと呼ばれる輩がいます。
マナーなく掲示板を荒らすから、アラシと呼ばれます。
自分よがりの多投稿、連続投稿がその特徴です。
自分の主張ばかりして相手の話を聞かない、
対話ができない、というのもアラシの最大の特徴と言えます。
私は、ヤフー掲示板の株式板や映画板にいました。
最初は株式板の個別銘柄掲示板に投稿していましたが、私が投稿した瞬間にその銘柄がストップ高になるなどあまりにも影響が大きくなりすぎたので、自分のスレッドを作り、主にそこだけに投稿するスタイルになりました。
株式板でも映画板でも、わたしのスレッドには数多くの投稿者が集いましたが、不思議なことに、マナーがなく対話ができないいわゆるアラシはほとんどいませんでした。
映画板では、映画や音楽、文学などを主に話し合っていたのでアラシが来ることは全くなかったですが、利害渦巻く魑魅魍魎の株式板でもアラシがなかったのは不思議でした。
ヤフー掲示板がなくなる2年くらい前に、ヤフー掲示板の仏教関係の板に、自分のスレッドを作りました。
自分のスレッドを作る前にざっと仏教板(東洋哲学板や哲学板など)を見てみましたが、なんともびっくりしました。もうほとんどにおいて罵詈雑言に溢れているのです。
度を過ぎたアラシも数多くいました。何が目的なのか、誰も聞いていないのに、自分の同じような主張を延々と書き立てているのです。
ほとんどのスレッド主は、それらアラシの輩たちに罵詈雑言や非難中傷の言葉の数々を浴びせられていました。ずいぶんと傷つき、非常に迷惑しているようでした。
私は本当に不思議でした。
映画板は芸術全般ですから和気藹々で楽しいのはわかりますが、命の次に大切なお金の増減に直接関わる株式板でもみんな一生懸命に規律を持ちマナーを持ち、前向きになっているのに、宗教関係のこの澱んで腐りきった雰囲気は何だろうと思わざるを得ませんでした。宗教や哲学は人間の精神をよくするのではなかったのか、そういう疑問がわいてきました。
自分だけの金儲けに邁進している人たちの精神はすっきりしているのに、悟りだの救いだの慈悲だの言ってる宗教哲学板の精神は澱みきっている、そういう印象でした。
何かが間違っている、そう思わざるを得ませんでした。
さて、マニカナの投稿数の半分近くを占めている春間という人が、このブログにコメントしているようです。
しかし、せっかくですが、私は石飛先生のように優しくないので、誰でも受容する気は全くありません。
人生の時間は短いので、『feel good』な人とだけ付き合っていく。『feel good』でない人からはすばやく遠ざかります。
今だからわかりますが、これは人生の智慧です。
それを倫理や宗教や道徳で、『みんなを分け隔てなく受け入れなければならない』などと押しつけてくる人たちがいるので、人々はほとんどの人生の時間を嫌な気分で過ごすことになるのです。追い詰められて自殺する人も出ます。
仏陀が何故、サンガを作り、よき修行仲間が非常に大事だと言ったのか、です。
自分の環境に、よき人たちを集めることこそ、成道の近道なのです。
悪しきものに近づいてはいけないと、原始仏教にも大乗仏教にも明記されているのはなぜかということです。
上から目線で、いつも他人のあら探しをして、マウントを取れるチャンスを窺っている、そのような輩と関わるとろくなことがありません。
宗教や倫理道徳や正義の名の下に、その相手の鼻を握りしめ、自分の価値観へと引きずり回すことがしたいだけです。