『五蓋』とは、貪・瞋・惛眠・掉悔・疑 の五つの煩悩です。
仏典では、『慧を弱める心の付随煩悩』と説かれます。(六浄経など)
貪とは、貪欲のことです。
瞋とは、悪意や怒り、憎しみのことです。
惛眠とは、惛沈と睡眠の2つからなります。沈鬱と眠気のことです。
掉悔とは、掉挙と悪作の2つからなります。心の浮つきと後悔のことです。
疑とは、疑い、もろもろの善法に対する疑惑のことをいいます。
根本的な煩悩に、貪(raga)・瞋(dosa)・痴(moha)の三毒があります。
ragaは貪欲。
dosaは嫌悪。
ⅿohaは迷妄。です。
五蓋の貪はragaから、瞋と惛眠はdosaから、疑はmohaから来ています。
dosa(嫌悪)の対象を消したい、殺したい、なくしたいという方向に行くと『瞋(悪意や怒り、憎しみ)』となります。
dosa(嫌悪)の対象を避けたい、壁を作りたい、嫌だなあという方向に行くと、『惛眠(惛沈と睡眠)』となります。
世の中に迷妄(moha)の法は溢れていて、それが仏陀の説いたもろもろの善法に対し疑いを生じさせます。
それでは、掉悔(掉挙と悪作)はどこから来るのでしょうか。
mohaから来ることもありますが、そのほとんどが、過去の反芻です。
掉挙は、うまくいった過去の反芻。
悪作(後悔)は、うまくいかなかった過去の反芻。です。
掉挙は、褒められたり、うまく快楽をゲットできたりという過去を反芻し、心が浮つくことです。
悪作(後悔)は失敗したり、非難されたり、快楽や利益を取り損ねたりした過去を反芻し、悔しがることです。
掉挙と悪作は全く違う心の動きに見えながら、掉悔とひとつにまとめているのは、同じところから来ているからです。
この解釈はどこにも書いていないと思います。私が心を洞察したもので、私独自の解釈ですから。
今まである理論、後世に作られた理論を当てはめるのではなく、このように、自分の心の洞察から解き明かしていかないと仏陀が本当は何を言おうとしたのかはわかりません。