箭喩経の毒矢の喩えを話しているときに
仏陀が言った『私によって解答されてないものは解答されないものとして受け止めなさい』という言葉は、
『私によって語られなかったものは、語られなかったものと憶持しなさい』と訳してはいけないと言ったのは、
『憶持』という言葉が、心の中に記憶として留めていつも思い返すように受持すること、という意味だと思ったからです。
むしろ、仏陀が回答しなかったものは、受持することなく心の中から捨て去って、全くなくしてしまうことを言っていると思ったからです。
解答しなかったのは何故かと言うと、その回答が、離貪に赴かず、解脱に赴かず、涅槃に赴かないからです。
むしろ、解脱の邪魔になるからです。
仏陀は、形而上的な質問には答えませんでした。
しかし、もともと形而上的な議論が大好きなインド人たちは、仏陀の死後、煩瑣な理論を構築していきました。
これも、仏陀の真意が見失われた一因だと考えています。