仏陀がいう空とは生滅の法

仏教の根幹を『空』『無我』『縁起』と思っている人が多いのですが、そして大乗仏教の国日本ではそのように教えられてきたのですが、歴史上の仏陀は本当にはどう説いたのでしょうか。

 

まず、最古層の仏典スッタニパータには、『空』はほとんど出てきません。

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つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界を空なりと観ぜよ。

そうすれば死を乗り超えることができるであろう。

このように世界を観ずる人を〈死の王〉は見ることがない。

 

この箇所くらいです。

 

さて、それでは、仏陀がスッタニパータで説いた【世界を空なりと観ぜよ】の【空】とはどういう意味でしょうか。


それを解明するには、『ダンマパダ』の

【世の中は泡沫のごとしと見よ。世の中はかげろうのごとしと見よ。世の中をこのように観ずる人は、死王もかれを見ることがない。】の言葉が参考になります。

 ほとんど同じことを説いているからです。

 

同じダンマパダに、【この身は泡沫のごとくであると知り、かげろうのようなはかない本性のものであるとさとったならば、死王の見られないところに行くであろう。】とあります。


つまり、仏陀は、泡沫やかげろうをはかないという例えで使っているのです。

つまり、歴史上の仏陀が【空】というときは、

【泡沫のように生じては滅するはかないもの】と言う意味です。
非常に単純明快ですね。


『すべての存在は縁起によって成り立っているから自性がない、実体がない、空である。』というのは、遙か後世に龍樹が言ったことです。これが、仏教の根本教理とされていきました。


しかし、歴史上の仏陀が『すべての存在は縁起によって成り立っているから自性がない、実体がない、空である。』と説いている原始仏典はありません。

 

部派仏教は人空法有を説き、大乗仏教は人空法空を説いたと思う人もいます。

人に自我という実体がないのが人空。

すべての存在に実体がないのが法空。

というのが、後世の仏教理論です。

これについても、歴史上の仏陀は『つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界を空なりと観ぜよ。』と言っているように、人に実体があるとかないとか、世界に実体があるとかないとか、言ったわけではないのです。

『わたしという中心である自我に固執するな。自我という中心があるという見解を破れ』

『世界は生じれば滅するはかないものだと観ぜよ。』

と言う意味のことを言ったのです。

『つねによく気をつけ』とは、私たちは肉体を持ち、感覚を持っています。その感覚の経験を常にしています。何かの感覚があれば、その感覚によって記憶の束が刺激され想念が湧いて出ます。その想念は連想となり続けます。それが激流です。

その激流にのみこまれていっている様を常に気をつけておけということです。巻き込まれているということは、記憶の束という自我から想念が湧いて出ているということです。その流れに気をつけなさいということです。

 

すべての存在または存在要素に実体があると説いたのは説一切有部です。

部派は20以上もあったと言われており、違う見解の部派も多かったのですが

大乗仏教特に龍樹は説一切有部とさかんに論戦していきました。

 

スッタニパータにほとんど『空』という言葉が出てこないことからも、仏陀が特別な意味を込めて『空』を説いたことはありませんでした。

空というのは、生じれば滅するはかないもの、というだけに過ぎません。

 

仏陀にはこういう言葉もあります。

すべてのものは『すでに生じているのだからそれを『無』と言うことはできない。必ず滅するものだからそれを『有』だと言うことはできない。』

このような誰が考えても明確なことを言っています。

目の前にあるように見えても他のすべての要素から成り立っているので実体がない、などということを言っているわけではないのです。

後世では、有と無の中道を『空』とした、となっていますが、これも仏陀の言ったことではありません。。

仏陀は、実体があるとかないとかの論議からは全く離れています。

そのような抽象的なことを論じたりはしませんでした。

非常に明快に、『生じるものは必ず滅する』ということを示したのです。

すべては縁起によって成り立っているから自性がない、実体がない、などということも言っていません。

生じるものは必ず滅するので苦である、そのような無常で苦であるものをわたし、わたしのもの、わたしの本体と言っていいであろうか、と言ったのです。

ですから、説一切有部も大乗仏教もそのような歴史上の仏陀が言ったことからはかけ離れています。

わたしは、後世の仏教理論など白紙にして、歴史上の仏陀が本当は何を言いたかったのかを探っているので、後世の仏教理論には興味がないのです。

 

現実を変えるか現実遊離か

koboyuki (27.82.211.253)  

ショーシャンクさんこんばんは。お久しぶりです。精神世界系、スピリチュアル系、宗教系、におかしな人が多いのは結局は、やはり現実逃避したいのではないかと思います。 厳しい現実、未熟な自分から逃げたい、目を背けたい、自分を正当化する為の逃げ場所なのではないでしょうか。私もそうかもしれません。            

 

 

koboyukiさん、お久しぶりです。

そうですね。精神世界(宗教・哲学・スピリチュアルなど)は、現実逃避型の人が引きつけられやすいということもあるでしょう。

また、現実逃避、現実遊離に導くような教えが蔓延っているのも確かです。

面白いのは、同じキリスト教を基にしても、ニューソートの『強く願えば思いは現実になるんだ』という考えと物質や現実をなるべく遠ざけようとする清貧を目指す考えの両極端になったりしています。

聖書に『だれでも、この山に向かって、『動いて、海に入れ』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。』という言葉もありますし、『金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい』という言葉もあります。

その解釈も様々あり、現実はいくらでも変えられるんだという考えと現象を変えようと思ってはいけないという考えなどに分かれていくんだと思います。

ただ、キリスト教は、イエス・キリスト本人が、様々な奇跡を見せて現実をどんどん変えていった人ですから、現実をよりよく変えようとする原動力に溢れた考えにもなりやすいと思います。それで西洋文明は高度なものになりました。

しかし、仏教など東洋の思想は、どうしても現実遊離になりやすい傾向はあります。

特に『無我』という思想が仏教の根幹だと誤ってしまったため、主体性を見失わせるような、フラフラしたものが蔓延ってしまいました。

これは本当にまずいと思っています。

自分の精神をかけて自分の金儲けに邁進している人は、自分の決断が成功をもたらしたり失敗をもたらしたりする『100%自己責任』ということが本当にわかるようになります。どこにも逃げることはできません。

この件に関しては、かなり書くことが多くなりますので、また書き足していこうと思います。

仏教は本当に人を救えるのか

ずいぶん前から、非常に疑問に思っていたことがあります。

それは、仏教(仏教に限らず、宗教、哲学、精神世界、スピリチュアルなど)にのめり込んでいる人の方が人格的におかしい人が多いということです。

むしろ、自分の利益ばかりを追求している人、自分の金儲けに邁進している人、事業の拡大のことばかり考えている人の方が、人格的に優れた人が多いのです。

これは、人生の中での最大のパラドックス、逆説です。

現実生活において、私の周囲には、仏教や宗教に興味のある人はほとんどいません。

私が仏教に興味があることを知っている人もほとんどいません。

そういう話題は一切しませんから。

みんな自分の金儲けに忙しい人ばかりです。

また、ネットの社会でも、株の掲示板で知った人はどの人もおかしな言動をする人はいませんでした。しかし、仏教の掲示板にはおかしな人がごまんといました。

人格を正しくするであろう仏教においてかえって人格がおかしく、自分の金儲けばかり考えている株の掲示板において性格のいい人が多いのは、大きなパラドックスです。

仏教や宗教、哲学、精神世界、スピリチュアルの何かが間違っているのです。

これらの人はよく『無我』だとか言いますが、かえってその知識によってドロドロとした我執を抱えてしまっていることがほとんどです。

これは今までの仏教が筏を持たず、どこにも行き着かないものになっているからだと思わざるを得ません。

例えば、哲学は人生を幸せにする学問だと言われます。

そうであれば、大学の哲学科を出た人は最も幸せなはずです。

しかし、現実はそうではありません。

哲学科を出た人は少し変わり者だったりしてうまく現実社会に対応できない人もいます。

禅を熱心にしたためにかえって増上慢になって社会から遊離する人もいるようです。

何が間違っているのでしょうか。

 

仏教といえば、誰しも、『縁起』『空』『無我』と言います。

しかし、今までの仏教なるものを全部白紙にして、古層の仏典から仏陀の真意を探ってみると全く違うものでした。

仏教には、正法、つまり正しい理法は500年しか続かない、その後は形だけ似ているけど非なるものとなる、という伝説があります。

確かに、いま、仏教の根幹とされている、『縁起』『空』『無我』は、500年後に今の理解へと変貌したものでした。

 

仏陀は『空』を説かなかった。スッタニパータに『空』が出てくるのはたった一度で、それも『この世を空と観じよ』という場面だけです。そして、この場合の『空』とは、生じたものは滅する、はかないものだ、という意味にしか過ぎません。

縁起によって無自性だから空だ、というような論理は原始仏典には一度も出てきません。仏陀はそのようなことは一度も言っていないのです。

『縁起』も全く違います。

仏陀が求めたのは、苦の消滅なのです。

苦の消滅のみを求め続けたのです。

そして、仏陀は苦の原因を探求していきました。

これが縁起です。

AがあればBがあり、Aが生じるが故にBが生じる。

AがなければBはなく、Aが滅するが故にBが滅する。

Bをなくすのには、このようなAを見つけ、Aを滅することによってBを滅することができると考えたのです。

つまり、縁起の法とは

Aがあれば苦があり、Aが生じるが故に苦が生じる。

Aがなければ苦はなく、Aが滅するが故に苦が滅する。

このようなAを発見するためのものでした。

 

今の縁起の解釈とは全く違います。似て非なるもの。

そう。今の仏教は仏陀の真意とは全く似て非なるものなのです。

 

仏陀は『無我』など説いていません。

『無常で苦なるものを、わたし、わたしのもの、わたしの本体と言っていいであろうか』と繰り返し言っています。

つまり、無常であり苦である、形成されたものは非我であると言っているのです。

その実践が四念処です。

そして仏陀は、四念処は涅槃に至る一乗道と言っています。

非我を観じることこそ、仏陀の真髄なのです。

 

 

仏陀の優しさ

大パリニッバーナ経(パーリ涅槃経)に印象的な場面があります。

仏教の真髄に迫る記述でもあります。

 

 

ブッダは2本のサーラ樹のあいだに近づくと、4つに折られた衣を敷いてもらい、その上に臥した。
右の脇を下に向けて、右足の上に左足を重ねて。
その姿は伏した獅子であるかのようだった。

ブッダはアーナンダに告げた。
「私の死に関し、誰かが鍛冶工のチュンダを責め、彼に後悔の念を起こさせるような言葉を発するかもしれない。
『ブッダはお前の食事を受けて亡くなったのだから、お前には利益も功徳もない』と。


もしもそのような事態が起こったら、アーナンダよ、次のように言ってチュンダの後悔の念を取り除いてあげなさい。

『友よ。ブッダは人生最後の供物をあなたからいただいたのだから、あなたには大きな利益と功徳がある。
私はブッダから聞いた。人生にはすばらしい食べ物の供養が2つあるということを。
1つは、食べ物をいただいて、無上の悟りを開いた時の供養。
そしてもう1つが、人生の最後にいただいた食べ物の供養だ。

この供養の後、ブッダは煩悩が完全に滅却した涅槃に入ったのだから、この食べ物を施した功徳ははかり知れない。

だからチュンダの施した供養は大きな功徳がある。
すぐれた果報があるのだ』と。
そう言ってチュンダの後悔の念を取り除いてやってほしい。
よいな、アーナンダよ」

 

そこまで話すと、ブッダはつぶやくように感興の言葉を述べた。
「施す者の功徳はすぐれたる。
心を整えれば怨みはない。
善き人は悪事から離れ、
欲を滅して煩悩から放たれた」

 

 

死に直面した仏陀は、この死の病を引き起したチュンダを傷つけないように気遣っています。

本当に優しい人だったことがわかるエピソードです。

しかしそれだけではありません。

仏陀の人生において2つの大いなる功徳のある食べ物があるといいます。

ひとつは、スジャーターが差し出した乳粥です。

断食行に打ち込んでいた仏陀はこの乳粥を食べてから徹底的な瞑想に入り、成道します。

もうひとつは、鍛冶工チュンダが差し出した、死の病に至らせたきのこ料理(または豚肉料理)です。

 

有余涅槃に到達させてくれた食べ物と

無余涅槃に到達させてくれた食べ物です。

 

死に至る食べ物を最も功徳がある供養と言ったのは、単に鍛冶工チュンダを慰めるためだけではありません。

仏陀は本気でそう思っていたと思います。

『スッタニパータ』に『自己の身体(個体)を断滅することが安楽である、と諸々の聖者は見る。正しく見る人々のこの考えは、一切の世間の人々とは正反対である。』とあるからです。

ここは非常に微妙で危うい記述なのですが、実はここに仏陀の真意が隠されていると思います。

ただのチュンダへの慰めの言葉ではありません。

禅定至上主義は間違い

仏陀は出家してすぐ、アーラーラ・カーラーマ仙人の弟子になり、『久しからずして』無所有処に達します。

しかし、その無所有定は『この法は智に導かず、覚に導かず、涅槃に導かない。わたしは、この法を捨てて、さらに無上安穏の涅槃を求めるべきである。』と思って去ります。

 

次に、ウッダカ・ラーマプッタ仙人の弟子になって、『久しからずして』非想非非想処に到達します。

しかし、その非想非非想定は『この法は智に導かず、覚に導かず、涅槃に導かない。わたしは、この法を捨てて、さらに無上安穏の涅槃を求めるべきである。』と思って去ります。

 

非想非非想定は、色界無色界の最高の禅定です。

しかし、仏陀は、最高の禅定であっても『この法は智に導かず、覚に導かず、涅槃に導かない。』と言って捨てているのです。

 

それから仏陀は、6年間も断食行や止息行などの苦行を重ねます。

そして、最後に苦行から離れ、乳粥を飲み、菩提樹の下で徹底的な瞑想に入ります。

目覚めて7日目の夜に十二縁起を順逆繰り返し瞑想して、すべての疑念が消え、悪魔の軍団を打ち破って立ったのです。

 

仏伝を見てはっきりわかることは、禅定では『この法は智に導かず、覚に導かず、涅槃に導かない。』とし、十二縁起を徹底して瞑想することで悪魔の軍団を打ち破って立つことができた、ということです。

 

なのに、仏教で悟りを求めると言えば、禅定ばかりになっています。

四諦十二縁起という仏陀の法を徹底的に瞑想する人はいません。

いくら禅定をしたところで『智に導かず、覚に導かず、涅槃に導かない』のです。

 

真摯な人とそうでない人

高原 (126.42.33.248)    

ショーシャンクさん、こんばんは。 石飛道子さんは理路整然と話される良識的なかたで、ご自分の分もわきまえて驕ることもない、お話も上手でとても感じの良い女性だと思います。 14経を一文字も漏らさないつもり読みました。指摘のあった釈迦が菩薩を語ったとされる「いろいろ言い立てる世俗人に辱められ、その(不快な)言葉を多く聞いても、荒々しい言葉を以って答えてはならない」という箇所ですが、この言葉は菩薩に特化した表現ではなく、独覚、声聞にも当てはまる言葉で、これが菩薩というなら単なる「こじつけ」と思います。 梅原猛、立川武蔵が龍樹批判をしていて、スマサーラは「龍樹は何の役にも立っていない」と言っています。そういう立場の人がいるから「釈迦の後継者」という意味での龍樹を石飛道子さんは筋道つけたい願望があるのだとおもいます。 石飛道子さんのお話を読んでいると龍樹愛が溢れていて、というか龍樹に「恋」をなさっているんではないかと以前から感じておりました。これ以上言うと、石飛道子批判になってしまいそうなので、やめときます。 数年前から「人間の煩悩がすべて消えた後でも最後まで残る煩悩あるとすれば何だろう」と考えていました。それは「恐れ」ではないでしょうか?釈迦は繰り返し「恐れるな」と語っています。奈良の大仏の結んでいる印は「施無畏印」という「恐れなくてもよい」という意味だそうです。「恐れ」が煩悩の中に入るのかどうかも分かりませんが、人が他人に良い人に思われたいと思うのも、他人に嫌われたり攻撃を受けたりしたくない「恐れ」からです。「恐れ」を薄めたりは出来ても、なかなか消すのは困難な作業かと思います。 「恐れ」がある限り、人は本当の自由にはなれません。「恐れ」は「囚われ」の感情です。

 

 

高原さん、こんにちは。

精神世界の領域に興味のある人は大きく分けて2通りだと思っています。

道に真摯な人と真摯でない人です。

真摯な人というのは、もちろんちゃんと自分の識見やビジョンは持っていてしかも可能性にオープンです。

真摯でない人というのは、結局、自分を人に認めてもらおうということだけを思っている人です。聞かれてもないのによく自分の知識量や読書量を誇ったりします。

ヤフー掲示板でアラシの人たちはこのタイプでしたね。

自分が悟っている、いつも目覚めている、いつも気づいている、何でも知っている、ということを思い込んでいる人たちでした。

それが、自分のスレッドを立てても誰も訪れず閑散としているので、アクセス数の多いスレにあちこち出向いていっては自分をアピールしていました。中にはどんなにスレ主に嫌がられてもその他人のスレに居着いてしまうアラシもいました。

この人たちは、真摯に道を求めているわけではなく、むしろ自分が先生として教えたい、自分が優れているんだということをアピールしたい人たちでした。

ヤフー掲示板では、スレ主は投稿者を選んだり、コメントの選択をできないシステムでしたので、この人たちのやりたい放題でした。

 

真摯な人は、自分からあちこちの掲示板に出向いてアピールしまくらなくても、自然に同じ真摯な人との対話が生まれてくるものです。

石飛先生も、そういう、道に真摯な人です。

大乗の祖である龍樹の研究家ですので、もちろん龍樹が大好きなのでしょう。

仏陀が一切智者であるということで、スッタニパータにはその一切智があり、大乗仏教の思想もすでにスッタニパータにあったということで、部派仏教と大乗仏教の共通性を模索されているように思えます。

私は、部派仏教も大乗仏教も、今までの仏教理解を全部白紙にして、本当に仏陀が言いたかったのは何かを探求しています。

それが進む中で、仏陀の真意がねじ曲った経緯があるという結論を持っています。

大乗仏教はねじ曲ってしまった仏陀の真意の復興運動だったというのが私の考えです。

原始仏典⇒次第にねじ曲っていく⇒復興運動としての大乗仏教⇒それもねじ曲っていく

という感じで捉えています。

 

ひょっとすると全く違う視点で、原始仏教と大乗仏教の統一場を結果的に探しているのかもしれません。石飛先生も私も。

私は、石飛先生の特に親鸞や龍樹に対する見方とは正反対です。

ですから、かなり親鸞をボロクソに言ってしまいました。

ただ、それでいいのではないでしょうか。

私の見方が絶対に正しく他の人の見方が間違っているとは思いません。

また、石飛先生も自分の見方に従いなさいとは言われないでしょう。

神秘主義をすべて排除すると言われていましたが、イスラム神秘主義のスーフィーの詩を紹介したら非常に感動されていました。自分自身の感性、理性、悟性に正直に従うのは真摯だからです。

 

見方が同じでも真摯でない人とは関わらないのが一番ですし、見方や考えは正反対でも真摯な人と話すと得られるものは大きいと思っています。

 

 

 

八つの詩句の章のことでしょう

高原 (126.42.33.248)    

ショーシャンクさん、こんばんわ。 少し疑問があるのですが、よろしいでしょうか。 先日、ショーシャンクさんと石飛道子さんのやりとりを読んでました。法華経が題材になっていました。 その中で、石飛道子さんが「スッパニータの後半、第14経、第15経、16経に、菩薩、独覚、声聞の道に対応していると読める三乗が説かれています」とおっしゃっているのですが、そのスッパニータの後半のくだり~は第五 彼岸に至る道に章の「学生ウダヤの質問」「学生ポーサーラの質問」「学生モーガラージャの質問」(中村元訳)の所かと思うのですが、どこが三乗が書いてあるのか、ぼくにはさっぱり分かりません。ショーシャンクさんは石飛道子さんのおっしゃっていることを理解されたのでしょうか?スッパニータに菩薩が登場するのは読んだことがなかったので。

 

 

高原さん、こんにちは。

石飛先生が言われているのは、スッタニパータ第四章(八つの詩句の章)のことです。

第四章は、16経でできています。

その中の14経、15経、16経が三乗に対応するというのが先生のお考えですね。

具体的には、14経が菩薩、15経が縁覚、16経が声聞に対して説いたということです。

タイプ別に対機説法したという解釈ですね。

14経では、俗世間の人たちに積極的に教えを説く菩薩タイプに向けてのことが書いてあり、例えば、世俗の人に罵られても荒々しい言葉を使うな、とかです。

15経では、あまり俗世間に交わらず、一人で修行する縁覚タイプにむけた説法があり、16経では声聞の代表の舎利弗に向けた説法をしている、ということだと思います。

 

どこかで、三乗という3種類だけではなく16種類ある、というようなことを書かれていましたから、たぶん、スッタニパータ第四章(八つの詩句の章)は16のタイプの人向けにそれぞれ説かれたと考えられているのでしょう。

 

私はそう理解したので、『先生が、スッタニパータの14,15,16経が三乗思想に対応していると思われている理由が分かりました。』と書いたのです。

ただ、続く文章で『私としては三乗に分ける考え方が好きでないので、できれば三乗は方便で、先生の結論たる、二乗にエールを送るという意味での設定に過ぎず本心は一仏乗だというのがすっきりします。』と書いたように、私としては、仏陀の真意は一仏乗しかないと思っています。仏陀は、四念処は涅槃に至る一乗道と言っていますから。

やはり、三乗は大乗仏教の考えだと思っています。

 

石飛先生も私の文章に『わかりました』と言われるときは、『ショーシャンクがこのように考えているんだということがわかりました』という意味です。

それと同じで、私も『石飛先生がそう思われている理由が分かりました』という意味です。

 

石飛先生は、仏陀が一切知を持っていて、最古層のスッタニパータにはその一切知が示されているというお考えなのだと思います。

大乗仏教の三乗思想もヴェーダについての知識もその中にあるんだということでしょう。

 

スッタニパータも法華経も、百人いたら百通りの解釈があるものだと思います。

私が苦手なのは、根拠も示さずに否定も肯定も断言する人です。

石飛先生ははっきりと根拠(典拠)を示されるので、納得します。

 

 

 

 

仏陀はヴェーダを否定したのか

仏教徒は、バラモン教あるいはヒンドゥー教を非常に嫌います。

これは、部派仏教も大乗仏教も変わりません。

あたかも、仏教はバラモン教の全否定で成り立ってるというように思われています。

しかし、本当にそうでしょうか。

 

仏陀の死後2500年が経った今から仏教の原点を見ず、仏陀の時代の視点で見ると、全く違う景色が見えてきます。

仏陀の時代、そもそも、『バラモン教』なるものはありませんでした。

仏教以前のインドのヴェーダ文化を後世の欧米人の学者が仮に『バラモン教』と教団のように名付けただけです。

そこにあるのは、紀元前1000年頃からできていたヴェーダと呼ばれる聖典の数々でした。ウパニシャッドもヴェーダの一部(奥義書)です。

仏陀はそのようなヴェーダ=聖典というインドの土壌に生まれました。(ルンビニは現在のネパールですが、古代インドのヴェーダ文化圏です)

アーリア人からなる祭祀を司るバラモン階級に対し、非バラモン階級の自由思想家たちが『生まれによってバラモンではない』と発言し始めていました。

また、バラモンにも『生まれによってバラモンではない』と言った人はいます。

祭祀経典であるヴェーダから知識の道であるウパニシャッドが生まれたように、血筋ではなく知識や想いによって神(または自己の根源)に到達するというように変貌していました。

バラモン階級は祭祀を司る階級です。

しかし、バラモンであるヤージュニャヴァルキヤなどにより、祭祀ではなく自己の探求によって不生に到達するという思想に移行していったのです。

当然の帰結として、祭祀階級であるバラモンでなくても自己の探求はできる、解脱は出来るとなり、それが自由思想家たちを生み出しました。

つまり、ヴェーダの中でも祭儀書から奥義書のウパニシャッドへというようなヴェーダ文化の大きな流れの中で仏陀は生きていたわけです。

仏陀自身は、『ヴェーダの達人』と呼ばれていました。

これは、イエス・キリストが旧約聖書(イエスが在世中は旧約聖書ではなく聖書そのものでした。新約聖書ができてからそれまでの聖書が旧約聖書と呼ばれたのです)に非常に詳しくて人々が『どこで勉強したんだろう』と驚いたという記述を思い出させます。

 

しかし、イエスは『ファリサイ人』や『律法学者』を攻撃したのでユダヤ教を否定したと思う人がいます。

仏陀も『生まれによってバラモンなのではない。行ないによってバラモンなのである。』と言ったのでバラモン教を否定したと思われています。

バラモン教の否定、排斥の方向に仏陀の死後急速に進みましたから、非我を無我(自己の本体であるアートマンは無い)という、諸法無我が仏教の根本だとねじ曲っていきました。

無我であるのなら、善因善果悪因悪果の果は誰が受けるのか?という当然の疑問が出てきて、それを解決するために非常に煩瑣な議論を延々と続けるはめになりました。

『そんなものは仏陀の真意では無い』と叫んで誕生したのが大乗仏教です。

 

さて、話を元に戻すと、仏陀はヴェーダを否定しておらず、むしろ、ヴェーダがわからなければ仏陀の真意はわからないでしょう。

旧約聖書、ユダヤ教が分からなければイエス・キリストはわからないように。

 

仏教徒は、外道=バラモン教 と思っています。

外道の代表は六師外道です。

しかし、六師外道は、その誰もいわゆるバラモン教ではありません。仏陀と同じ、自由思想家たちです。

非バラモンのsamanaです。

仏陀もsamanaです。

 

 

 

 

正法眼蔵

ターボーさんの質問の

道元『正法眼蔵 法華転法華』の色即是空の転法華ありの前後の文章はこうです。

 

色即是空の転法華あり

若退若出にあらず

空即是色の転法華あり

無有生死なるべし

在世というべきにあらず

滅度のみにあらんや

この文言で見る限りは、

色即是空の転法華も空即是色の転法華も対比しておらず

同じ意味になっていますね。

色即是空の方も、退も出もない、

空即是色の方も、生死が有ることなし、

ですから、どちらも、生死がないと言っていますね。

 

それはそうと、ひさしぶりに、正法眼蔵を読んでみるといいですね。

 

現実逃避して、死ぬまでこの一元の世界に浸っていたい感じになりますね(笑)

 

 

無我説によって

質問4)道元が色即是空の転法華あり、空即是色の転法華ありというような事を言っていますが両者は違うと思いますか?
 
つまりこの世の見え方、世界観が違ってくるのかどうかということです。
 
最近禅の世界を調べていて二系統あるのは確実だなと思ってきています。
曹洞宗でもシューシャンクさんが言われる四無量心が涅槃だと言われる系統と、 道元が中国に天童如上から指導を受け、目横鼻縦が分かったと言い、 一生の参学ここに終わりぬと言った所を涅槃とする系統。
 
もちろん目横鼻縦派は仏陀の至った境地は道元の決着がついた境地だと思っているようです。
怖いのはこの決着がつく方は、もう元に戻らなくなるそうです。戻らなくなるとは、二元性に戻らないということです。
これはつまり、道元の至った境地と仏陀が至った境地は同じなのか違うのかという大問題だと思います。
そして四無量心派はダルマがあり、目横鼻縦派はダルマが無いみたいな感じがします。 四無量心派だと藤田一照さんがショーシャンクさんと主張がそっくりです。
ただ瞑想と只管打坐という手法の違いはあります。
八正道の正見から道は始まり、涅槃に至る道はない、道が涅槃である。 目横鼻縦派は井上義衍系統みたいです。どうしてこんな主張が別れるのでしょうか?
私の推測だと質問4が関係しているんではと思っています。
出家しないで日常生活を送りながら完全に認識を落とすなんてことが可能でしょうか? どうしても他者の目が気になりそうです。
しかも認識が落ちても頭の記憶は落ちないだろうし。
 

 

ターボーさんの質問④は、根本的な問いだと思います。

 

この問いは、仏教史を揺るがした大事件、大乗仏教の興隆にまで関わってくると思います。

 

歴史上の仏陀の真意が歪められたのは、実に仏教なるものが成立し仏教教団というものができあがった時から始まります。

歴史上の仏陀(ゴータマ・シッダッタ)は仏教なるものの開祖になろうとしたことはなく、仏教教団を主催しているという意識は全くありませんでした。ひたすら、自らが悟った理法を伝え続けただけでした。

しかし、仏陀の死後、弟子たちが仏教教団を運営し始めたときから、仏教以外の教えに比べ仏教の優位性、独自性を強調するようになりました。それはどんどんエスカレートします。仏教以外のもの、特に、インドの精神フィールドそのものであったバラモン教を全否定したのが仏教であるというようになっていきます。

最古層のスッタニパータなどでは仏陀のことを『ヴェーダの達人』とか『バラモン』と呼んでいますが、その後に編纂された原始仏典には『尊師』などという尊称になりバラモン教の用語は排除されていきます。

 

歴史上の仏陀は、悠久のインドの豊穣な精神フィールドを否定などしていません。

むしろ、世界でも最高峰のインドの精神文化を極限まで高め、より霊的精神的に磨き上げ、それまでの聖者たちでは届かなかった境地まで到達したと考えています。

インドの高度な精神文化の土壌がなければ、ゴータマ・シッダッタは世界最高の教師にはなっていなかったでしょう。インドの精神的な土壌は世界でも群を抜いています。

特に、ヤージュニャヴァルキヤには大きな影響を受けていると考えています。

 

ヤージュニャヴァルキヤによれば、自己=アートマン=ブラフマン は、存在の根源であり、絶対の主体です。

それは認識の主体であるが故に、けっして認識の対象にはならないのです。

ですから、認識されることはなく、認識の対象を否定していくことによってしか到達しないものです。

『~に非ず ~に非ず』としかいいようのないものが自己です。

 

仏陀はまさにこの考えを自分独自に推し進めました。

そして、『形成されたものは無常である(生じたものは滅するものである)無常であるものは苦である。無常であり苦であるものを私、私のもの、私の本体と言っていいであろうか。』と悟ったのです。

つまり、明らかに『非我』です。形成されたものを私ではないと言っているのです。

これは、ヤージュニャヴァルキヤの言っていることと同じです。

 

ところが、弟子たちは、この『非我』を『無我』としてしまいました。

無我つまりアートマンがない、自己がない、主体がない、実体がない、とないないづくしになってしまいました。

無我の考えが仏教の全体を覆う考えになったので、瞑想も思考をとにかくなくしていくという無思考型瞑想全盛になりました。思考がなくなれば万事解決というわけです。

仏教は灰身滅智の方向に向かいます。

そういうとき、『そんなものは仏陀の真意ではない。』と叫び声を上げたのが大乗仏教です。

『今までの仏教は、一切の諸法は皆空寂にして無生無滅無大無小、このように思惟して喜楽を生ぜず、これを究竟なりと思っている。長夜に空法を修しているだけだ。』と叫び声を上げたのです。

 

しかし、その大乗仏教も、龍樹という天才が現れ、縁起も空も仏陀が言った意味とは違う龍樹独自の教説になっていきました。

 

ですから、いま、仏教の影響を受けた教えはすべて、絶対の主体を説こうとせず、その絶対の主体の創造性や意志や想いの力も説きません。

灰身滅智です。

人間にとって最も大切な、創造の主体、自由意志を否定する考えが蔓延っています。

上座部仏教も大乗仏教も無我説によって仏陀の真意から離れてしまったと感じます。

 

空一辺倒の一元論に嵌まってしまうと、現実遊離、現実逃避へと向かいます。

百丈野狐の公案を思い出してください。

空一辺倒の不落因果を言った僧は、間違っていたために五百生、狐に生まれ変わりました。

しかし、不昧因果も未だしです。

故に、無門は、『不昧不落 千錯萬錯』と言ったのです。

不昧も不落も大間違いだと。

 

落因果でもなく

不落因果でもなく

不昧因果でもない。

まさしく、自らが因であることを徹底的に気づかなければいけないのです。

自らが因であることこそが、自由です。

自らを原因とする、自らに由る、のが自由です。

 

仏陀は、kamma(身口意の行為=想い・想いに基づく言葉・想いに基づく身体的行為)がすべての因と言いました。

自らが因なのです。自由なのです。

 

それをねじ曲げてしまったが為に、『悟ったけれども、悟る前と何も変わらない。目は横についていて鼻は縦についているとわかっただけだ。』などというのが悟りとなってしまいました。

 

『歴史は絶対精神の自己展開である』という言葉があります。

そして、絶対精神の本質は自由であるが為に、自由へと向かっているのです。

その絶対根源の力に目覚めないような教説、虚無思想からは私は一目散に逃げます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最高の非想非非想定も

ターボー (182.158.73.229)  

ショーシャンクさん、お久しぶりです。お元気でしたか?
相変わらず携帯やiPadからはショーシャンクさんのブログに書き込めません。
書き込もうとするとmismatchと表示されます(笑 本当です)
一昨日も漫画喫茶から書き込もうとしたんですけど、書いてるうちに寝てしまいました。
 
質問があります。
下の四禅定はショーシャンクさんの書き込みから引用したのですが、
 
質問1)仏陀在世中は最高境地だと言われた四無量心とは四禅定の何処に当てはまりますか?
 
質問2)物が物として認識できなくなる(泡みたくなる)のは四禅定のどこでしょうか?
 
質問3)一境性だけの四禅になっても、まだ色界なんでしょうか?なら色界を脱するのは何禅ですか?
 
質問4)道元が色即是空の転法華あり、空即是色の転法華ありというような事を言っていますが両者は違うと思いますか?
 
つまりこの世の見え方、世界観が違ってくるのかどうかということです。
 
最近禅の世界を調べていて二系統あるのは確実だなと思ってきています。
曹洞宗でもシューシャンクさんが言われる四無量心が涅槃だと言われる系統と、 道元が中国に天童如上から指導を受け、目横鼻縦が分かったと言い、 一生の参学ここに終わりぬと言った所を涅槃とする系統。
 
もちろん目横鼻縦派は仏陀の至った境地は道元の決着がついた境地だと思っているようです。
怖いのはこの決着がつく方は、もう元に戻らなくなるそうです。戻らなくなるとは、二元性に戻らないということです。
これはつまり、道元の至った境地と仏陀が至った境地は同じなのか違うのかという大問題だと思います。
そして四無量心派はダルマがあり、目横鼻縦派はダルマが無いみたいな感じがします。 四無量心派だと藤田一照さんがショーシャンクさんと主張がそっくりです。
ただ瞑想と只管打坐という手法の違いはあります。
八正道の正見から道は始まり、涅槃に至る道はない、道が涅槃である。 目横鼻縦派は井上義衍系統みたいです。どうしてこんな主張が別れるのでしょうか?
私の推測だと質問4が関係しているんではと思っています。
出家しないで日常生活を送りながら完全に認識を落とすなんてことが可能でしょうか? どうしても他者の目が気になりそうです。
しかも認識が落ちても頭の記憶は落ちないだろうし。
 
以下引用 定には、
色界定と無色界定があります。
色界定=四禅定
 
【初禅】 諸欲を離れ、諸不善法を離れ、尋あり、伺あり、      離から生じた喜と楽とある初禅を具足して住す。
 
【第二禅】尋と伺とが止息し、内心が浄くなり、心が統一し      尋なく、伺なく      定から生じた喜と楽とある第二禅を具足して住す。
 
【第三禅】喜を捨離し、捨によって住し、念あり正知ありて、身の楽を受け      『捨あり念ありて楽住す』と諸聖者が説く第三禅を具足して住す。
 
【第四禅】楽と苦を断じ尽くし、すでに喜と憂を滅しているから、不苦不楽にして      捨によって念が清浄となった第四禅を具足して住す。
 
これがパーリ仏典による定型的な説明ですが、
他の説明では、 尋・伺・喜・楽・一境性の5つ(五禅支)をなくしていくとされています。
つまり
【初禅】 では、尋・伺・喜・楽・一境性の5つ全部があり
第二禅】では、尋・伺がなくなり、喜・楽・一境性の3つがあり
【第三禅】では、喜がなくなり、楽・一境性の2つだけになり
【第四禅】では、楽がなくなり、一境性だけになります
 
 
ちなみに返信はできないかもしれません。いちいち漫画喫茶に来ないと送れないから。 尊敬するショーシャンクさんのご健康とご活躍をお祈りしております。^^v

 

 

たーぼーさん、こんばんは。

長くなりそうなので、何回かに分けて継ぎ足しながら書いていきますね。

まずは、ざっとした大まかなところを書きます。

私は四無量心を非常に重要視しています。究極の境地だと思っています。そして、まだ四無量心の解説はしていませんが、今までの仏教とは全く違う解釈を私はしています。四無量心こそ本来の心を表したものです。ですから、四禅定などのカテゴリーには入りません。私が考える、四無量心は、涅槃と同義の究極の境地であり、自費出版で明かそうと考えているところです。たぶん、誰の解釈とも全く違うと思います。

四無量心が究極の境地ということでさえ、いまの仏教の解釈とは全く違います。

ある理由があって、仏陀の死後、四無量心はどんどん貶められ、色界最下層の境地とされ、涅槃には至らないとされました。

梵天の住む色界最下層に生まれ変われるだけだとされました。

今の仏教解釈は、どれも仏陀の真意を捻じ曲げています。

 

次に、色界の禅定(四禅定)も無色界の禅定も、しょせんは無思考型の瞑想であり究極ではありません。

色界と無色界の定の最高は、無所有定と非想非非想定です。どちらも、出家したばかりの釈尊が習った瞑想ですが、釈尊はすぐその境地に到達したものの、『これは私の求めているものではない。涅槃にも解脱にも行き着かない。』として捨てて去ります。

これでわかるように、色界定も無色界定も涅槃に到達するような瞑想ではありません。

いまの私の結論では、無思考型の瞑想は、雑念を少なくすることには効果があるものの、無思考だけであればどこにも行き着きません。まして涅槃というような究極の自由な境地には行き着くはずもありません。

四諦十二縁起や四念処のような理法を徹底的に瞑想しなければ、智慧は生じませんし、精神の転回は起きません。

また慚愧懺悔が起きなければ、中心を滅することなどできるはずもないのです。

 

無所有定も非想非非想定も釈尊が捨てた瞑想です。

しかし、釈尊は、悟った後も、頻繁に禅定(四禅定や無色界定)に入ります。

それは、無思考の境地を楽しむためです。修行ではありません。

言葉を使って教えを説くには思考をフルに使わなくてはいけません。

膨大なエネルギーが必要な作業です。

悟った釈尊にとって、無思考である状態は、何より安楽な状態だったのでしょう。

入滅するときも、四禅定や無色界定に入っていきます。

 

しかし、われわれ普通の人にとって、無思考の瞑想など、座禅をしている1時間だけのことであり、座禅から立って日常生活に戻ったとたん元の木阿弥です。

 

禅には臨済禅(公案禅)と曹洞禅(黙照禅)がありますが、臨済禅が公案を考えに考え抜いて無思考に到達するのに対し、曹洞禅は最初から無思考です。特に黙照のほうが危険だと思います。

いまは、瞑想と言えば無思考型ばかりなので、それで本当にどこかに行き着くんであろうかと思っています。仏陀が言ったようにどこにも行き着かないのではないかと思います。

 

道元に関しては、私は学生の時は正法眼蔵を読んで感動しましたが、いまは、道元を見ると、精神ががんじがらめで自由な境地にないような窮屈な感じを受けます。

『心迷えば法華に転ぜられ、心悟れば法華を転ず』という禅語に対し、

道元は『法華転法華』と言いました。これは素晴らしい言葉です。

道元が正法眼蔵で言った『色即是空の転法華』『空即是色の転法華』については、ものすごく長くなりそうですので、稿を改めて書きます。

 

六祖慧能が言った『心迷えば法華に転ぜられ、心悟れば法華を転ず』は、法達という法華経専門の仏教学者が教えを請いに来たときに言った言葉です。

あなたは法華経にがんじがらめになって縛られ心迷っている、悟って主体を確立すれば法華経を自由自在に駆使することができる、ということです。

同じ法華経を読んでも、そのために心が法華経にがんじがらめに縛られるか、自由な境涯でスラスラと行くことができるか、です。

 

このエピソードを引いて、道元は、『法華転法華』と言いました。

主体となって法華経を転じているものがすなわち法華だと。主体である法華が法華を転じるのだ、と。

つまり、ワンネスです。主体も客体もワンネス。主体も客体も法華なのです。

だから道元は人気があります。

道元の言葉を読むと、今でも、純白を感じます。雪のような純白。

銀椀裡に雪を盛るという禅語がありますが、まさしくそのイメージです。

 

私もワンネスの世界は好きです。いつまでもその境地に浸っていたい感じです。

いまは、ワンネスといえばノンデュアリティですが、日本で最も先駆的なのは道元かもしれません。

 

しかし、これからが大切なのですが、確かに道元の本を読んでいる間はワンネスに浸ることができるのですが、日常生活に戻ると元の木阿弥です。

何一つ変わらない。

記憶の束が厳然としてあり、その束を『私』と呼んで生活している。その『私』と『私のもの』を必死に守るべく一生懸命になっているのです。

どこにもワンネスはありません。

 

道元もそうです。

北条時頼が道元の弟子の玄明に寄進状を持たせます。玄明はそれを永平寺に持って帰ります。

それを見た道元は、すぐ玄明を破門して永平寺から追い出します。

そこまではいいのです。

玄明の勝手な判断で寄進状を断るわけにもいかなかったとは思いますし、玄明も私腹を肥やしたわけではなく永平寺のためを思って寄進状を持ち帰ったのですから、即刻破門するという処置はあまりにも厳しいとは言えますが、まあ、そこまで厳しい人だったんだな、という感想で終わるでしょう。

しかし、道元は、玄明が座禅していた床まで壊してしまい、あろうことかその床の下の土まで掘りおこして捨てさせたということです。

これはもう潔癖症すぎてちょっと病的な感じがします。

大らかさや優しさ、包容される感じが全くしません。

ワンネスを唱えながら、ノンデュアリティを説きながら、人の攻撃や非難ばかりする人のように、明らかに口と行ないが違います。

禅でもよくいますね。

『わたしはあなたなんだ。』『あなたはわたしなんだ。』『目の前のパソコンはわたしなんだ。』と盛んに言っている人。

そして、それは口だけ、頭だけの理解なのです。

そうであれば、見も知らない私がその人の家に勝手に入り込んで冷蔵庫のものを取り出して料理して酒盛りしはじめたら、その人はそれでも『あなたはわたしなんだ』と言ってくれるでしょうか。

害がない範囲内で、イメージの中だけで『あなたはわたしだ』と言っているだけです。

 

本当にワンネスと口で言うためには、記憶の束である中心を洞察し、その中に埋め込まれている感情、欠乏感、愛憎の膿を洞察し、deleteしていかなければ何も変わらないのです。

禅やノンデュアリティやスピリチュアルで、いくら『わたしはあなた』『わたしは世界』『ワンネスしかない』などと言っても、自分の中の我塊が何も変わってないどころか、ますます増大し繁殖しているのです。

 

ですから、『どこにも行き着かない』ということです。

 

どこにも行き着かないどころか、仏陀が言うように、苦の集積に向かって激流に流されているのです。

 

 

たーぼーさんの質問に答えますと、

①の質問にはすでに答えました。

私が考える四無量心は、本来の心の状態そのままですから、四禅定の段階の問題ではありません。

 

②の質問は、『物が物として認識できなくなる(泡みたくなる)のは四禅定のどこでしょうか? 』ですが、仏陀はこう言っています。

『世の中は泡沫のごとしと見よ。世の中はかげろうのごとしと見よ。』

泡沫もかげろうもはかないものの喩えです。

すべてのもの、すべての形成されたもの、すべての認識されるものは、生じては滅するはかないものだと観じよ、ということです。

これも、智慧が必要です。俯瞰して見ることが必要です。

いくら無思考の座禅、禅定を行なっても、それを止めた途端、この世はいつものように硬い鋼鉄で出来た堅固なものとして自分の周りを圧迫しているでしょう。

泡、泡沫のように見るためには、無常の理法、つまり生滅の理法を徹底的に瞑想するべきです。

再び言いますが、色界定も無色界定も仏陀が出家後すぐ到達した境地です。

しかし、仏陀は、

『この法は智に導かず、覚に導かず、涅槃に導かない。私はこの法を捨ててさらに無上安穏の涅槃を求めるべきである』と思って去ったのです。

 

仏伝でははっきりと、色界定も無色界定も智慧にも悟りにも涅槃にも導かない法だと仏陀自身が言っているのです。

それなのに、特に大乗仏教になってからは、この無思考の瞑想ばかりを重要視するようになっています。

 

③の質問は、『一境性だけの四禅になっても、まだ色界なんでしょうか?なら色界を脱するのは何禅ですか? 』ですね。

公案禅などは四禅定に近いと思います。

尋と伺があって、最終的に一境性に到達します。

公案をひたすら考えるのが尋と伺に当たると考えると、そうやってどんどん思考や感情をなくしていき、(禅では奪い尽くすとかすべてを放下するとか言います)、最終的にはワンネスつまり一境性になるとすれば、かなり近い感じです。

ただ、これも、禅定している時間だけのワンネスですね。

理法を洞察しなければ、中心はそのままの状態でありますから、色界も無色界も脱することなど出来ません。三界から出るには、智慧が必要です。

仏陀は、禅定は『この法は智に導かず、覚に導かず、涅槃に導かない。』と言っています。

 

④の質問は、稿を改めて、時間があるときに書きます。

 

 

 

 

                

 

 

 

 

ヤージュニャヴァルキヤとゴータマ・シッダッタ

ヤージュニャヴァルキヤは自己(アートマン)を心臓の中の虚空に横たわっているという言い方をしている箇所があり、
ここは残念なところです。

しかし、私は、仏陀(ゴータマ・シッダッタ)が最も影響を受けたのはヤージュニャヴァルキヤだと考えます。
仏陀の教えの骨格はヤージュニャヴァルキヤにあるように思えます。

自己(アートマン)を『~に非ず ~に非ず』としたこと。
行為(業)によって輪廻転生すること。

祭祀によるのではなく、真理を知ることによって不生に達するとしたこと。
妻を捨てて出家するという生き方。

これらを見ると、青年期のゴータマ・シッダッタはヤージュニャヴァルキヤの教えに甚大な影響を受けて出家し
行為や欲望を滅して不生に到達しようとしますがかなわず
ついに、行為や欲望のもっと元に、真の原因たる無明(苦を知らないこと)があることを発見し(四諦十二縁起)
独自のやり方で成道したのではないかと思えるのです。

ですから、仏陀は独自にそれまでにないやり方で無上の悟りを開いたのですから天上天下唯我独尊であることは確かですが
それに至るまでにヤージュニャヴァルキヤの影響は非常に大きいものがあると思っています。

 

 

行為によって輪廻転生することを言い出したのがヤージュニャヴァルキヤです。
自己を『~にあらず』としか言えないと言ったのもヤージュニャヴァルキヤです。
バラモンでありながら祭祀ではなく真理を知ることによって自己に到達するとしたのもヤージュニャヴァルキヤです。
妻を捨てて出家するという生き方をしたのもヤージュニャヴァルキヤです。

そして、その考え方はゴータマ・シッダッタに引き継がれています。

レス

高原 (126.42.33.248)    

ショーシャンクさん、こんばんわ。
法華経の論文、読みました。法華経は年代的にかなり早いのでそうだとは思います。大乗仏教と大衆部との関係については、以前は関係性を疑問視する論議が多かったのですが、今はまた「やはり大乗仏教は大衆部から生まれた」とする説の方が強くなっているそうです。
偶然と考えるには面白いのが、大衆部があったのが南インドであり、そして、その南インドは時期を同じにしてトマスがキリスト教を広めたキリスト教が盛んで信仰された地域でもあったという事実です。 龍樹とキリスト教の関係について書かれた論文があって、その論文には「龍樹がキリスト教に出会っていたことは間違いない」という記述がありました。 法華経の「私(釈迦)は死んだのではない。死んだふりをしただけだ。私はずっと生きている」という有名な経文は、そのまま「キリストの復活」だと思います。

 

高原さん、こんばんは。

部派仏教の大衆部がそのまま大乗仏教に発展したという考えは、いまは否定されていて、その後に起こった、仏塔管理者の在家の法師たちが大乗仏教を起こしたという通説も否定されているはずです。

ただ、いまは、在家が大乗仏教を興したのではなく、サンガ内の出家の一部がひそかに大乗仏典を作っていったという説が有力なのだと思います。

大乗仏典を見ると、原始仏典に精通していてそれを基にしていることがわかります。ですから、サンガ内の比丘が作ったのだろうとは思います。

しかし、大乗仏典をひそかに作っていったのは確かですが、インドでは全く広まらなかったというのはグレゴリー・ショペンの言うとおりだと思います。

5世紀までは大乗教団というものがインドにはなかったようですし、5,6世紀になってやっと現れた大乗教団らしきものもそれまで仏教が伝わっていなかった辺境の地だったということです。

ですから、龍樹が現れた後も、インドでは大乗仏教はほとんど注目されていなかったということです。

極論を言えば、大乗仏教は中国で興隆したといえるかも知れません。

第一結集の経緯を知らない中国では、文字の経典、原始仏典と大乗仏典が同時に入ってきてその経典のどれも仏陀の直説と考えられたので、大乗仏教が興隆する環境にあったと言えるでしょう。

 

キリスト教の影響に関してはわかりません。

私は浄土教に関しては、仏陀の考えとは真逆の思想で、浄土教ができるまえにインドで民衆に熱狂的に流行していたバクティや神の名前を唱えると死後よいところに生まれるという思想が、そのまま仏教に取り入れられ、その思想を元に浄土経典を作り出していったグループがいたのではないかと思っています。

龍樹は浄土教に関して非常に高い評価をしています。ある意味浄土教の祖でしょう。

 

 

コンゼという人がこう言っています。

『紀元前400年以後、バクティの運動がインドに起こり、紀元の初め頃、非常な勢力を得た。バクティとは人間の形をした尊敬すべき神々に対し、親愛を込めて個人的に帰依することである。インド民衆におけるこのバクティ的傾向は、それ以前にも長い間、仏教に影響を与え続けていたが、紀元頃、非常な勢いで仏教に流れ込んできた。』

(エドワード・コンゼ 『仏教ーその教理と展開』)

 

無量寿経の成立は、紀元1~2世紀と言われています。

インドのバクティ運動が非常な勢いで仏教に流れ込んだ結果が浄土教でしょう。

山林に住む比丘と里に住む比丘

インドでは、古代から、山林や郊外に住む修行者と村に住む修行者の対立があったという論文を見つけました。

里から離れて一人修行する者と里の近くで仲間と修行する者とが分かれて対立していたという指摘です。それはヴェーダの時代からバラモン教にもあり、そして仏教にもあったと言うことです。

この対立は、提婆達多の造反にも関係するかもしれませんし、大乗仏教の起源にも関係してくるかもしれませんので、その論文を載せます。

 

ところどころ文字化けしていますので、修正していきますが、時間がかかりそうな場合はこの記事全部を削除します。

非常に読みづらいですが、一応上げます。

 

 

ヴェーダやブラーフマナの時代から一貫してインド文化では, αmρrya (郊外,荒 野)と gramα (村)の対立が見られる。この点に関して, Olivelleは次の様に述べて いる。「二つの宗教形態一一ヴェーダの儀式尊重主義と苦行主義は,二つの場すなわち村と荒野で象徴される。」

この対立は,以下に見るように,仏教においても見られるものである。

ノミーリ聖典にも,阿蘭若住比丘 (iiraiiiiaka) と村住比丘 (giimantavihiiri)とが並 記されている例がある。

例えば, Vin. III 171. 2f. yo icchati araiiiiαko hotu, yo icchati glimαnte vih rat~ yo icchati #JJefaPatiko hotu, yo icchαti nimantanarμ siidむほtu,.…

(“阿蘭若住者になりたい者はな れ;村に住みたいものは住め;托鉢者になりたい者はなれ,招待食を受けTこし、もの は受けよ;

 MN I 30.一3f.kiiicapi so hoti araiifiαko pantaseniisano, Pifl,rj,apatiko sapadiinaciiri, parμsukuliko lukhacivaradharo,αtha kho narμ sαbrahmaciiri na sakkaronti ..・H ・.kiiicapi so hoti glimαntα, vihiiri nemantaniko gahapαticivαradharo, atha kho nαm sabrahmaciiri sakkaronti...

(“たとえ彼が阿蘭若住者・遠く離れた臥坐処に住む者・托鉢者・一軒 一軒巡って托鉢する者・糞掃衣を着た者・粗末な衣を着た者であろうとも,修行者 仲間は彼を尊敬しない……。たとえ彼が村に住む者・招待食を受ける者・在家者 [からもらった]衣を着る者であろうとも,修行者仲間は彼を尊敬する。”)

. MN I 473.1~3. araiifiakeniipi kho iivuso Moggalliina bhikkhunii ime dhammii samiidiiya vattitabbii, pag-eva glimαntavihiirinli

(“Moggallana君よ。これらの事は阿蘭若住比 丘も受持して実行すべきだ。まして村に住む[比丘]はいうまでもない。”).

 

次の諸経典の記述は,阿蘭若住比丘と村住比丘の対立が早い時期からあったことを 明確に示している。

A1匂uttara-NikiiyαIII341f.には次のようにある。

礼拝にくる在家者たちの喧喋を聞いた仏は,侍者 に,名声より閑居の楽を好むと語り,さらに次のように言っ た。

「閑居・寂静・正覚の楽を得ることのできない人は,不浄な楽,睡眠の楽にも似 た利得・恭敬・名声の楽を享受すればよい」。

そして村に住むことを次のように庭し た(ANIII 342.一lf.)。

“村に住む (gamantavihiirf)比丘が三昧に入って坐っているのを見ると,私は 「守園者か沙弥が邪魔して,彼を三昧から出させるのではないか」と考える。だか ら私は,彼が村に住むこと (giimantavihiira)を喜ばない。

阿蘭若住の(αrafiiiakα)比丘が阿蘭若の中で居眠りしながら坐っているのを見る と,私は「いまに彼は眠気と疲れを取って,阿蘭若(αrafifia)を唯一の対象とした 考察をするに違いない」と考える。だから,私は,彼が阿蘭若に住むこと (αrafiiiavihiira)を喜ぶ。

あるいは,阿蘭若住の比丘が阿蘭若の中で,三昧に入らず坐っているのを見る と,私は「彼はいまに集中していない心を集中させ,集中した心を保つで、あろう J と考える。だから,私は,彼が阿蘭若に住むことを喜ぶ。

あるいは,阿蘭若住の比丘が阿蘭若の中で,三昧に入って坐っているのを見る と,私は「彼はいまに解脱していない心を解脱させ,解脱した心を保つで、あろう」 と考える。だから,私は,彼が阿蘭若に住むことを喜ぶ。

あるいは,私は,村住の比丘が衣・飲食・坐臥具・薬・日常必需品を得るのを見 る。彼は,利得・恭敬・名声を望み,独坐膜想を捨て,阿蘭若と森 (arafiiia-vanapatthiini)を捨て,人里離れた住処 (pantiiniseniisaniini)を捨て,村・ 町・都に入って,そこに住まいを定める (viisarμ kappeti)。だから私は,彼が村に 住むことを喜ばない。

あるいは,私は,阿蘭若住の比丘が衣・飲食・坐臥具・薬・日常必需品を得るの を見る。彼は,利得・恭敬・名声を避け,独坐膜想を捨てず,阿蘭若と森を捨て ず,人里離れた住処を捨てない。だから,私は,彼が阿蘭若に住むことを喜ぶ。

 

” 同様の記述は, ANIV 343.23f.にも見られる。このように村住比丘の生活様式を反し ている A勾u伽 ra-Nikiiyaは,阿蘭若住の比丘の立場に立っていると言える。 これに対して, Sarμyutta-Nikiiyaにある M留勾・azenaという経(SNIV 35.-4f.)は, 村に住むことを支持している。 Migajalaという比丘に,「一人でいる者」 (ekavihiirf) と「連れといる者J(sadutむ1a-vihiirf)の意味を尋ねられた仏は次のように答えた。

 

“好ましく,快く,魅力的で,欲をかきたてる形・音・匂い・味・触感及び意識 の対象があるが,もし比丘がそれらを楽しみ,歓迎し,執着すれば,彼に歓喜・貧 着が起こり,その結果 彼は歓喜の繋縛に繋がれることになる。

こうなった比丘が 連れといる者 である。

たとえ彼が,森の中の,人里離れ,閑静で、,ざわめきな く,世間から離れ ,独坐膜想に適した住処に 住もうとも,彼は「連れといる者」と呼ばれる。

他方,もし,比丘が,好ましい形・音・匂いなどを楽しまなければ,彼に歓喜・ 貧着は起こらず,歓喜の繋縛に繋がれることもない。このような比丘が「一人でい る者」であり,たとえ彼が,比丘・比丘尼・男女の在家信者たち・王・大臣・外道 とその弟子たちに混じって村 (gamanta)に住もうと,やはり「一人でいる者」と 呼ばれる。

 

” 上記のパーリ経典の記述から,阿蘭若住比丘と村住比丘の対立が早い時期からあっ たことが分かる。

 

ここで、法華経勧持品を見てみると・・・

阿蘭若に住んで,桂複を着た,愚かな苦行者たちが,私たちのことを(αsme) こう言うでしょう (第 5偏)

「彼らは味 (rasa)を貧り執着し,在家者たちに法を説く 」と。

彼ら(=阿蘭若比丘たち)は六神通を持つ者

れ,私たちのことをこう言うでしょう

「実に, この比丘たちは外道だ!彼らは自分たちの詩 (kiivyani)を説く

 

利益と名誉のために,彼らは自分で経典 (sutrarzi)を作って,集会 の中で 説く Jと。

 

私たちを罵る者は 、王たち・王子たち・大臣たち・バラモンたち・居 士たち,さらに他の比丘たちにも、私たちの悪口を言うでしょう。

「彼 らは外道の教義を広めている」と

私たちは偉大な聖仙たち(=仏たち)への尊敬の念から,これら全てを耐えましょ う。

 

 

羅什訳も同様に解釈できる。

或有阿練若納衣在空閑

自謂行員道軽賎人間者:

“貧著利養故輿白衣説法” 篤世所恭敬如六通羅漢是人懐悪心常念世俗事 仮名阿練若好出我等過而作如是言:“此諸比丘等篤貧利養故説外道論議 自作此経典証惑世間人魚求名聞故分別於是経” 常在大衆中欲殻我等故向園王大臣婆羅門居士及徐比丘衆誹誘説我悪 謂:“是邪見人説外道論議” 我等敬イ弗故 悉忍是諸悪、

 

著者の解釈にも,引用文(誹誘)と平叙文の区別に関して,まだ不確定な点が残っ ていることは認めざるを得ないが,それでも,これら偏から,以下の点が分かる。

 

1)阿蘭若住比丘が「私たち」を非難

(2)阿蘭若住比丘は愚か (durmati)

(3)「私たち」は在家者に説法したことで非難される

(4)「私たち」は経典を作ったとして非難される

(5)「私たち」は味に執着しているとして非難される

(6)「私たち」は比丘、さらに,同じ「勧持品」の第四から,次の二つの ことが分かる。

(7)「私たちj は集会でこの経典(すなわち法華経)を説こう

(8)「私たち」は,仏が託したもの(すなわち法華経)をさらに伝えるために,町 や村の人々を訪ねましょう

 

要するに,「私たちj は,対立する阿蘭若住比丘に新しい経典を作ったと非難され つつも,町や村の人々に法を説く者である。

「私たち」は将来も法華経を保持し説き 続ける。

上述の備に先行する散文に拠れば,八十千万億の菩薩がこれらの備を説いた設定で あり,「私たちJとはこれら菩薩だが,実際は,この「私たち」とは『法華経』の作 り手・担い手に他ならない。

さらに,阿蘭若住比丘の「私たち」に対する誹誘の言葉は,すでに見たrcchaSutraにおける阿蘭若住比丘の村住比丘に対する非難 一一

「君たちは舌の先で、もっとも美味しい物を探している」

「彼らは常に書 物を持ち運んでいる」

に類似していることが注目される。

 

以上の点から見て,『法華経』は,村住あるいは村志向の比丘たちによって作られ たと考えられる 。

仏教史最大の謎

高原 (126.42.33.248)    

ショーシャンクさん、こんばんわ。 少し資料を読んでみてましたが、部派仏教の大衆部は規模が格段に小さく、弱小だったことが書かれてました。おっしゃっている通り、5~6世紀に時代が移ってもインドでは大乗仏教も龍樹の影もないに等しい誰にも見向きもされない存在で、それがなぜ中国で大乗仏教が花開いたのか、また、その中国で仏教は数世紀の後、跡形もなく姿を消したのかも、謎のようなことだらけです。宗教というのは国の保護がなければ保たれないという話があり、そういう意味では中国のように王朝が他民族王朝に変わることも普通に起こり、その度に前支配民族の大量粛清が行われ、思想、宗教も一緒に土に埋められてしまえば仕方がありませんが。 インドの仏教僧団が金持ちだったというのも不思議な話です。お金持ちなら、なぜ托鉢をして他人の家を回り、(腐っているかも知れない)食べ物を貰って食べるという辛い食事をしなければならかったのか。釈迦は食べ物や施し物を貰うことは良しとしましたが、「何も持つな」と所有物を否定し、お金を受け取ることは禁止していたのではないですか?、などの謎も。

 

高原さん、こんにちは。

グレゴリー・ショペンの著作は、私たちの仏教史のイメージを根底から変えてくれます。

そして、これこそが、本当の仏教史の姿だと思っています。

これを歴史上の事実として、なぜ大乗仏教は興ったのか、これを解き明かしていく必要があります。

これがわからないと、仏教の根底を流れるものがわかりません。

つまり、仏陀の真意が分かりません。

 

中国でまず大乗仏教が流行った理由は簡単です。

仏陀の直説は文字にされず、サンガの中で口承、口伝で伝えられていきました。

紙に文字を書く経典が作られ始めたのは大乗仏典が先だという説もあるくらいですから、すくなくとも原始仏典、大乗仏典が経典となったのはほぼ同時かもしれません。

中国に伝わってきたのは、そのような経典群であり、インド由来の経典はすべて本物とされました。

ですから、小乗、大乗の区別なく入ってきたのです。

龍樹の論書も翻訳されて入ってきました。

 

インドと中国の仏教の根本的な違いは、インドでは、部派仏教が第一結集で確定した教えを守っていたことは仏教徒なら誰もが知っていたのに対し、

中国では、原始仏典、大乗仏典ともに仏陀の直説だという前提であったということです。

そのため、インドではほとんど大乗仏教が広まらず、中国で流行っていったということです。

 

さて、これらの史実から、やはり最も大きな謎が生まれます。

なぜ大乗仏教は興ったのか?です。

第一結集で確定した仏陀の教えが大事に守られていたにもかかわらず、いきなり、全く新しくなぜ仏典を創作し始めたのか?

これは仏教史上最大の謎です。

イメージしてみてください。

とても尊敬され、非常に優れた教えを説いた聖者がいたとします。

その人の弟子であれば、自分の師匠の言葉を後世に間違いなく伝えたいと思うでしょう。

仏陀の直弟子たちも、仏陀の教えがねじ曲るのを怖れ、仏陀の死後直後に500人集まって教えを確定しました。

そこで確定した教えこそが仏陀の教えです。

その教えを大切にサンガで伝えていきました。

ところが、仏陀の死後数百年も経ってからいきなり、全く新しい経典を『仏陀の言葉だ』と言って勝手に作り始めたのです。

それはすべての仏教徒にとっては、悪魔の所業に見えたでしょう。

今まで確定した仏陀の法を間違いがないように守ってきたのに、仏陀の顔も知らず声を聴いたこともない人間たちが勝手に経典を作り始めたのです。

仏教徒にあるまじきことです。

今までの仏教史では、このことの重大性は無視されてきました。

大乗仏教は部派仏教の大衆部から発展したものという説も有力でした。

しかし、今では、それは否定されています。

自然発生的にできたわけではなく、突然、あちらこちらで、経典を勝手に創作する者たちが現れてきたのです。

これは本当に謎です。

ここを解明すれば、仏教の謎が解けると思いますし、逆に言えば、この謎が解けない限り、私たちは全く仏教なるものが分からないまま来たというしかありません。