仏教徒は、バラモン教あるいはヒンドゥー教を非常に嫌います。
これは、部派仏教も大乗仏教も変わりません。
あたかも、仏教はバラモン教の全否定で成り立ってるというように思われています。
しかし、本当にそうでしょうか。
仏陀の死後2500年が経った今から仏教の原点を見ず、仏陀の時代の視点で見ると、全く違う景色が見えてきます。
仏陀の時代、そもそも、『バラモン教』なるものはありませんでした。
仏教以前のインドのヴェーダ文化を後世の欧米人の学者が仮に『バラモン教』と教団のように名付けただけです。
そこにあるのは、紀元前1000年頃からできていたヴェーダと呼ばれる聖典の数々でした。ウパニシャッドもヴェーダの一部(奥義書)です。
仏陀はそのようなヴェーダ=聖典というインドの土壌に生まれました。(ルンビニは現在のネパールですが、古代インドのヴェーダ文化圏です)
アーリア人からなる祭祀を司るバラモン階級に対し、非バラモン階級の自由思想家たちが『生まれによってバラモンではない』と発言し始めていました。
また、バラモンにも『生まれによってバラモンではない』と言った人はいます。
祭祀経典であるヴェーダから知識の道であるウパニシャッドが生まれたように、血筋ではなく知識や想いによって神(または自己の根源)に到達するというように変貌していました。
バラモン階級は祭祀を司る階級です。
しかし、バラモンであるヤージュニャヴァルキヤなどにより、祭祀ではなく自己の探求によって不生に到達するという思想に移行していったのです。
当然の帰結として、祭祀階級であるバラモンでなくても自己の探求はできる、解脱は出来るとなり、それが自由思想家たちを生み出しました。
つまり、ヴェーダの中でも祭儀書から奥義書のウパニシャッドへというようなヴェーダ文化の大きな流れの中で仏陀は生きていたわけです。
仏陀自身は、『ヴェーダの達人』と呼ばれていました。
これは、イエス・キリストが旧約聖書(イエスが在世中は旧約聖書ではなく聖書そのものでした。新約聖書ができてからそれまでの聖書が旧約聖書と呼ばれたのです)に非常に詳しくて人々が『どこで勉強したんだろう』と驚いたという記述を思い出させます。
しかし、イエスは『ファリサイ人』や『律法学者』を攻撃したのでユダヤ教を否定したと思う人がいます。
仏陀も『生まれによってバラモンなのではない。行ないによってバラモンなのである。』と言ったのでバラモン教を否定したと思われています。
バラモン教の否定、排斥の方向に仏陀の死後急速に進みましたから、非我を無我(自己の本体であるアートマンは無い)という、諸法無我が仏教の根本だとねじ曲っていきました。
無我であるのなら、善因善果悪因悪果の果は誰が受けるのか?という当然の疑問が出てきて、それを解決するために非常に煩瑣な議論を延々と続けるはめになりました。
『そんなものは仏陀の真意では無い』と叫んで誕生したのが大乗仏教です。
さて、話を元に戻すと、仏陀はヴェーダを否定しておらず、むしろ、ヴェーダがわからなければ仏陀の真意はわからないでしょう。
旧約聖書、ユダヤ教が分からなければイエス・キリストはわからないように。
仏教徒は、外道=バラモン教 と思っています。
外道の代表は六師外道です。
しかし、六師外道は、その誰もいわゆるバラモン教ではありません。仏陀と同じ、自由思想家たちです。
非バラモンのsamanaです。
仏陀もsamanaです。