グレゴリー・ショペン『インドの僧院生活』

グレゴリー・ショペンの『大乗仏教興起時代 インドの僧院生活』は非常に面白い本です。

この本の219ページの見出しは『世尊も舎利弗も大迦葉もみな金持ちだった』です。

『アヴァダーナ・シャタカ』には『仏陀世尊は、有名で金持ちで、衣、鉢、寝具、薬、所属品を持ち、しかじかの場所に、弟子衆とともに住しておられた。』とあるようです。

摩訶迦葉も『有名で金持ちで』と書かれており、それは仏陀の死体の供養を完全にやり直したことからも分かるということです。

最初の葬儀のためには、500セットの綿布や火葬のための香木を揃えるために、クシナーラ全村がそれにかかったくらいの出費だったわけですから、それを摩訶迦葉の私有財産で完全にやり直したということは、村全体より多くの財産を持っていたということです。

 

 

そして、もっと衝撃的なのは、大乗仏教は、中国では流行っていましたが、インドでは、かなり後世になるまでほとんど認められてなかったということです。

 

『三世紀の中国では、大乗は聖職者や社会的なエリートたちの間で「最も重要なもの」であり、よい位置を与えられていました。同じ時代に、インドにあっては、それは戦闘的であり、学識のある僧侶や社会的なエリートたちによって嘲笑され侮辱され、せいぜい社会の周辺の存在に過ぎませんでした。』

『インドにおける大乗は、中国での状況とは驚くほど対照的に、5世紀までは制度の上からも公衆にとってはまったく目にもとまらない存在でした。』

と書かれています。

 

また、アンドレ・バロー教授は法顕の旅行記を詳細に読み返した結果、『極めて稀な例外を除けば、インドには明確に大乗である要素はほとんどないと法顕は記している。』

『もし彼の説明を承認するならば、五世紀初頭のインド仏教徒の信仰対象はほとんどすべて初期経典に説かれている仏陀である。』

『それゆえ、法顕の旅行記全体を通して、われわれには五世紀初頭のインド仏教はもっぱら小乗のみであったと思われる。』

と書いています。

 

仏教史が覆る

高原 (126.42.33.248)    

ショーシャンクさん、こんにちは。
 
グレゴリーショペンなる方の名は聞いたのは初めてで、どういう人物かとも分かりませんが、グレゴリーショペンの記事を見ていて「大乗仏教は5~6世紀の中国で体系化され、インドに逆輸入された」という文があって、これは衝撃的な発言で、これまでのインド由来の仏教の常識を叩き壊すものです。
 
ぼくは以前から法華経が中国人の著書であるような感じがあって、しかし法華経のサンスクリット語判がある限り、それもないかと思ってきましたが、逆輸入されたとすればそれも説明出来ます。
司馬遼太郎が「華厳経は中国の砂漠のオアシス都市で書かれた」という指摘も合致します。 スッパニパータ、ダンマパダ、阿含経が、韻を踏んだ詩的、簡素、モノクローム的、哲学的、であるに対して、大乗仏教の華厳経、法華経、浄土経は、情緒的、情熱的、教訓的、道徳的、色彩的、であり、とても同じ地域の同じ民族の書いたものととは思えませんでした。 中国の5~6世紀と言えば、隋、唐の時代で、中国歴史史上、最も文化が爛熟した時代で、大乗仏教を作り出す土壌は確かに整っていました。

 

 

 

高原さん、こんばんは。

 

グレゴリー・ショペンは、考古学的な手法で、碑文を徹底的に読み解いていった学者です。

仏教界に衝撃をもたらせた人物です。

私も、この人の読み解いた仏教史は正しいと思っています。

 

大乗仏教の国日本で生まれ育った私たちは、漠然と大乗仏教が本当の仏教で小乗仏教は低い教えだと感じています。

少し仏教に詳しい人なら、五時教判を持ち出して説明するでしょう。

釈尊は、悟った直後に悟りの境地そのままの華厳経を説いた。

しかし、あまりにも高度なので誰にも理解できなかった。

そこで釈尊は、道徳的でわかりやすく低い教えである阿含経を説いた。

少しレベルが上がったところで、大乗の維摩経などを説き始めた。

だんだんレベルを上げていって、般若経を説き、そして最高の教えたる法華経を説いた。そして入滅する夜に涅槃経を説いた。

この天台の五時教判は物語的にも面白く、理解しやすいので日本仏教の定説になっていきました。

 

しかし、そのような仏教知識を白紙にして、最古層の仏典から紐解いていくと全く違う景色となります。

仏陀の直弟子たちは、仏陀の教えがねじ曲がっていかないように、仏陀の死後直後、500人の弟子たちで教えを確認し合いました。それが第一結集です。

これで仏陀の教えは確定したのです。

そして確定した教えをサンガで大事に大事に守っていきました。

第一結集に依らない経典を勝手に作り上げるなど、まさしく悪魔の所業でした。

ですから、グレゴリー・ショペンが読み解いたように、『中国で大乗がインテリ受けしていた頃、インドではまるでダメ。大乗は嘲笑・あざけり・侮蔑の対象であり、大乗の人々は小乗を罵倒しつつ悪戦苦闘する戦闘的な少数派だった。』というのはまさしくその通りだったと思います。

ただ、大乗仏典が中国で作られたわけではありません。

インドのサンガの中で、ひそかに作られて行ったのでしょう。

そして、見つかった僧侶はサンガから追い出されたことでしょう。

 

先に中国で大乗仏教が流行したのには訳があります。

経典として紙に文字を書き始めたのは大乗仏典が先で、それを見て焦った部派が原始仏典を書き始めたという説もあるくらいですから、たぶん同時期に経典として作られて行ったのでしょう。そして、中国では、仏教がどんどんインドから入ってきましたが、インド発祥の経典はすべて釈尊が説いた教えとされました。

また、大乗仏典はサンスクリット語という極めて優れた文字を使います。それに加え、いたるところで小乗の悪口が書かれ、小乗を低い教え、大乗をすぐれた教えと強調しています。

すべてを釈尊の言った言行録としてみるならば、大乗仏典がもてはやされたのは当然です。

 

いま、玄奘三蔵が行ったインドのナーランダ大学はその当時、大乗仏典と原始仏典どちらが主流であったのかを調べていますが、まだわかりません。

玄奘三蔵は般若経を唐に持ち帰ったとされていますから、大乗仏教全盛の中国では、やはり大乗の経典を持ち帰ることが主眼になったのでしょう。

しかし、実際は、その当時のナーランダ大学では、どちらが主流であったのか、それがわかれば、グレゴリー・ショペンの説が正しいかどうかもわかる気がします。

グレゴリー・ショペンの説では

グレゴリー・ショペンの説をざっくりと解説したブログ記事がありましたので載せます。

従来の仏教のイメージが崩壊します(笑)

上座部仏教(小乗仏教)も大乗仏教も。

 

 

・いわゆる”小乗”教団
  ……財産を捨てて出家し静かに瞑想ばっかりしてる
    というイメージは大間違い。
    僧たちはいかに財産を貯めるかに腐心し、それが悪徳でも
    なんでもなく所有財産が多いほど徳が高いとみなされた。
    カネ勘定をして請求書を切ったり、病人の世話や葬式をしたり、
    という「人間くさい」生活をしていた。

 

・大乗教団
  ……紀元2~3世紀頃のインドでは、大乗仏教が隆盛だった、
    というイメージは大間違い。
    中国で大乗がインテリ受けしていた頃、インドではまるでダメ。
    大乗は嘲笑・あざけり・侮蔑の対象であり、
    大乗の人々は小乗を罵倒しつつ悪戦苦闘する戦闘的な少数派だった。
    大乗は5~6世紀にようやく碑文に登場するが、
    それは従来仏教を知らない辺境のド田舎であった。

 

 

あまりにも従来のイメージとはかけ離れたものなので、かなり補足が必要だと思います。

 

個人個人がお金儲けに走っていたのではなく、サンガとして、利息を取ってお金を貸したりすることで資産の運用をしていたということです。

 

このことからわかることは、仏陀が目指した出家とは、清貧ではなく、修行に専念できる環境作りだったということです。

修行の妨げになるものを排除していった結果、膨大な戒律が作られたということでしょう。

 

 

 

 

 

仏陀の真意を甦らせるとき

 
ひだ (124.24.195.46)  
「仏教についてのひとりごと」ようやく全部読ませていただきましたが、またあらためて分かりやすくまとめていただき、本当に本当に感謝です。ありがとうございます。

 

ひださん、ありがとうございます。

 

歴史上の仏陀(ゴータマ・シッダッタ)が本当に言おうとしたことは何だったのかを探求してきました。

その探求はまだ続きますが、今まで分かってきたことは、今の仏教は、仏陀の真意を伝えていないばかりか、真逆なものになっているということです。

 

仏陀の理法は人類の至宝です。

しかし、人類はその至宝たる仏陀の理法、そして仏陀が残してくれた筏を捨て去ってしまいました。

 

仏陀の死後、仏陀の理法はねじ曲げられ、灰身滅智の方向へと突き進みました。

『このようなものは仏陀の真意ではない。仏陀が説いた大法ではない。』と叫んだのが大乗仏教です。つまり、大乗仏教は仏陀の真意の復興運動でした。

しかし、その大乗仏教も、縁起の法を仏陀の理法とは全く別の解釈をしたために仏陀の真意とは真逆な方向に行ってしまいました。

 

現代になってはじめて、歴史上の仏陀の肉声に近い仏典がどれかが明らかになってきました。

今こそ、仏陀の真意を甦らせるときだと思います。

 

 

縁起

今まで、歴史上の仏陀が本当に言いたかったことを探求してきました。

そして、仏陀の真意は、今伝わって解釈されている仏教とは全く違ったものであることがわかりました。

 

 

仏陀の真意の根本は、

 

yam  kinci  samudaya-dhammam  sabbam  tam  nirodha-dhammam.

 

生じる性質のものは、すべて滅する性質のものである。

 

この言葉に尽きます。

 

この言葉の上に仏陀の教えのすべてが成り立っているのです。

故に、仏陀は、『生じたもので滅することがないものが、爪の上の土ほどでもあったならば、私の理法は成り立たない。』と言ったのです。

 

『無常』の本当の意味は、変化して止まないことではありません。

生じたものは必ず滅する、ということを無常というのです。

 

 

仏教なるものが最も誤解したのが『縁起の法』です。

 

これあればかれあり

これ生ずるが故にかれ生ず

これなければかれなし

これ滅するが故にかれ滅す

 

imasmim  sati  idam hoti

imass'  uppada  idam  uppajjati 

imasmim  asati  idam  na  hoti

imassa  nirodha  idam  nirujjhati

 

 

これが縁起の公式ですが

仏陀は、この公式を発見し、この公式に基づいて、

『苦』の原因を探求していったのです。

それが縁起です。

 

仏陀は、自ら何度も言っているように、

『私が求めたのは、苦と苦の消滅である』のです。

 

これあれば苦あり

これ生ずるが故に苦が生ず

これなければ苦なし

これ滅するが故に苦が滅す

 

これ』を探求したのが、縁起です。

 

つまり、縁起とは、苦の縁って起こる原因のことなのです。

 

それを後世の仏教なるものが、抽象論にしてしまって

相対的なものだから自性がない、実体がない、などということにしてしまったのです。

あるいは、大があるのは小があるからだ、などという馬鹿げたことを縁起の法と言う人までいます。

ここにおいて、仏陀の真意は全く失われてしまいました。

 

 

 

 

四禅定

定には、色界定と無色界定があります。

 

色界定=四禅定

 

【初禅】 諸欲を離れ、諸不善法を離れ、尋あり、伺あり、

     離から生じた喜と楽とある初禅を具足して住す。

 

【第二禅】尋と伺とが止息し、内心が浄くなり、心が統一し

     尋なく、伺なく

     定から生じた喜と楽とある第二禅を具足して住す。

 

【第三禅】喜を捨離し、捨によって住し、念あり正知ありて、身の楽を受け

     『捨あり念ありて楽住す』と諸聖者が説く第三禅を具足して住す。

 

【第四禅】楽と苦を断じ尽くし、すでに喜と憂を滅しているから、不苦不楽にして

     捨によって念が清浄となった第四禅を具足して住す。

 

これがパーリ仏典による定型的な説明ですが、

他の説明では、

 

尋・伺・喜・楽・一境性の5つ(五禅支)をなくしていくとされています。

 

つまり

 

 

【初禅】では、尋・伺・喜・楽・一境性の5つ全部があり

 

【第二禅】では、尋・伺がなくなり、喜・楽・一境性の3つがあり

 

 

【第三禅】では、喜がなくなり、楽・一境性の2つだけになり

 

 

【第四禅】では、楽がなくなり、一境性だけになります。

 

 

 

 

 

私のブログ一覧

『人生についてのひとりごと』   https://shawshank-blog.hatenablog.jp/

 

『仏教についてのひとりごと』   https://shawshank-blog.hatenablog.com/

 

引き寄せの法則の奥義』     https://shawshank-blog.hatenadiary.jp/

 

『株についてのひとりごと』    https://shawshank-blog.hatenadiary.com/

 

『法律についてのひとりごと』   https://shawshank-blog.hateblo.jp/

高原さんからタキタロウさんへのコメント

高原 (126.42.33.248)    

ショーシャンクさん、タキタロウさん、こんばんわ。
タキタロウさんは「教えてやる」圧の強い人なので、どんな凄い方なのかと、こちらも圧倒されますが、おっしゃっている中身が少々薄いのが残念です。
例え経典に書いてあることでも、盲目に信じ過ぎず、時には自分でも考え(智慧)ないと暗愚となることがあります。
 
「救う」ということを重要視されていることは分かりますが、さて、ご自分は救われていらっしゃるのでしょうか?
「自利行」と「利他行」をバランス良く行うとおっしゃっていますが、釈迦でさえ梵天勧請を受けるまで一度も「利他業」は出来ませんでした。
釈迦ですら出来なかったことを「自利行」「利他行」の同時進行が我々凡夫に出来るものでしょうか?
川で溺れている人が溺れている他人を助けようとするようなものです。
 
お寺の仏像を「仏」と「菩薩」を見極めようすると、「仏」は粗末な衣一枚で、「菩薩」は金銀の宝飾品をつけ、髪も美しくまとめ、宝石もつけています。
「菩薩はまだ悟っていないから世俗的」なんだそうですが、その菩薩の姿こそが仏教の「菩薩観」なのです。歩くとチャラチャラ宝飾品やら宝石の音がするような人が衆生を救うとされているんです。
釈迦のサンガに行っても追い払われるレベルです。
「菩薩像は釈迦の王子時代の姿」と言う人もいますが、釈迦の王子時代はただの金持ちの遊び暮らしている放蕩息子で衆生を救ったということもなく、これもおかしな話です。
 
大乗仏教の祖とされる龍樹は南インドの生まれで、当時の南インドには十二使途の一人トマスがキリスト教教会を作って伝道の拠点としてました。
ぼくは、龍樹は子供の頃、キリスト教の教えを受けていると考えています。
龍樹は釈迦の仏教とキリスト教を合体させたのです。
「慈悲」と「博愛」とてもよく似ていて、キリスト教の「奉仕」は大乗仏教の「利他」へとなって行ったと見ています。
「病老死」が「苦」だとおっしゃいましたが、そこまでではちゃんと仏教は理解できません。釈迦は「人が存在していること」「生きていること」そのものが「苦」だとしたのです。それは理屈の上での「苦」ではなく、実感としての「苦」でなくてはなりません。
 
「無財財の七施」の話をなさいました。良いお話だと思いますが、「にこやかな笑顔を施す」とか、その程度の話は会社の研修セミナーでもやるくらいの内容です。
表面的に変わって印象をよくするのではなく、自分そのものが本当に仏に近づいて変わってゆけば、自然に普段の所作も正しく変わってゆくものです。
 
 
崇敬なさっているマザーテレサのお話ですが、だいぶ以前からマザーテレサを精神科医がサイコパス(反社会性精神病室者)だったという報告をしているのはご存知ですか?
オタワ大学の研究チームがマザーテレサの起こした奇蹟を検証したところ、すべてが科学的に証明出来たトリックだったといいます。サイババのようなものですね。
 
黒い政治家との交際、巨額な寄付金の管理疑惑、赤ん坊の人身売買が明るみになって非難を浴びましたね。
勢力挽回にカトリック教会がマザーテレサを広告塔に利用していたとも。

法を見るものは私を見る

タキタロウ (58.183.206.23)  

前回の投稿は、議論のためではなく、修行論で欠けている視点があるのではないか、ということを言いたかったのですが、 やはりいろいろ説明不足があったようです。この投稿も議論ではなく、疑問点を順次説明する形で記すつもりです。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
まず、大乗仏教の見方とかあるいはxxx仏教の見方とかは、自分で先入観を持つことがありますから、気を付けた方が良いと 思います。仏教であればすべて釈尊から続いているものなのですから、何もかも違うということはない。原点の釈尊の仏教と の違いをはっきりさせるという視点で見ればよいのではないですか。
例えば”大乗仏教の見方”という次の文について、
 
>大乗仏教の見方で見れば、歴史上の仏陀(ゴータマ・シッダッタ)が自分の遺骨を納めた塔を建てて礼拝せよ、という考え >には疑問が涌くことはありません。 >神格化された釈尊の遺骨に神秘的な力が宿っていることは当たり前でもあり、それを礼拝するのは当然でした。
 
”仏舎利を納めたストゥーパをつくりなさい”と指示され、「誰であろうと、花輪または香料または顔料をささげて礼拝し、 また 心を浄らかにして信ずる人々には、長いあいだ利益と幸せとが起るであろう。」と説かれたのは、『ブッダ最後の旅』 (中村元訳)、すなわち阿含経典です。長阿含経・遊行経も同様に仏舎利の功徳を説いています。 つまり、”大乗仏教の見方”は無関係です。 また、前回、仏陀の三明を説明したように、仏陀は、業と因縁から解脱する智慧/神通力を持ち、涅槃に赴かれました。 その業と因縁から解脱する智慧/神通力を、供養に応じて、【仏舎利を媒介として】供養した者に発揮するぞ、と言われてい るわけです。別に”神格化”でも”神秘的な力”でもない。阿含経典にちゃんと記されている仏陀の智慧/神通力の発揮です。 仏舎利は、現世からの供養を受け、かつ涅槃からの仏陀の功徳力を伝える「聖遺物」であり、【現世での仏陀と同等とみな せる】聖なるものだということです。「舎利礼文」はそれを示しているわけです。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
そして、仏弟子の遺体や遺骨を供養することは、釈尊ご在世のころから行われていました。 『国訳一切経 阿含部三』に「第六 八衆誦 第三病相応」があり、その中で仏弟子の死とその供養についていくつか載せら れています。
部分だけですが、いくつか例をあげると(難漢字の人名はカタカナにします)、 ・P37 :時に使の比丘、バッカリの死身を供養し巳って還って仏の所に詣り・・・ ・P40 :時に尊者舎利弗、尊者チュンナを供養し巳って仏の所に往詣し・・・ ・P41 :時に尊者阿難、尊者バグナの舎利を供養し巳って仏の所に往詣し・・・ ・P45〔重い病の年少新学の比丘が、釈尊の説法を聞いた後、諸根喜悦し顔貌清浄で亡くなった。釈尊は次のことを諸比丘に     告げられた]       「彼の比丘は是れ真の宝物である。我が説法を聞いて分明に解了し法に於て無畏にして般涅槃を得た。」     『汝等但だ当に舎利を供養すべし。』     
<彼の比丘は真の宝物である。彼は聖者となった。当にその舎利を供養せよ、と説法されているわけです。>
また、舎利弗は釈尊の一番弟子と言って良い存在ですが、釈尊より早く、故郷のナーランダで亡くなりました。舎利弗の弟子 が遺骨を持って釈尊に報告に来ましたが、その舎利弗のストゥーパはナーランダにあります(他の所にもあるのかな?)。 仏陀・阿羅漢は涅槃、シュダオン~アナゴンは天界におられ、その遺体や遺骨を通じて、供養に応じて功徳を与える力を持つ 存在なのです。釈尊が、自身の舎利供養をいきなり言われたわけでないことが分かると思います。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
ところで、仏教が初めから葬儀をしており重視していたということを、正木晃先生がユーチューブで講演されています。 『第十回 現代仏教塾「東日本大震災と仏教」Ⅰ』ーー https://www.youtube.com/watch?v=bgNEU7Jj9rI                           (1時間10分頃から聞いてみて下さい) 正木先生は、「私に言わせれば、仏教は最初から葬式仏教です」、「インドでは、仏教は死者を祀る不気味な宗教だ、という 批判をずっとされ続けてきた」(つまり、死者に対する認識は、伝統的なインドの他の宗教とは違っていたということです)、 「いかに葬儀を中心におこなってきたか。それがどこかでねじ曲がってしまった」、「本来仏教は葬儀を重視していました」 と話されています。 ただし、葬義は出家の弟子間のみで、在家はカーストがあるため業者が行っていました。仏教はカーストを否定しますが、在 家の葬儀にかかわると世間はそう見ない。仏教の言うことなど耳をかざず、その在家のカーストと結びつけられて見られるか らです。逆にいえば、カーストのない国では、在家の信者を丁寧に祀る葬儀が可能になったと言えると思います。 正木先生の講義は面白くて興味深く非常に勉強になります。仏教に限らずキリスト教イスラム教のこと、中世の気候変動や西 洋のパンデミック等の宗教への影響など、今の状況を見たとき考えさせられます。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
さて、大乗仏教の教団といえるものができたのは、後期大乗にあたる密教になってからでした。それまでは、部派仏教の教団 の中で、初期・中期大乗経典も研究・実践されていたわけです。
そして、部派仏教の教団が、それまでストゥーパをお祀りし ていなかったと思いますか?
ストゥーパをインド中に広めたのはアショーカ王ですが、インドからスリランカへの仏教伝来を見ると、 「スリランカの史書『マハーワンサ』(5世紀)はスリランカへの仏教伝来をこう記す。インドに最初の統一王朝を建てた  アショーカ王の子のマヒンダ長老が上座部仏教をもたらすためこの島を訪れ、当時の王は彼らを迎えて首都アヌラーダプラ  に精舎「大寺(マハーヴィハーラ)」を建立した。アショーカ王からは次いで仏舎利が送られ、島の王はブッダガヤの菩提  樹の枝を勧請した。」 :『東南アジアに広がる上座部仏教の源流をスリランカ仏教にみる:荒木重雄』 ストゥーパは、大乗仏教ができる以前からインド、スリランカに広まっており、現在に至るわけです。今の南伝仏教の寺に、 ストゥーパをお祀りしていない寺などあるのでしょうか?また、仏教史には天才といわれる方がたくさんおられますが、彼ら の中に仏舎利を祀るのはおかしいと言われた方がいるのでしょうか? 例えば、空海は唐より仏舎利八十粒(1粒は金色)をもたらしました。そして、密教最高の法、如意宝珠法は仏舎利(=如意 宝珠)を本尊としたものなのです。密教の本尊は大日如来で、仏の悟りの境地そのものである法身ですが、その三昧耶形(仏 を表す象徴物の事)は宝塔(仏舎利塔)なのです。つまり密教では、仏舎利が法身の本体とされ重要視されているわけです。 釈尊ご自身が、ストゥーパをつくって礼拝供養しなさい、大きな功徳があるぞ、と言われているので当然だと思います。 もう一度繰り返しますが、仏舎利自体が仏陀ではなく、現世からの供養を受け、かつ涅槃からの仏陀の功徳力を伝える「聖遺 物」であり、【現世での仏陀と同等とみなせる】聖なるものだということです。「舎利礼文」はそれを示しているわけです。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
>仏陀は、成道、初転法輪のときから、死の直前まで、一貫して説いたものは『無常である(生じるものは必ず滅する)ものは >苦である、苦であるものを私、私のもの、私の本体と呼んでいいであろうか。』ということで、無常・苦・非我でした。
 
業と因縁により生じるもの(作られたもの)は、変わっていくのでその通りでしょう。しかし、ダンマパタでは、”作られざる もの(=ニルヴァーナ)”についても述べています。
 
97 何ものかを信ずることなく、作られざるもの(=ニルヴァーナ)を知り、生死の絆を絶ち、(善悪をなすに)よしなく、欲求を   捨て去った人、──かれこそ実に最上の人である。
 
生じるもの<作られたもの>(業と因縁による輪廻転生の世界)と作られざるもの(ニルヴァーナ=涅槃)とを両方知り、生死 の絆を絶ち涅槃に赴かれた御方が、仏陀釈尊および阿羅漢の弟子たちです。生前は肉体の制約を持つ有余依涅槃の境地にいて、 死後、肉体の制約から解放され涅槃に赴かれた方々です(無余依涅槃)。業と因縁から解脱して、作られざるもの(ニルヴァー ナ)、いわゆる常楽我浄の世界に居られる方々であり、これが仏教徒の目標でしょう。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
>『このように朽ち果てていく私の肉体を見たところで何にもならない。私が説いた法こそが私である。法を見る者は私を見る >と言ったではないか。』と言う意味のことをいいます。 >自分のこの朽ち果てていく肉体は私(仏陀)ではない、私の説いた法(理法)が私なのだ、と断言しているのです。
 
上記に述べたように、肉体や遺骨が、仏陀や聖者そのものでないのは当然です。しかし、”法を見る者は私を見る”というよ うに、法の体現者の仏陀は実在され人を救う力を発揮されます。仏・法は表裏一体で切り離せないものです。 仏の肉体は仏陀そのものではない、という当たり前のことを説きたいがため、法を強調し仏の存在を軽く見ているのでは、と 懸念しています。仏陀の説法は対機説法ですから、肉体ではなく、法とその法の体現者である仏陀の本質を見なさい、という 意味だと考えています。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
>少なくとも、この言葉から、後世に大乗仏教が生まれたのだろうということは推測できます。神格化が急速に進みましたし、 >仏塔が各地に建てられていきました。
 
大乗仏教運動が生まれたのは、前回述べたように、インドの部派仏教(特に一番勢力があった説一切有部)が僧院にこもり、 煩瑣な議論や他との論戦、自分だけの修行にあけくれ、人を救うことをおろそかにしたことへの反発です。
だから、大乗仏教は”われわれは人を救う”ということを強調したわけです。その志は良かったのですが、今度は七科三十七 道品の修行法をおろそかにしてしまい、部派仏教とは逆方向でのバランスを欠いたものになりました。
しかし、中期大乗~後 期大乗で、特に後期大乗の密教では、七科三十七道品の修行法を取り入れようとしたようです。ただそれが充分とはいえなか ったようですが。 大乗仏教の実態と仏塔の広がりについては、上記に既に書いた通りです。 なお、インドで仏教は一度滅んだのはご存じの通りですが、現在のテーラワーダ仏教(南伝仏教)は、インドの部派仏教とは 全く違った歴史があります。単純にインドの部派仏教と同一視してはいけません。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
>ちなみに、『供養』と言う言葉は、今の日本ではほとんど先祖供養などのように・・・・・・
 
仏典の『供養』という言葉は、かなり広い範囲をカバーして使われていると思っています。その時々で、ショーシャンクさん が書かれておられるような内容を考えれば良いと考えます。なお、上記に書いたように、仏弟子の遺体や遺骨への供養(死者 供養)は、もう釈尊ご在世のころから行われていました。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
>上求菩提・下化衆生 のことですが、大乗仏教とくに日本の仏教では、お釈迦様はすべての衆生を救うために悟ろうとして >出家したと言うようなことが言われていますが、そうではないと思います。
 
前回、「上求菩提・下化衆生」というちょっと厳めしい言葉を使いましたが、要するに「自利(心、行)と利他(心、行)」 のことです。この二つはバランスよく両方やるべき修行であり、切り離すようなものではない、ということを記したわけです。 「お釈迦様はすべての衆生を救うために悟ろうとして出家した」というのは、半分は本当だろうと思います。 ”四門出遊”という伝説は、釈迦がまだ太子の時、王城の東西南北の四つの門から郊外に出掛け、それぞれの門の外で老人、 病人、死者、修行者に出会い、人生の苦しみを目のあたりに見て、苦諦に対する目を開き、出家を決意した、と述べてます。 しかし、釈尊が見た人生の苦しみは、普通の人でも見ることです。普段は忘れているが、身内や知り合いにそういうことがあ れば思い出す。
そして、自分もやがて老病その他の苦しみに襲われ、そして”必ず死ぬ”ということは、皆知ってます。 この苦しみを取り除けるのならその方法を教えてもらいたい、と普通思うのではないでしょうか?
釈尊の出家は、なるほど自己の安らぎのためですが、それが実現出来たら、すべての衆生を救うことができることになります。 釈尊がそのことに気づかないはずはない。半分は本当とはそういうことです。大乗仏教云々は別に関係ありません。 釈尊の出家は、自利行と利他行の現れです。釈尊は大変厳しい修行をされたが、自分のためだからそれができた。他人のため だったらやめていたでしょう。しかし、その”他人のためでもある”ということが、自分のやることを支える原動力でもある ことも事実でしょう。例えば、家族のためにも会社のためにもこれをやり遂げなければならない、ということが困難を乗り越 える力になることがある。そして、それが結局自分のためにもなっている。「情けは人の為ならず」です。 釈尊もその自利行を支えたのは、すべての衆生(というのが大袈裟ならば家族、友人、知り合いなど)を救うために諦めるわ けにはいかない、という利他の心でしょう。自利と利他は表裏一体で行うもので、それでこそ修行も進むと思います。 もっとも解脱された釈尊は、自分のしてきた修行と衆生の心の在り方を見て、彼らには無理だろう、と説法する気になれずに いました。
しかし、梵天から三度勧請され、分かるものもいるはずだ、と説法を決心されました。最初の説法の相手を、かっ て一緒に修行していた五比丘に決めたのは、まずレベルの高い者から説いてみようとお考えになったからでしょう。
なお、五比丘の所に向かう途中、ウパカという外道の出家が、釈尊をただものではないと見て話しかけてきましたが、釈尊は 彼の教化に失敗されました。
たぶんこの後、釈尊といえども、すべての衆生を救うには、どのように皆を導いていくかをいろ いろ考え、試行錯誤されたものと推測します。 その利他心、利他行の現れである布教伝道のおかげで、仏教は2500年間続いているわけです。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
>徹底した洞察をし、慚愧懺悔をして、180度の転回をし、正見=智慧が生じて初めて、八正道が歩めて、慈悲が生じるの >です。
 
慈悲(利他)など簡単に生じるではないですか。縁起の法・自業自得を理を知れば、「情けは人の為ならず」ということが理 解できる。我が身を救うためには人を助けることだ、ということが分かったら、人を助けようという心が起こる。これが慈悲 心(利他心)ではないですか。あとは自分でできる限りそれを実践することが、慈悲行(利他行)ではないですか。それによ って、結局自分も救われていくというのが理です。 自利の智慧獲得の修行も、初心から初めて段々と高めていくものでしょう。それと同じで、利他の善因善業を積む修行(徳行 、梵行)も初心から段々と高めていくものなのです。 前回述べたように、「ダンマパタ」183の”七仏通誡偈”の前半2つは”四正断法”であり、各科の”精進”です。それは、 不徳を積まずに徳を積むという徳行(利他行)です。そして、後半は智慧獲得の修行(自利行)です。 『我が生すでに尽き、梵行すでに立ち、所作すでに作し、自ら後有を受けずと知る』の”梵行”は徳行で利他行、”所作”は 智慧獲得の自利行です。両方の修行を完成して完全解脱できるわけです。 「ダンマパタ」57では、徳行を完成(利他行)、正しい知慧によって解脱(自利行)と上記と同様のことを述べてます。 「舎利礼文」は、万徳円満 釈迦如来(万徳を円満せし釈迦如来)と釈尊が徳行(利他行)を完成されていることを述べてい ます。 また、釈尊が、『多くの人々の利益のために、多くの人々の幸福のために、世間の人々を憐れむために、神々と人々との利益 ・幸福になるために』と説法されているのは、利他行の実践の重要さを示されているわけで、自分のことしか考えないようで は駄目だぞ、と諭されているわけです。 何度も言いますが、上記のように「自利行と利他行」は、セットで行う修行であり、どちらも徐々に高めていく修行です。自 利行優先ではない、むしろ、在家がやりやすいのは利他行のほうでしょう。それでも、在家であってもシュダオン~アナゴン の聖者にまで成れる可能性があることは、前回述べたとおりです。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
>まずは自己の確立です。180度の転回です。
 
自己の確立には、自利行だけでなく、利他行で徳を積み自分の人格の向上を図らなければ成し遂げられないと思っています。 それに気がつかず自利行にのみ目が行くひとには、陥りやすい罠があります。 ブログ「一条真也の読書館」で『仏教思想のゼロポイント』魚川祐司著(新潮社)を取り上げてらっしゃいますが、その罠の 部分を引用します。魚川氏がミャンマーの瞑想センターを訪ねたときのことです。 「瞑想センターの1つで、国際的にも非常に有名な大規模森林僧院を訪ねた時に、とても印象的な経験をした。そこで既に  7年以上も滞在している、古株の日本人僧侶がいるというので挨拶に行ったところ、彼が私に対して開口一番に、『ここで  瞑想しても人格はよくなりませんよ』と言ったのである」 また、正木晃先生も「修行もうまくやらないと、やればやるほど(人格等が)悪くなる人がいます」と話されてます。 人格が悪いということは、人から見て、自分勝手で独善的で人に対する思いやりや気遣いがない、ということでしょう。瞑想 修行して人格の悪くなった仏陀や阿羅漢など考えられますか?それなのにどうしてそうなるのかを考えてみると、自利、自利 の思いがいつの間にか我利に変わり、我利我利亡者になってしまったせいだと思います。亡者が聖者にはなれません。 ところで、正木晃先生の講義によると仏教の戒(シーラ)の本来の意味は、”気立てが良い”ということらしいです。そして、 仏教のシーラは、キリスト教のように神からこれを守れと言われた戒ではなく、自分たちで決めた自らを律するための自発的 な戒なのです。 他人から見て、”気立てが良い”人になることが仏教の教えです。その”気立てが良い人”になるためには、我を抑え、人に 対する思いやりや気遣いを持ち、さらには人を助ける心をもつ、という利他行をすることではないですか。それを行わないか ら、人格が悪いと批判されてしまうわけです。 昔から、「無財の七施」といって、お金や物がなくても七つの施しができると言われています。人に喜びを与え、人につくす 布施の行(徳行、利他行)は、その心さえあれば必ず出来るものです。 その七つとは以下の通りです。 1.和顔施(わがんせ):にこやかな笑顔を施す   2.和語施(わごせ):親切で和やかな言葉づかいを施す 3.眼施 (げんせ) :やさしい眼を施す      4.身施 (しんせ):礼儀正しい行動、身体を使う奉仕活動を施す 5.心施 (しんせ) :うるわしい思いやりを施す 6.床座施(しょうざせ)座を譲って施す 7.房舎施(ぼうしゃせ):気持ちの良い待遇を施す 人格が悪いと言われている人が、やさしい目で笑顔で和やかに話し、礼儀正しく思いやりを持って、人を助ける行いをしたら 聖者の卵に変わることができます。人に喜びを与え、人につくす布施の行(徳行、利他行)が自己確立に必要なことが分かる のではないでしょうか。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
>自分が救われる前にすべての人を救おう、などということを大乗仏教だという人がいますが、自分が救われなくて、自分が >無量でなくて、自分がのたうちまわって、人を導けるわけはありません。 カトリック教会の修道女だったマザー・テレサはご存じでしょう。カトリックには、徳と聖性が認められた信者の死後、調査 の上、福者・聖人という地位を与える制度があります。福者・聖人と認定されるためには、その信者が確かに奇跡を起こした という証明が必要です。生前から聖女と呼ばれていた彼女は、特例の速さで福者となり、やがて聖人認定されました。 死後、彼女が何度も奇跡を起こしたという証しです。 そのマザー・テレサは、祈るとき、昔の様々な聖人の祈りを唱えておられましたが、珍しく自分のことで神に救いを願った祈 りがあります。カトリック教徒で作家の曾野綾子さんが、週刊誌のエッセイで紹介されたものです。    『マザー・テレサの祈り』(石川康輔神父訳)  主よ、私が空腹を覚えるとき パンを分ける相手に出会わせてください。  のどが渇くとき 飲み物を分ける相手に出会えますように。   寒さを感じるとき 温めてあげる相手に出会わせてください。  ひまがなくなるとき 時間を割いてあげる相手に出会えますように。  私が屈辱を味わうとき だれかを褒めてあげられますように。  気が滅入るとき だれかを力づけてあげられますように。   理解してもらいたいとき 理解してあげる相手に出会えますように。  かまってもらいたいとき かまってあげる相手に出会わせてください。  私が自分のことしか頭にないとき 私の関心が他人にも向きますように。  空腹と貧困の中を生き そして死んでいく世の兄弟姉妹に 奉仕するに値する者になれますように。  主よ、私をお助け下さい。 マザー・テレサは、自分の至らなさ、自分の苦しみを自覚し、しかし、(キリスト教ですから)神への信仰、愛の心、愛の 実践で、それを乗り越えようとされた。そして、生前から聖女と呼ばれるほどのお方になられました。 これを仏教に直せば、仏陀への信仰、慈悲(利他)の心、慈悲(利他)の実践ではありませんか。それで人を救っており、 周りから聖者と見られたという実例を見てどう思われますか? 人を救うことが、結局自分も救われることになる。何度も言っている「情けは人の為ならず」の実例なんです。 もちろん普通はそこまで徹底はできません。しかし、前に述べた「無財の七施」は、その心さえあれば出来るものです。 それによって、人に喜びを与え周りの人の心を和ませることは、人を助けることではないでしょうか。 なお、大乗仏教についていえば、否定だけする必要はありません。”すべての人を救おう”というのは、釈尊ご自身が生前 インド中を布教され、般涅槃された後は、仏舎利を残して救おうとされていることを見ても、当然だと思います。また、倫 理的な生活をする(上記の気立てが良い人になる)という教えが悪いはずがありません。 ただ、そこに、本当の仏(現代では仏舎利)が居て、仏陀の教法があるのか、という点が大事なのです。なにしろ、それら が無いと人を本当には救えませんから。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
ちょっと息抜きで雑談を。 仏舎利を「聖遺物」と表現しましたが、これはキリスト教の言葉です。聖遺物について、ウィキペディアから関連部分を引 用すると、 『キリスト教の教派、カトリック教会において、イエス・キリストや聖母マリアの遺品、キリストの受難にかかわるもの、  また諸聖人の遺骸や遺品をいう。これらの品物は大切に保管され、日々の祭儀で用いられてきた。聖遺物のうち聖人の  遺骸については、正教会での不朽体に相当する。古代から中世において、盛んに崇敬の対象となった。』 『聖人の遺骸またその一部は古代から中世においては強い崇敬の対象となり、それに関連した奇跡が多く語られている。  現在でも一部の教派では聖人の遺骸に接吻するなどして崇敬を表明することもある。』 『また伝統的に、教会の祭壇(正教会では宝座)の下には聖人の遺骸または遺物(不朽体)を納めることが必要であると  される。これは東方教会においては必ずしも必須の要件ではないが、しかしそのようにすることが望ましいと今でも考  えられている。カトリック教会においてはかつては必須の要件であったが、現代ではこの要件は撤廃されている。』 聖人の遺骸や遺品が大事にされたのは、それらが奇跡を起こすからです。聖人の霊は天国にいますが、遺骸や遺品を媒介 にして、人々を救うということです。仏舎利からの救いもこれと同等、ということで「聖遺物」の言葉を使っています。 もちろん釈尊の方が先なのですが、他宗教でも同様の救いを行っていることは知っておいてよいでしょう。 もう一つ、マザー・テレサに関して。黒澤明監督の「赤ひげ」が、実は彼女の新たな運命を開いたという素晴らしい話。 ただし、彼女はおそらくそのことを知らなかった。詳しくは、以下を見て下さい。 https://white-knight.blog.ss-blog.jp/2008-01-01  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
>信根、信力、択法、正見が、なぜ『下化衆生』なのでしょうか。
 
これらの前提として、当然、まず仏陀の教法を学ばねばなりません。そして、教法を学び、ある程度の信念、確信を持た ねば、人に勧めること、すなわち布教伝道はできないではないですか。教法を学ぶのは、自利のためだけでなく、利他の ため、人に話して勧めるためでもあるということです。 なお、”信(根、力)””択法””正見”などの修行は、結局以下を実現するためだと思います。  
教法に対して『信あって解なければ無明を増長し、解あって信なければ邪見を増長する。         信解円通してまさに行の本と為る』 <大乗経典の涅槃経>
 
自分の信仰している教法が、一体どういうものであるのかを理解する必要があります。そうでないとどんな熱心な信仰でも 迷いが起こって、いつかは崩れてしまうことも起きます。また、意味も考えずただ信じてしまうことは盲信・狂信に陥ると いう危険があります。オ○○真理教とか、宗教ではないがナチスドイツとか、恐ろしい例がありますね。 教法を一応理解しても、自分が信じられない内容に対して勝手な理屈をつけて教法を捻じ曲げてしまう人がいます。宗教と は現象世界と霊的世界の両方を扱うものです。しかし、霊的世界など信じないから、例えば”仏教は哲学だ”などと言う。 人を害するような教えでない限り、たとえ今は納得できない部分があってもやがて分かるだろう、という素直な信は必要で しょう。 この信(感情の働き)、解(理性の働き)が円満に混じって行の根本となる、それがこれらの修行の目標でしょう。 なお、行とは、智慧獲得の修行と万徳円満完成の修行の両方を含みます。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
>三十七菩提分法はすべて悟りに至るための法であると思いますし、強いて上求菩提か下化衆生に分けなければならないと >すれば上求菩提だと思います。
 
今まで散々述べたように、悟りに至るための法は、智慧獲得と万徳円満完成、つまり自利行と利他行の2種類あり、七科三 十七道品は、その内容をみれば両方含んでいるのがわかるはずです。まあ、中には自利行と利他行の両方を含んでいる項目 もあるでしょう。釈尊は両方説いていらっしゃるんだから、両方やらねばなりません。それが完全解脱に至る道です。 なお、しつこく言いますが、「情けは人の為ならず」の理から、利他行とは自利行を助けてくれる行でもあります。 七科三十七道品の個々の内容を検討する前に、上記のような俯瞰を見ないと、木を見て森を見ずで迷うことがあるかもしれ ません。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
>定に関しては、止・観との関係や、色界定、無色界定との関係な関係など、これからいろいろ調べていきたい・・
 
格的な智慧獲得の修行に関しては、実習が必須ですから、実習して境涯をあげなければ、経典に説いてあることが中々 実感できないと思います。それまでは、勉強した内容で推察するということになるでしょう。 幸いネットには、調べたいと思うものがたいてい載っています。止観でも色界定でも他のものでも、勉強したければいくら でもできますので、健闘を祈ります。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
最初述べたように、議論するつもりはなく、参考になればということで書きましたので(正直いろいろ大変でしたが)、 一応これで失礼します。なにしろ口だけ人間で、いろいろ書いてるがお前はどうなんだ、と言われたらつらいです。 早々と退散した方がいいと思います。お騒がせしました。
 
 

 

 

私が目指しているのは、後世に付け加えられた勝手な意味づけを剥がしていって、歴史上の仏陀が本当は何が言いたかったのかを解明することです。

仏教は、後世、様々な天才たちが出現してきて、その人たちの解釈によって、姿を全く変えていきました。

仏教と一言で言っても、最も基本的な仏法僧の三宝でさえ、全く違うものを指しています。

仏法僧の仏は、歴史上の仏陀=ゴータマ・シッダッタなのか、久遠実成の仏陀なのか、阿弥陀仏なのか、大日如来なのか、宗派によって違います。法もそうです。

 

仏舎利を塔に納めて礼拝せよと書かれているのは、パーリ涅槃経、つまり原始仏典です。それは当然分かっています。大乗仏典に書かれているのであれば、それは気にもならないでしょう。

原始仏典に書かれていることなので、それまで、長い間に説き続けてきた『肉体は私(仏陀)ではない。』という理法と、仏の肉体または肉体の一部(骨など)を特別視、神聖視することを仏陀本人が言い残したこととの整合性について考えているところだと書いたまでです。

それが当たり前のことだと思えるのであれば、それはその人の考えでいいと思います。私は自分で考えて納得したいだけです。

あなたがいうように、仏陀のその遺言が『その業と因縁から解脱する智慧/神通力を、供養に応じて、【仏舎利を媒介として】供養した者に発揮するぞ』ということであれば、私には、仏陀が生涯かけて説き続けてきたこととの整合性が今のところ見つけられないということで個人的な感想です。

 

インドでは遺骨は川に流すのが昔も今も普通であるといいます。『肉体は私ではない』という仏陀の理法からすれば、なおさら、肉体を神聖視、特別視しない形が自然のように思えます。

仏教は最初から葬式仏教であった、その証拠はこうだ、と言われるのはその通りなのかもしれませんが、それを疑っているのではなく、もしそうであれば、なぜ、仏陀はそのようなインドの一般と違うことをわざわざしたのだろうか、ということを考えていこうとしているのです。

大乗仏教の考えに支配された日本で生まれ育った人間の私たちでは、見過ごすようなこと、つまり葬式が大事だとか、遺骨が大事だとか、先祖が大事だとか、当然のことに思えていますが、最古層の仏典から見た場合、どうしてそうなんだろうと疑問が涌いていると言うことです。

 

部派仏教の教団が、それまでストゥーパをお祀りし ていなかったと思いますか?』と聞かれても、それは仏陀自身が仏舎利塔を建てて礼拝しなさいと言い残したのですから、そうしたに決まっています。それは当然のことです。

それは事実として、なぜ、仏陀はそう言い残したのか、なのです。

 

>>慈悲(利他)など簡単に生じるではないですか。

 

これは、私と考えが違うところです。

智慧とは、180度転回した観方のこと、つまり正見=正見解です。

智慧が生じて初めて慈悲が生じると思っています。

『情けは人の為ならず』という、回り回って自分の利益になるから利他をするのは、私は慈悲とは呼んでいません。

これは解釈や考えの違いでしょうから、これで議論するつもりはありません。

ただ、私はそう思っているというだけです。

 

もし、仏陀が出家の最初から、人類を救いたいと思って悟りへの修行をしたのであれば、悟った時に、梵天に勧められなくても、人類に教えを説こうと思ったでしょう。

 

 

>>上記に述べたように、肉体や遺骨が、仏陀や聖者そのものでないのは当然です。しかし、”法を見る者は私を見る”というよ うに、法の体現者の仏陀は実在され人を救う力を発揮されます。仏・法は表裏一体で切り離せないものです。 仏の肉体は仏陀そのものではない、という当たり前のことを説きたいがため、法を強調し仏の存在を軽く見ているのでは、と 懸念しています。仏陀の説法は対機説法ですから、肉体ではなく、法とその法の体現者である仏陀の本質を見なさい、という 意味だと考えています。     

 

 

『法を見るものは私を見る』という言葉は非常に有名ですが、この言葉の本当の意味を知るには、次の言葉を見る必要があります。

 

たとい比丘が、わたしの和合衣の裳をとり、後より随行して、私の足跡を踏もうとも、もし彼が、はげしい欲望を抱き、欲望のために、激情を抱き、瞋恚をいだき、 邪な思惟にかられ、放逸にして知解なく、いつまでも惑うてあるなら、彼はわたしから遠く離れてあり、またわたしは彼から遠く離れてあるのである。その所以は何であろうか。比丘たちよ、かの比丘は法を見ず、法を見ざるものはわたしを見ないからである。

 

たとい比丘が、わたしを去ること百由旬のかなたに住すとも、もし彼が、はげしい欲望を抱かず、欲望のために、激情を抱くこともなく、瞋恚をいだくこともなく、 邪な思惟にかられることもなく、不放逸にしてよく知解するなら、彼はわたしの近くにあるのであり、またわたしは彼の近くにあるのである。その所以は何であろうか。比丘たちよ、かの比丘は法を見るのであり、法を見るものはわたしを見るからである。

 

 あなたは、

>>肉体ではなく、法とその法の体現者である仏陀の本質を見なさい、という 意味だと考えています。

と書かれていますが、その通りです。

そして、仏典によれば、仏陀の本質とは仏陀が説いた理法のことです。

仏陀の肉体ではなく、説いた理法です。

ゆえに、法を見るものは私を見る、と言ったのです。

 

見舞いに来たヴァッカリに仏陀は

『やがて腐敗して朽ちてしまうわたしの肉身を見たところでなんになろう。理法を見るものが私を見るのです。』と言っています。

 

この仏典を見ても、仏陀は、肉体は私(仏)ではない、説いた理法こそが私(仏)だと、断言しているのです。

 

なので、最後に遺骨を礼拝するように言った真意を知りたいと思っているのです。

 

あなたはひょっとすると、阿含宗の人でしょうか。

そう思った理由は、仏舎利に非常にこだわりが大きいこと、密教との関連、などからです。

 

 

>>つまり密教では、仏舎利が法身の本体とされ重要視されているわけです。 釈尊ご自身が、ストゥーパをつくって礼拝供養しなさい、大きな功徳があるぞ、と言われているので当然だと思います。 もう一度繰り返しますが、仏舎利自体が仏陀ではなく、現世からの供養を受け、かつ涅槃からの仏陀の功徳力を伝える「聖遺 物」であり、【現世での仏陀と同等とみなせる】聖なるものだということです。「舎利礼文」はそれを示しているわけです。

 

舎利礼文は日本仏教独自のものでしょう。

インドや中国で唱えられたことはあるのでしょうか。

 

聖遺物という考えは、密教やあるいはキリスト教では違和感はないですが、仏陀の教説との整合性はこれから考えていきたいテーマです。

 

>>これらの前提として、当然、まず仏陀の教法を学ばねばなりません。そして、教法を学び、ある程度の信念、確信を持た ねば、人に勧めること、すなわち布教伝道はできないではないですか。教法を学ぶのは、自利のためだけでなく、利他の ため、人に話して勧めるためでもあるということです。 なお、”信(根、力)””択法””正見”などの修行は、結局以下を実現するためだと思います。

 

それであれば、三十七菩提分法のうち、信根、信力、択法、正見だけが下化衆生ではなく、すべてがそうであるはずで、わざわざ、三十七菩提分法を下化衆生と上求菩提に分ける必要はないのではないですか?

 

 

 >>魚川氏がミャンマーの瞑想センターを訪ねたときのことです。 「瞑想センターの1つで、国際的にも非常に有名な大規模森林僧院を訪ねた時に、とても印象的な経験をした。そこで既に  7年以上も滞在している、古株の日本人僧侶がいるというので挨拶に行ったところ、彼が私に対して開口一番に、『ここで  瞑想しても人格はよくなりませんよ』と言ったのである」 また、正木晃先生も「修行もうまくやらないと、やればやるほど(人格等が)悪くなる人がいます」と話されてます。

 

これは本当にそうだと思います。

上座部仏教に限らず大乗仏教の禅でも、熱心に座禅をした人に人格がかえっておかしくなる人もかなりいるようです。

禅道場をしている禅僧の人が、雑誌のインタビューで『サラリーマンなどの社会人の人はあまり熱心に座禅しない方がいいようです。リクレーションくらいにとどめておくのがいいのではないでしょうか。』というようなことを言っていました。

私にはそれが大きな疑問でした。

何故なんだろう、と思いました。

それもひとつのきっかけになり、すべての仏教知識を白紙にして、歴史上の仏陀は本当は何を言ったのかを探求するようになりました。

 

 

>>大乗仏教運動が生まれたのは、前回述べたように、インドの部派仏教(特に一番勢力があった説一切有部)が僧院にこもり、 煩瑣な議論や他との論戦、自分だけの修行にあけくれ、人を救うことをおろそかにしたことへの反発です。

 

私はもっと根本的なことで、大乗仏教が興ったと思っています。

ただ単に、僧院にこもって煩瑣な議論と他の部派との論戦に明け暮れることへの反発であれば、そういう生き方をせず、原初のように、瞑想に打ち込み、遊説して回るようにすればいいだけです。

わざわざ、第一結集によらない仏典を創作していったというのは、並大抵の動機からではないでしょう。

 

また、大乗仏教の祖とも言われる龍樹は、他(主に説一切有部などの部派)との論戦に明け暮れていましたね。

 

 

 

非我の理法と

タキタロウ (58.183.206.23)  

ショーシャンク様。初めまして。
興味あることを書かれているので、 飛び飛びながら読ませていただいてます。
七科三十七道品を取り上げているのは良いことだと思います。
ただ、「仏陀はなぜストゥーパを作らせたのか」が謎、というのに は少し驚きました。釈尊の生前の行動と弟子たちへの説法を見れば、 アーナンダに言われたことに不思議はないと思うのですが。 ≪ストゥーパと福田について≫ 釈尊は、”世の人みんなを苦しみから救い、幸福にする”という大 誓願を持たれ、仏陀になられた後、インド中を布教伝道されました。 最後の旅の途中で、弟子たちに対して以下のように説かれているの はご存じかと思います。 「わたしは法を知って説示したが、お前たちは、それをよく保って、  実践し、実習し、盛んにしなさい。それは、清浄な行いが長くつ  づき、久しく存続するように、ということを目指すのであって、  そのことが、多くの人々の利益のために、多くの人々の幸福のた  めに、世間の人々を憐れむために、神々と人々との利益・幸福に  なるためである」 言うまでもなく、釈尊ご自身がこの言葉を実践されておられました。
釈尊は旅の途中で逝去され、もう輪廻から解脱しておられるため、 涅槃に赴かれました。しかし、涅槃から”仏舎利”を通じて仏陀の 力を発揮するため、仏舎利を納めたストゥーパをつくりなさいと指 示されたわけです。
それにより、現在に至るまで、多くの人や社会全体をも救おうとさ れているわけです。 それは、『ダンマパタ・法句経』<『ブッダの真理のことば・感興 のことば』中村元訳:岩波文庫>の次の句に記されていることに基 づいています。
もちろん同様の句は他にもあり、スッタニパータに もあります。
195、196 すでに虚妄な論議をのりこえ、憂いと苦しみをわたり、何ものをも恐れず、安らぎに帰した、拝むにふさわしいそのような人々、もろもろのブッダまたその弟子たちを供養するならば、この功徳はいかなる人でもそれを計ることができない。
 
この”供養”とは、単に布施して礼拝するだけでなく、仏陀の説い た法を学び、実践し、実習し、盛んにする(布教伝道してみんなに も行わせる)ことでしょう。
もちろん最初は、手を合わせ何らかの 布施をすることから始まりますが。
仏陀、およびその弟子たち(すなわちサンガ)は、経典で”福田” と呼ばれています。
その福田へ供養すれば、計り知れない功徳を得 られるわけです。
釈尊は、その福田を”仏舎利”と”ストゥーパ (仏舎利塔)”という明確な形で残されました。
仏舎利への供養は大きな功徳を得られるため、後世盛んになり、 大乗仏教(法華経、最初の阿弥陀経、密教など)の方へも引き継が れて現在に至ってます。
日本の初期の寺は、塔(仏舎利塔)が中心 でしたし、密教には、”本物の仏舎利を本尊として、宝石や貴石を 仏舎利の御分霊とする法”が伝えられています。
ほとんどの仏舎利 塔には、この”仏舎利の御分霊”が納められていますが、功徳は変 わりません。
仏舎利は、仏陀釈尊のご本体とみなされているわけです。
最も現在の日本では、これらのことはかなり忘れられているようで すが。
仏教の究極の救いは、仏陀になり涅槃に赴くこと、すなわち、この 娑婆世界に生まれてきて老病死に苦しみ、死後に自分の為した業で 苦しみ、また生まれてきて苦しむという輪廻からの脱出です。
しかしまず最初は、この世界で”長いあいだ利益と幸せ”を得るこ と、禅宗でいう”日々是好日”を実現することでしょう。
それは、仏教の修行の一環と言えます。
苦しみに遭うのは、それだけの悪因悪業(いわゆる不徳)を持って いるわけで、仏陀(仏舎利塔)やそのサンガに供養して善因善業 (いわゆる徳)を生み出し、それで不徳を消して”日々是好日”を 実現するわけです。
しかし、個人だけではそれを実現するのが難しいのは、現在のコロ ナウイルス問題を見れば分かるでしょう。
才能ある人が才能を発揮 する場を奪われだけでなく、時には最悪の結果まで起こっている。
やはり多くの人に徳を積んでもらって、いわゆる社会的な不徳をも 消していかなければ問題は解決しないのではないかと感じます。
ところで、仏陀の力とは、供養に応じて功徳を生むことと、この徳 と不徳を結びつけ、まず不徳を消すことだと思います。
徳、不徳は、そのままでは、業と因縁次第でそれぞれ無関係に現れ ます。
例えば、大金が手に入ったのはいいけれど、命にかかわる病 気とかケガにも遭う。
金などいらないから元気な体に戻してほしい、 と思うのが普通でしょう。
そこでまず徳により、大難を小難に、小難を無難にする。
不徳が無 くなれば、あとは徳によって”長いあいだ利益と幸せ”を得られま す。
それでこそ、生活も仕事も仏教の修行も順調にいくわけです。
飛び飛び読みで申し訳ないのですが、本ブログで気になっているの は、「上求菩提・下化衆生」の下化衆生に関する考察が少し足りな いのではないか、ということです。
そのため、「仏陀はなぜストゥ ーパを作らせたのか」が謎、という話が出てくるのではないかと 思います。
昔、部派仏教が僧院にこもり、煩瑣な議論や他との論戦、自分だけ の修行にあけくれ、人を救うことをおろそかにしたため、反発で大乗仏教運動が起こりました。
”人を救え”というその志は良かった のですが、今度は七科三十七道品を大乗仏教はおろそかにしてしま いました。
どちらもバランスを欠いたものになり、残念な結果にな りました。
下化衆生と言っても、要は「情けは人の為ならず」(人を助ければ 巡り巡って結局自分が救われることになる)、すなわち、人を助け て徳を積むことを自分で自覚し実践し、さらに人にも勧めるという ことです。その徳によって上求菩提が進んで行く、ということだと 思っています。
 
 
≪七科三十七道品への個人的見解≫ 七科三十七道品の概要について、個人的見解を述べてみます。
 
まず七科三十七道品は、すべて行うものでなく二科ぐらい行うもの です。七科とは、人の機根に応じて選べるよう便宜上分けられたも のでしょう。だから各科の間で重複した修行法があるわけです。 人によっては、科によらず修行法を選択して行うこともあったと思 います。
そして七科三十七道品は、結局、以下の「ダンマパタ」”七仏通誡 偈”で表わされているのではないでしょうか。
 
183 すべて悪しきことをなさず、善いことを行ない、自己の心を浄   めること、──これが諸の仏の教えである。
 
前半2つは”四正断法”であり、不徳を積まず徳を積む(徳行を進 める)ことです。四正断法は各科の”精進”にあたります。
また、精進の前提として”信(根、力)””択法””正見”なども 含みます。つまり、下化衆生ですね。
「自己の心を浄めること」は、初心の瞑想や呼吸法などから究極の 解脱瞑想まで、”念””定””慧””神足”など上求菩提の法です。
「上求菩提・下化衆生」は、セットで行う修行なのです。
これらは、他でも示されています。 「阿含経」に頻繁に出てくる文言、 『我が生すでに尽き、梵行すでに立ち、所作すでに作し、自ら後有 を受けずと知る』。
”梵行”は徳行で下化衆生の法、”所作”は上求菩提の法です。 仏陀や高弟達は、これらを成し遂げて輪廻転生から解脱していると 云うわけです。
 
「ダンマパタ」では、
57 徳行を完成し、つとめはげんで生活し、正しい知慧によって解   脱した人々には、悪魔も近づくよし無し。 ”徳行=梵行”を完成、”正しい知慧”によって解脱、というセッ トで述べられています。
 
「舎利礼文」<仏陀の遺骨、仏舎利を納めた卒塔婆(ストゥーパ) を礼拝するときにとなえるお経>の最初では、
一心頂礼(一心に頂礼す) 
万徳円満(万徳を円満せし) 釈迦如来(釈迦如来と)  
真身舎利(その真身の舎利と) 本地法身(本地の法身と) 法界塔婆(法界の塔婆とを) 我等礼敬(我、等しく礼敬す) 釈尊は、万徳を円満して(徳行を完成して)おられ、また真身舎利 は、仏陀釈尊と等しく礼敬すべきものだとされています。
 
実際には、釈尊は涅槃におられるわけですから、真身舎利が現世の 仏陀釈尊とみなされているわけです。 ”徳行=梵行”は、特に在家の修行に重要になります。徳を積み、 仏陀の力で不徳を消していただいて自分を清め、さらに、自分を高 める修行を行い、まずシュダオンの聖者を目指すわけです。
 
仏陀になるまでに、シュダオン「預流」、シダゴン「一来」、アナ ゴン「不還」、アラカン「仏陀」の四つの段階がありますが、シュ ダオンの聖者になれば、後は仏陀を目指して上昇するだけです。 シュダオンは、まだ人天を最高で七回往復するとはいえ、もう三悪 趣には落ちません。普通の人の輪廻転生とは全く違うわけです。
 
ダンマパタでは、以下のように称えられています。
178 大地の唯一の支配者となるよりも、天に至るよりも、全世界   の主権者となるよりも、聖者の第一階梯(預流果)のほうが   すぐれている。
 
「ブッダ最後の旅」のナーディカ村で、釈尊は、亡くなった在家で アナゴンになった者がいることを話されています。
徳積みと、仏陀の力と、上求菩提の修行により、在家の者もまず聖 者になり、最終的に仏陀になる道が開かれているわけです。 これは素晴らしいことではないですか!
 
≪五根法や三明などについて≫ ところで、ブログでの五根法ですが、認識にいささか間違いがある ようです。
 
『雑阿含経・当知経』によると、
・信根  :三宝(仏法僧)と戒に対する四不壊信
・精進根 :四正断
・念根  :四念処
・定根  :四禅(初禅~四禅)
・慧根  :四聖諦 となります。
 
定根は、四神足法ではなく四禅です。
なお、当知経 では、慧根:四聖諦としていますが、中村元先生の本を見るとちょ っと違う気がします。四聖諦の部分は後世の付加だろう、と記して あります。
 
釈尊が仏陀になられた状況をたどってみると、定を次第に深め、初 禅~四禅までを成就し、次に、この確立し不動となった心を、 ・過去の生涯を想いおこす智(宿明智)、 ・もろもろの生存者の死生を知ること(天眼智)、 ・もろもろの汚れを滅す智(漏尽智) に向けられました。そして、これらの三明と呼ばれる智慧(神通力) 、特に仏教だけが得られる漏尽智を得て、輪廻転生から解脱された わけです。
 
以下は、漏尽智を得たときの記述です。”苦である”という後に、 四聖諦の説明がされているようです。中村元先生はそれを省いてお られます。
 
「そこでこの[一切は]苦であると如実に知った。われがこのよう  に知り、このように見たときに、心は欲の汚れから解脱し、  心は生存の汚れから解脱し、心は無明の汚れから解脱した。  解脱しおわったときに、”解脱した”という智がおこった。  ”生はつきはてた。清浄行が完成した。なすべきことはすでに  なされた。もはやかかる生存の状態に達することはない(注:  もはや生まれ変わらないという意味)”と知りおわった」
 
この初禅~四禅から三明獲得までは、ダンマパタに出てくる”止” と”観”の修行のことだと思います。
 
384 バラモンが二つのことがら(=止と観)について彼岸に達した (=完全になった)ならば、かれはよく知る人であるので、かれの束縛はすべて消え失せるであろう。
 
三明は、阿含経にも、また阿羅漢となった弟子たちの詩『テーラガ ータ』『テーリーガータ』にも出てきます。これを獲得することが、 最終的な仏教の目標でしょう。
 
そして、仏陀とはどんなお方なのかは、「ダンマパタ」の423 (または「スッタニパータ」647)に記されています。
 
423 前世の生涯を知り、また天上と地獄とを見、生存を滅ぼしつくすに至って、直観智を完成した聖者、完成すべきことをすべて完成した人、──かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。
 
なお、四聖諦は、輪廻転生の苦からの脱出方法を示したものと考え ます。それは、頭で考えたものではなく、三明によって明らかに なった輪廻転生の実相から導き出されたものと思います。 また四神足法は、機根の優れた人のための、かなり高度な修行法 でしょう。なぜなら、この四神足法を修練することによって、三明 だけでなく神足通・他心通・天耳通を加えた「三明六通」を獲得 できるからです。 以上、いろいろ述べてきましたが、参考になれば幸いです。
ところで、薄いピンクの文章はとても読みにくく読む気になれま せん。色を変えた方が良いのではないでしょうか。

 

 

 

タキタロウさん、はじめまして。

大乗仏教のフィールドで育ち大乗仏教の見方で見れば、歴史上の仏陀(ゴータマ・シッダッタ)が自分の遺骨を納めた塔を建てて礼拝せよ、という考えには疑問が涌くことはありません。

私も、ずっと大乗仏教の視点しか知らなかったのですから、何の疑問もありませんでした。

神格化された釈尊の遺骨に神秘的な力が宿っていることは当たり前でもあり、それを礼拝するのは当然でした。

ただ、いったん、すべての仏教知識を白紙にして、歴史上の仏陀の真意を探ろうと決意してから、その視点で見ると、かなり不思議な気がします。

仏陀は、成道、初転法輪のときから、死の直前まで、一貫して説いたものは『無常である(生じるものは必ず滅する)ものは苦である、苦であるものを私、私のもの、私の本体と呼んでいいであろうか。』ということで、無常・苦・非我でした。

四念処では、死体の朽ちていく様や白骨観でこの肉体は自分ではないということを徹底的に観じていきます。

 

仏陀は自分の見舞いに来た弟子に、『このように朽ち果てていく私の肉体を見たところで何にもならない。私が説いた法こそが私である。法を見る者は私を見ると言ったではないか。』と言う意味のことをいいます。

つまり、明確に、自分のこの朽ち果てていく肉体は私(仏陀)ではない、私の説いた法(理法)が私なのだ、と断言しているのです。

これは、仏陀がその長い生涯を通じて繰り返し説いた理法でした。

肉体は仏陀ではなく、説いた理法こそが仏陀なのです。

そういう視点から見ると、仏陀の肉体の一部(骨)を特別視することをなぜ最後に言い残したのか、これは私のこれから解決すべき課題です。

生きている時の仏陀の肉体でさえ、『見舞いに来る必要はない。この肉体は私ではない。私の説いた理法こそが私なのだ。』と言っていたのです。

ここが不思議なのです。

少なくとも、この言葉から、後世に大乗仏教が生まれたのだろうということは推測できます。神格化が急速に進みましたし、仏塔が各地に建てられていきました。

 

ちなみに、『供養』と言う言葉は、今の日本ではほとんど先祖供養などのように亡くなった人への祈りの意味で使われますが、仏陀の時代、供養とは、食べ物を差し上げたり、自分の家に呼んでお客に料理をもてなすことを指しました。

いま、お墓参りのときは、線香とお花と水が三点セットですが、これはもともと、インドで家にお客様をもてなすときに使われたものばかりです。白檀の香を水で溶いてお客さんの身体に塗ってあげるとひんやりして気持ちいいらしいです。それに花輪を首からかけてあげ、お水(インドでは飲める水が貴重のようです)を飲んでいただく、という風習から来たもののようです。

 

生きている出家者に食べ物を差し上げるのが供養であり、出家者は、解脱し仏になってはじめて応供(供養に相応しい者)となれるので仏を目指して修行するのです。

 

ただ、仏舎利塔がさかんに作られはじめて、供養は死者への供養というものに意味が変わっていったように思います。

 

 

次に、上求菩提・下化衆生 のことですが、大乗仏教とくに日本の仏教では、お釈迦様はすべての衆生を救うために悟ろうとして出家した、と言うようなことが言われていますが、そうではないと思います。

スッタニパータの中でも最古層の文に、『殺そうと争う人を見て、私に恐怖が起こった。世界はどこも堅実ではない。私は自分のよるべき住所を求めた。すべてのものは終極においては違逆に会うのを見て私は不快になった。』とあります。

仏陀は自らの恐怖、不快のために、自己の安らぎを求めて出家したのです。

仏陀でさえそうです。

すべての人間は、『正見解』を持っていないのです。顛倒夢想しているのです。

中心を持っているのです。

その中心がある限り、無量であることはありません。

人間が180度転回して、正見=正見解=智慧が生じるまでは、慈悲は生まれず、下化衆生と言っても、中心性を離れないボランティアのようになります。

よく、自分が救われる前にすべての人を救おう、などということを大乗仏教だという人がいますが、自分が救われなくて、自分が無量でなくて、自分がのたうちまわって、人を導けるわけはありません。

頭の混乱している人に道案内をたのむと、目的地とは真逆の場所に連れて行かれるだけです。

徹底した洞察をし、慚愧懺悔をして、180度の転回をし、正見=智慧が生じて初めて、八正道が歩めて、慈悲が生じるのです。

宗教界やスピリチュアル業界でよくある『人を救いたい』という人たちの怪しさを見ると世の実態がわかると思います。

まずは自己の確立です。180度の転回です。

 

 

次に、三十七菩提分法ですが、パーリ涅槃経に『過去、現在、未来の仏たちはみな、四念処と七覚支を修行して悟った。』とあります。

七覚支の念は四念処です。

ですから、私は、三十七菩提分法の核心は七覚支だと思っています。

 

 

ここで、わからなかったことをお聞きしますが

精進の前提として”信(根、力)””択法””正見”なども 含みます。つまり、下化衆生ですね。 「自己の心を浄めること」は、初心の瞑想や呼吸法などから究極の 解脱瞑想まで、”念””定””慧””神足”など上求菩提の法です。 「上求菩提・下化衆生」は、セットで行う修行なのです。

と書かれていますね。

信根、信力、択法、正見が、なぜ『下化衆生』なのでしょうか。

信が三宝への信であることはその通りだと思います。

しかし、信や択法や正見が、どうして『下化衆生』なのかがわかりません。

 

三十七菩提分法はすべて悟りに至るための法であると思いますし、強いて上求菩提か下化衆生に分けなければならないとすれば上求菩提だと思います。

そもそも、仏陀の法を上求菩提か下化衆生に分けるような記述が原始仏典にあるのでしょうか。

何か、大乗仏教の考え方で原始仏典を解釈しているような気がしますが。

 

三十七菩提分法は修行科目ですから、それを行じて智慧が初めて生じます。

智慧が生じるまでは、顛倒夢想しているのですから、下化衆生の心など持てません。

仏陀でさえ、成道した後、梵天に説得されて初めて法輪を転じようと決意したのですから。それまでは、ひたすら自らの安らぎを追い求めていたのです。

 

もし、原始仏教で、下化衆生があるとすれば、それは仏陀の理法を伝えることだけではないかと思います。

信根、信力、択法、正見はあくまで、その修行者の修行過程だと思いますが。

 

五根の定根は、私は四神足と書きましたが、本当は、初禅から四禅なのですかね。

ご指摘ありがとうございました。

定に関しては、止・観との関係や、色界定、無色界定との関係など、これからいろいろ調べていきたいと思っています。また、教えてください。

 

                                                                               

 

 

相応部経典9

第3集存在の構成要素の集

第1篇存在の構成要素についての集成 第1部根本五十第5章第7節

 

ソーナよ、いかなる沙門・バラモンであれ、無常であり、苦しみであり、変化する性質の身体(色)をもとにして、私は優れているとか、わたしは同等であるとか、わたしは劣っていると見るならば、ありのままに見ていない以外の何ものであろうか。

無常であり、苦しみであり、変化する性質の【受・想・行・識】をもとにして、私は優れているとか、わたしは同等であるとか、わたしは劣っていると見るならば、ありのままに見ていない以外の何ものであろうか。

 

 

同じく、第10節

 

修行者たちよ、身体を根源的に省察し、身体が無常であることをありのままに見なさい。

身体を根源的に省察し、身体が無常であることをありのままに見る修行者は身体を厭う。

喜びが尽きるので貪欲が尽きる。

貪欲が尽きるので喜びが尽きる。

喜びと貪欲が尽きるので、心が解脱し、よく解脱したといわれる。

 

 

この【根源的に省察する】という言葉は重要です。

根源的に省察すれば、無常であることをありのままに見ることになります。

これは四念処の時の見方でもあります。

仏陀はなぜストゥーパを作らせたのか

仏陀の教説から見て、私が最も疑問に思うのは

なぜ仏陀は、死の直前、自分の遺骨を納める塔(ストゥーパ)を作り礼拝するように言ったのか、ということです。

仏陀の教説からして、『肉体は私ではない』ということがその根本です。

また、火葬して遺灰を川に流すのがインドの風習です。

今でもヒンドゥー教徒は遺灰を川に流して墓を作らないと言われています。

 

肉体が仏陀でないのですから、遺骨も仏陀ではありません。

仏陀の教説からすればなおさら、遺灰は川に流して跡形もなくすように言い残すほうが自然に感じます。

 

しかし、仏陀はアーナンダに対し、

『アーナンダよ。世界を支配する帝王の遺体を処理するのと同 じように、修行完成者の遺体を処理すべきである。四つ辻に、 修行完成者のストゥーパをつくるべきである。誰であろうと、 そこに花輪または香料または顔料をささげて礼拝し、また心を 浄らかにして信ずる人々には、長いあいだ利益と幸せが起るで あろう。』

と言います。

 

これは、解明しなければいけない『謎』です。

自費出版

ひだ (124.24.195.46)  

ショーシャンク様 いつも有益な記事をありがとうございます。 記事を拝読させていただいておりますと、随所に「自費出版」のことが出てまいります。もしすでにご本を出されておられるのでしたら、是非とも読まさせていただきたいと思いまして。お差支えなければご書名のほうをお教え願いないでしょうか? 突然のぶしつけなお願い、申し訳ありません。
 
 
 

ひださん、ありがとうございます。

自費出版に関しては、まだ題名も決まってませんし、原稿にも取りかかっていません。

歴史上の仏陀が本当に言いたかったのは何か、がそのテーマなのですが、当初思っていたよりも、次から次へと発見があって、取りかかるまでもう少し時間がかかりそうです。

このブログなどで蓄積しているので、取りかかったら早いとは思います。

ただ、原始仏教それも最古層の仏典だけに絞っていましたが、大乗仏教は仏陀の真意の復興運動だったことを発見したり、今でも大きな気づきが新しくどんどん出てきますので、まとめるのにもう少しかかりそうです。

 

また、自費出版できるくらいになりましたら、このブログでお知らせします。

相応部経典8(法を島とせよ)

相応部経典第三集 存在の構成要素の集 の中の

『自分を島とすること』は非常に重要です。

 

自分を島とし、自分を拠り所として、他を拠り所とせず、真理(法)を島とし、真理(法)を拠り所として、他を拠り所とせずにいなさい。

 

自分を島とし、自分を拠り所として、他を拠り所とせず、真理(法)を島とし、真理(法)を拠り所として、他を拠り所とせず、愁い・悲しみ・苦しみ・憂い・悩みが何によって生じ、何によって発生するのかを、根源的に(yoniso va)観察する(upaparikkhitabba)べきである。

 

では、修行者たちよ、愁い・悲しみ・苦しみ・憂い・悩みが何によって生じ、何によって発生するのか。

 

教えを聞かない凡夫は聖者たちを見ず、聖者の教えを知らず、聖者の教えに導かれない。

かれは、身体(色)を我(自己)であると見、我は身体を所有していると見、我の中に身体を見、身体の中に我を見る。その身体は変化し変異する。

身体が変化し変異することにより、かれに愁い・悲しみ・苦しみ・憂い・悩みが生じる。

 

 

『色』に続いて、受・想・行・識が同じように説かれます。

 

しかしながら、修行者たちよ、

身体(色)が無常であり、変化し、消失し、消滅することを知り、過去の身体も現在のすべての身体も無常であり、苦しみであり、変化する性質のものであると、このようにありのままに正しい智慧によって見る者には、愁い・悲しみ・苦しみ・憂い・悩みが捨てられる。それらが捨てられるので、かれは恐れない。恐れないので安らかに生きる。安らかに生きる修行者は『確かに寂滅した者』といわれる。

 

『色』に続いて、受・想・行・識が同じように説かれます。

 

 

他を拠り所とせず、自己を島(洲)とせよ、法を島(洲)とせよ。という言葉は非常に有名な言葉で、自灯明法灯明とも呼ばれます。

 

パーリ涅槃経では、法を島とせよ、の後に、身・受・心・法について、無常であり苦であり非我であることを観じよ、と説いています。四念処です。

 

この相応部経典では、色・受・想・行・識の五蘊について、無常であり苦であり非我であることを観じよ、と説いています。

 

 

続いて、『無常であること』が説かれます。

 

身体(色)は無常である。

何であれ、無常であるものは苦しみである。

何であれ、苦しみであるものは非我である。(自己ではない)

何であれ、非我であるものは、『これはわたしのものではない、わたしはこれではない。これはわたしの我(自己)ではない。』とこのようにこれをありのままに正しい智慧によって見るべきである。

このようにこれを正しい智慧によって見る者の心は染まらず、執着なく、もろもろの煩悩から解放される。

 

『色』に続いて、受・想・行・識が同じように説かれます。

 

 

 

この相応部経典からもパーリ涅槃経からも、色・受・想・行・識の五蘊や身・受・心・法について、無常であり苦であり非我であることを洞察することが仏陀の教えの核心だということがわかります。

 

色・受・想・行・識の五蘊や身・受・心・法について、無常であり苦であり非我であることを知ることが、正しい智慧=正しい見解=正見 なのです。

 

 

幻想を剥がして肉体を見ると

  ひだ (124.24.195.46)  

ありがとうございます。
「生苦」が「生きる苦しみ」だとしたら、その中に「老苦」「病苦」は含まれてしまうじゃないか、と以前から思っていました。
ショーシャンクさまのこの説明でスッキリしました。
いま、少しずつ過去記事を読ませていただいていますが、私のような非学浅才な者には難しいと感じることも多くあります。
今回の記事のように、基本的なこともご教授いただける回がありますと非常に嬉しく(たとえばショーシャンク様の瞑想修行の具体的な内容など)ご披露いただけることもあるかも・・・などと密かに期待しています。
 
 
 
 

ひださん、ありがとうございます。

今の仏教は、仏陀の真意とはあまりにもかけ離れていて、基本的な仏教用語もすべて間違った解釈をされています。

 

生老病死の『生』は、『生きる苦しみ』ではなく『生まれる苦しみ』なのですが、これも人類には全く理解されないできました。

『生きる苦しみ』や生活苦であれば非常によく分かるけど、『生まれる苦しみ』など覚えてもないしわかるわけがない、というのはほとんどの人の感想でしょう。

 

しかし、十二縁起を瞑想していたり無量に触れることがあると、ひらめきのようにわかることがあります。

赤ちゃんがなぜ泣き叫んで生まれてくるのか、それは圧迫される苦痛や肌の痛みの感覚、そして今まで一体であったところから切り離されてしまった感覚、これにより泣き叫ぶのです。

これが実感としてわかってくると、仏陀が言った『生まれる苦しみ』がわかります。

 

四念処の『身』は、大便や小便などが出る身、そして腐っていく身、白骨となっていく身というのを観じる方法です。

仏陀の時代には本当に墓場で死体を見て瞑想していたようです。

 

しかし、わざわざ死体などを見なくても、十二縁起を瞑想したりして無量を感じるようになれば、徐々に身体への幻想が剥がれ落ちていきます。

私たちは、今まで、いかにして不浄な部分を少なくし隠しごまかしてきたかがはっきりとわかります。

香水や化粧品、衣装の数々、最新のトイレなど、人類の文化文明は不浄なものを全力で隠してきました。

しかし、幻想を剥がしてありのままに観ると、どのように若くて美しい人でも絶え間なく排泄物を出しているのです。

仏陀はそれを20代のときにありありと観て幻想が崩れ去ったのです。