仏陀の優しさ

大パリニッバーナ経(パーリ涅槃経)に印象的な場面があります。

仏教の真髄に迫る記述でもあります。

 

 

ブッダは2本のサーラ樹のあいだに近づくと、4つに折られた衣を敷いてもらい、その上に臥した。
右の脇を下に向けて、右足の上に左足を重ねて。
その姿は伏した獅子であるかのようだった。

ブッダはアーナンダに告げた。
「私の死に関し、誰かが鍛冶工のチュンダを責め、彼に後悔の念を起こさせるような言葉を発するかもしれない。
『ブッダはお前の食事を受けて亡くなったのだから、お前には利益も功徳もない』と。


もしもそのような事態が起こったら、アーナンダよ、次のように言ってチュンダの後悔の念を取り除いてあげなさい。

『友よ。ブッダは人生最後の供物をあなたからいただいたのだから、あなたには大きな利益と功徳がある。
私はブッダから聞いた。人生にはすばらしい食べ物の供養が2つあるということを。
1つは、食べ物をいただいて、無上の悟りを開いた時の供養。
そしてもう1つが、人生の最後にいただいた食べ物の供養だ。

この供養の後、ブッダは煩悩が完全に滅却した涅槃に入ったのだから、この食べ物を施した功徳ははかり知れない。

だからチュンダの施した供養は大きな功徳がある。
すぐれた果報があるのだ』と。
そう言ってチュンダの後悔の念を取り除いてやってほしい。
よいな、アーナンダよ」

 

そこまで話すと、ブッダはつぶやくように感興の言葉を述べた。
「施す者の功徳はすぐれたる。
心を整えれば怨みはない。
善き人は悪事から離れ、
欲を滅して煩悩から放たれた」

 

 

死に直面した仏陀は、この死の病を引き起したチュンダを傷つけないように気遣っています。

本当に優しい人だったことがわかるエピソードです。

しかしそれだけではありません。

仏陀の人生において2つの大いなる功徳のある食べ物があるといいます。

ひとつは、スジャーターが差し出した乳粥です。

断食行に打ち込んでいた仏陀はこの乳粥を食べてから徹底的な瞑想に入り、成道します。

もうひとつは、鍛冶工チュンダが差し出した、死の病に至らせたきのこ料理(または豚肉料理)です。

 

有余涅槃に到達させてくれた食べ物と

無余涅槃に到達させてくれた食べ物です。

 

死に至る食べ物を最も功徳がある供養と言ったのは、単に鍛冶工チュンダを慰めるためだけではありません。

仏陀は本気でそう思っていたと思います。

『スッタニパータ』に『自己の身体(個体)を断滅することが安楽である、と諸々の聖者は見る。正しく見る人々のこの考えは、一切の世間の人々とは正反対である。』とあるからです。

ここは非常に微妙で危うい記述なのですが、実はここに仏陀の真意が隠されていると思います。

ただのチュンダへの慰めの言葉ではありません。