koboyukiさん、お久しぶりです。
そうですね。精神世界(宗教・哲学・スピリチュアルなど)は、現実逃避型の人が引きつけられやすいということもあるでしょう。
また、現実逃避、現実遊離に導くような教えが蔓延っているのも確かです。
面白いのは、同じキリスト教を基にしても、ニューソートの『強く願えば思いは現実になるんだ』という考えと物質や現実をなるべく遠ざけようとする清貧を目指す考えの両極端になったりしています。
聖書に『だれでも、この山に向かって、『動いて、海に入れ』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。』という言葉もありますし、『金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい』という言葉もあります。
その解釈も様々あり、現実はいくらでも変えられるんだという考えと現象を変えようと思ってはいけないという考えなどに分かれていくんだと思います。
ただ、キリスト教は、イエス・キリスト本人が、様々な奇跡を見せて現実をどんどん変えていった人ですから、現実をよりよく変えようとする原動力に溢れた考えにもなりやすいと思います。それで西洋文明は高度なものになりました。
しかし、仏教など東洋の思想は、どうしても現実遊離になりやすい傾向はあります。
特に『無我』という思想が仏教の根幹だと誤ってしまったため、主体性を見失わせるような、フラフラしたものが蔓延ってしまいました。
これは本当にまずいと思っています。
自分の精神をかけて自分の金儲けに邁進している人は、自分の決断が成功をもたらしたり失敗をもたらしたりする『100%自己責任』ということが本当にわかるようになります。どこにも逃げることはできません。
この件に関しては、かなり書くことが多くなりますので、また書き足していこうと思います。