八つの詩句の章のことでしょう

高原 (126.42.33.248)    

ショーシャンクさん、こんばんわ。 少し疑問があるのですが、よろしいでしょうか。 先日、ショーシャンクさんと石飛道子さんのやりとりを読んでました。法華経が題材になっていました。 その中で、石飛道子さんが「スッパニータの後半、第14経、第15経、16経に、菩薩、独覚、声聞の道に対応していると読める三乗が説かれています」とおっしゃっているのですが、そのスッパニータの後半のくだり~は第五 彼岸に至る道に章の「学生ウダヤの質問」「学生ポーサーラの質問」「学生モーガラージャの質問」(中村元訳)の所かと思うのですが、どこが三乗が書いてあるのか、ぼくにはさっぱり分かりません。ショーシャンクさんは石飛道子さんのおっしゃっていることを理解されたのでしょうか?スッパニータに菩薩が登場するのは読んだことがなかったので。

 

 

高原さん、こんにちは。

石飛先生が言われているのは、スッタニパータ第四章(八つの詩句の章)のことです。

第四章は、16経でできています。

その中の14経、15経、16経が三乗に対応するというのが先生のお考えですね。

具体的には、14経が菩薩、15経が縁覚、16経が声聞に対して説いたということです。

タイプ別に対機説法したという解釈ですね。

14経では、俗世間の人たちに積極的に教えを説く菩薩タイプに向けてのことが書いてあり、例えば、世俗の人に罵られても荒々しい言葉を使うな、とかです。

15経では、あまり俗世間に交わらず、一人で修行する縁覚タイプにむけた説法があり、16経では声聞の代表の舎利弗に向けた説法をしている、ということだと思います。

 

どこかで、三乗という3種類だけではなく16種類ある、というようなことを書かれていましたから、たぶん、スッタニパータ第四章(八つの詩句の章)は16のタイプの人向けにそれぞれ説かれたと考えられているのでしょう。

 

私はそう理解したので、『先生が、スッタニパータの14,15,16経が三乗思想に対応していると思われている理由が分かりました。』と書いたのです。

ただ、続く文章で『私としては三乗に分ける考え方が好きでないので、できれば三乗は方便で、先生の結論たる、二乗にエールを送るという意味での設定に過ぎず本心は一仏乗だというのがすっきりします。』と書いたように、私としては、仏陀の真意は一仏乗しかないと思っています。仏陀は、四念処は涅槃に至る一乗道と言っていますから。

やはり、三乗は大乗仏教の考えだと思っています。

 

石飛先生も私の文章に『わかりました』と言われるときは、『ショーシャンクがこのように考えているんだということがわかりました』という意味です。

それと同じで、私も『石飛先生がそう思われている理由が分かりました』という意味です。

 

石飛先生は、仏陀が一切知を持っていて、最古層のスッタニパータにはその一切知が示されているというお考えなのだと思います。

大乗仏教の三乗思想もヴェーダについての知識もその中にあるんだということでしょう。

 

スッタニパータも法華経も、百人いたら百通りの解釈があるものだと思います。

私が苦手なのは、根拠も示さずに否定も肯定も断言する人です。

石飛先生ははっきりと根拠(典拠)を示されるので、納得します。