縁起

今まで、歴史上の仏陀が本当に言いたかったことを探求してきました。

そして、仏陀の真意は、今伝わって解釈されている仏教とは全く違ったものであることがわかりました。

 

 

仏陀の真意の根本は、

 

yam  kinci  samudaya-dhammam  sabbam  tam  nirodha-dhammam.

 

生じる性質のものは、すべて滅する性質のものである。

 

この言葉に尽きます。

 

この言葉の上に仏陀の教えのすべてが成り立っているのです。

故に、仏陀は、『生じたもので滅することがないものが、爪の上の土ほどでもあったならば、私の理法は成り立たない。』と言ったのです。

 

『無常』の本当の意味は、変化して止まないことではありません。

生じたものは必ず滅する、ということを無常というのです。

 

 

仏教なるものが最も誤解したのが『縁起の法』です。

 

これあればかれあり

これ生ずるが故にかれ生ず

これなければかれなし

これ滅するが故にかれ滅す

 

imasmim  sati  idam hoti

imass'  uppada  idam  uppajjati 

imasmim  asati  idam  na  hoti

imassa  nirodha  idam  nirujjhati

 

 

これが縁起の公式ですが

仏陀は、この公式を発見し、この公式に基づいて、

『苦』の原因を探求していったのです。

それが縁起です。

 

仏陀は、自ら何度も言っているように、

『私が求めたのは、苦と苦の消滅である』のです。

 

これあれば苦あり

これ生ずるが故に苦が生ず

これなければ苦なし

これ滅するが故に苦が滅す

 

これ』を探求したのが、縁起です。

 

つまり、縁起とは、苦の縁って起こる原因のことなのです。

 

それを後世の仏教なるものが、抽象論にしてしまって

相対的なものだから自性がない、実体がない、などということにしてしまったのです。

あるいは、大があるのは小があるからだ、などという馬鹿げたことを縁起の法と言う人までいます。

ここにおいて、仏陀の真意は全く失われてしまいました。