法を見るものは私を見る

タキタロウ (58.183.206.23)  

前回の投稿は、議論のためではなく、修行論で欠けている視点があるのではないか、ということを言いたかったのですが、 やはりいろいろ説明不足があったようです。この投稿も議論ではなく、疑問点を順次説明する形で記すつもりです。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
まず、大乗仏教の見方とかあるいはxxx仏教の見方とかは、自分で先入観を持つことがありますから、気を付けた方が良いと 思います。仏教であればすべて釈尊から続いているものなのですから、何もかも違うということはない。原点の釈尊の仏教と の違いをはっきりさせるという視点で見ればよいのではないですか。
例えば”大乗仏教の見方”という次の文について、
 
>大乗仏教の見方で見れば、歴史上の仏陀(ゴータマ・シッダッタ)が自分の遺骨を納めた塔を建てて礼拝せよ、という考え >には疑問が涌くことはありません。 >神格化された釈尊の遺骨に神秘的な力が宿っていることは当たり前でもあり、それを礼拝するのは当然でした。
 
”仏舎利を納めたストゥーパをつくりなさい”と指示され、「誰であろうと、花輪または香料または顔料をささげて礼拝し、 また 心を浄らかにして信ずる人々には、長いあいだ利益と幸せとが起るであろう。」と説かれたのは、『ブッダ最後の旅』 (中村元訳)、すなわち阿含経典です。長阿含経・遊行経も同様に仏舎利の功徳を説いています。 つまり、”大乗仏教の見方”は無関係です。 また、前回、仏陀の三明を説明したように、仏陀は、業と因縁から解脱する智慧/神通力を持ち、涅槃に赴かれました。 その業と因縁から解脱する智慧/神通力を、供養に応じて、【仏舎利を媒介として】供養した者に発揮するぞ、と言われてい るわけです。別に”神格化”でも”神秘的な力”でもない。阿含経典にちゃんと記されている仏陀の智慧/神通力の発揮です。 仏舎利は、現世からの供養を受け、かつ涅槃からの仏陀の功徳力を伝える「聖遺物」であり、【現世での仏陀と同等とみな せる】聖なるものだということです。「舎利礼文」はそれを示しているわけです。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
そして、仏弟子の遺体や遺骨を供養することは、釈尊ご在世のころから行われていました。 『国訳一切経 阿含部三』に「第六 八衆誦 第三病相応」があり、その中で仏弟子の死とその供養についていくつか載せら れています。
部分だけですが、いくつか例をあげると(難漢字の人名はカタカナにします)、 ・P37 :時に使の比丘、バッカリの死身を供養し巳って還って仏の所に詣り・・・ ・P40 :時に尊者舎利弗、尊者チュンナを供養し巳って仏の所に往詣し・・・ ・P41 :時に尊者阿難、尊者バグナの舎利を供養し巳って仏の所に往詣し・・・ ・P45〔重い病の年少新学の比丘が、釈尊の説法を聞いた後、諸根喜悦し顔貌清浄で亡くなった。釈尊は次のことを諸比丘に     告げられた]       「彼の比丘は是れ真の宝物である。我が説法を聞いて分明に解了し法に於て無畏にして般涅槃を得た。」     『汝等但だ当に舎利を供養すべし。』     
<彼の比丘は真の宝物である。彼は聖者となった。当にその舎利を供養せよ、と説法されているわけです。>
また、舎利弗は釈尊の一番弟子と言って良い存在ですが、釈尊より早く、故郷のナーランダで亡くなりました。舎利弗の弟子 が遺骨を持って釈尊に報告に来ましたが、その舎利弗のストゥーパはナーランダにあります(他の所にもあるのかな?)。 仏陀・阿羅漢は涅槃、シュダオン~アナゴンは天界におられ、その遺体や遺骨を通じて、供養に応じて功徳を与える力を持つ 存在なのです。釈尊が、自身の舎利供養をいきなり言われたわけでないことが分かると思います。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
ところで、仏教が初めから葬儀をしており重視していたということを、正木晃先生がユーチューブで講演されています。 『第十回 現代仏教塾「東日本大震災と仏教」Ⅰ』ーー https://www.youtube.com/watch?v=bgNEU7Jj9rI                           (1時間10分頃から聞いてみて下さい) 正木先生は、「私に言わせれば、仏教は最初から葬式仏教です」、「インドでは、仏教は死者を祀る不気味な宗教だ、という 批判をずっとされ続けてきた」(つまり、死者に対する認識は、伝統的なインドの他の宗教とは違っていたということです)、 「いかに葬儀を中心におこなってきたか。それがどこかでねじ曲がってしまった」、「本来仏教は葬儀を重視していました」 と話されています。 ただし、葬義は出家の弟子間のみで、在家はカーストがあるため業者が行っていました。仏教はカーストを否定しますが、在 家の葬儀にかかわると世間はそう見ない。仏教の言うことなど耳をかざず、その在家のカーストと結びつけられて見られるか らです。逆にいえば、カーストのない国では、在家の信者を丁寧に祀る葬儀が可能になったと言えると思います。 正木先生の講義は面白くて興味深く非常に勉強になります。仏教に限らずキリスト教イスラム教のこと、中世の気候変動や西 洋のパンデミック等の宗教への影響など、今の状況を見たとき考えさせられます。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
さて、大乗仏教の教団といえるものができたのは、後期大乗にあたる密教になってからでした。それまでは、部派仏教の教団 の中で、初期・中期大乗経典も研究・実践されていたわけです。
そして、部派仏教の教団が、それまでストゥーパをお祀りし ていなかったと思いますか?
ストゥーパをインド中に広めたのはアショーカ王ですが、インドからスリランカへの仏教伝来を見ると、 「スリランカの史書『マハーワンサ』(5世紀)はスリランカへの仏教伝来をこう記す。インドに最初の統一王朝を建てた  アショーカ王の子のマヒンダ長老が上座部仏教をもたらすためこの島を訪れ、当時の王は彼らを迎えて首都アヌラーダプラ  に精舎「大寺(マハーヴィハーラ)」を建立した。アショーカ王からは次いで仏舎利が送られ、島の王はブッダガヤの菩提  樹の枝を勧請した。」 :『東南アジアに広がる上座部仏教の源流をスリランカ仏教にみる:荒木重雄』 ストゥーパは、大乗仏教ができる以前からインド、スリランカに広まっており、現在に至るわけです。今の南伝仏教の寺に、 ストゥーパをお祀りしていない寺などあるのでしょうか?また、仏教史には天才といわれる方がたくさんおられますが、彼ら の中に仏舎利を祀るのはおかしいと言われた方がいるのでしょうか? 例えば、空海は唐より仏舎利八十粒(1粒は金色)をもたらしました。そして、密教最高の法、如意宝珠法は仏舎利(=如意 宝珠)を本尊としたものなのです。密教の本尊は大日如来で、仏の悟りの境地そのものである法身ですが、その三昧耶形(仏 を表す象徴物の事)は宝塔(仏舎利塔)なのです。つまり密教では、仏舎利が法身の本体とされ重要視されているわけです。 釈尊ご自身が、ストゥーパをつくって礼拝供養しなさい、大きな功徳があるぞ、と言われているので当然だと思います。 もう一度繰り返しますが、仏舎利自体が仏陀ではなく、現世からの供養を受け、かつ涅槃からの仏陀の功徳力を伝える「聖遺 物」であり、【現世での仏陀と同等とみなせる】聖なるものだということです。「舎利礼文」はそれを示しているわけです。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
>仏陀は、成道、初転法輪のときから、死の直前まで、一貫して説いたものは『無常である(生じるものは必ず滅する)ものは >苦である、苦であるものを私、私のもの、私の本体と呼んでいいであろうか。』ということで、無常・苦・非我でした。
 
業と因縁により生じるもの(作られたもの)は、変わっていくのでその通りでしょう。しかし、ダンマパタでは、”作られざる もの(=ニルヴァーナ)”についても述べています。
 
97 何ものかを信ずることなく、作られざるもの(=ニルヴァーナ)を知り、生死の絆を絶ち、(善悪をなすに)よしなく、欲求を   捨て去った人、──かれこそ実に最上の人である。
 
生じるもの<作られたもの>(業と因縁による輪廻転生の世界)と作られざるもの(ニルヴァーナ=涅槃)とを両方知り、生死 の絆を絶ち涅槃に赴かれた御方が、仏陀釈尊および阿羅漢の弟子たちです。生前は肉体の制約を持つ有余依涅槃の境地にいて、 死後、肉体の制約から解放され涅槃に赴かれた方々です(無余依涅槃)。業と因縁から解脱して、作られざるもの(ニルヴァー ナ)、いわゆる常楽我浄の世界に居られる方々であり、これが仏教徒の目標でしょう。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
>『このように朽ち果てていく私の肉体を見たところで何にもならない。私が説いた法こそが私である。法を見る者は私を見る >と言ったではないか。』と言う意味のことをいいます。 >自分のこの朽ち果てていく肉体は私(仏陀)ではない、私の説いた法(理法)が私なのだ、と断言しているのです。
 
上記に述べたように、肉体や遺骨が、仏陀や聖者そのものでないのは当然です。しかし、”法を見る者は私を見る”というよ うに、法の体現者の仏陀は実在され人を救う力を発揮されます。仏・法は表裏一体で切り離せないものです。 仏の肉体は仏陀そのものではない、という当たり前のことを説きたいがため、法を強調し仏の存在を軽く見ているのでは、と 懸念しています。仏陀の説法は対機説法ですから、肉体ではなく、法とその法の体現者である仏陀の本質を見なさい、という 意味だと考えています。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
>少なくとも、この言葉から、後世に大乗仏教が生まれたのだろうということは推測できます。神格化が急速に進みましたし、 >仏塔が各地に建てられていきました。
 
大乗仏教運動が生まれたのは、前回述べたように、インドの部派仏教(特に一番勢力があった説一切有部)が僧院にこもり、 煩瑣な議論や他との論戦、自分だけの修行にあけくれ、人を救うことをおろそかにしたことへの反発です。
だから、大乗仏教は”われわれは人を救う”ということを強調したわけです。その志は良かったのですが、今度は七科三十七 道品の修行法をおろそかにしてしまい、部派仏教とは逆方向でのバランスを欠いたものになりました。
しかし、中期大乗~後 期大乗で、特に後期大乗の密教では、七科三十七道品の修行法を取り入れようとしたようです。ただそれが充分とはいえなか ったようですが。 大乗仏教の実態と仏塔の広がりについては、上記に既に書いた通りです。 なお、インドで仏教は一度滅んだのはご存じの通りですが、現在のテーラワーダ仏教(南伝仏教)は、インドの部派仏教とは 全く違った歴史があります。単純にインドの部派仏教と同一視してはいけません。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
>ちなみに、『供養』と言う言葉は、今の日本ではほとんど先祖供養などのように・・・・・・
 
仏典の『供養』という言葉は、かなり広い範囲をカバーして使われていると思っています。その時々で、ショーシャンクさん が書かれておられるような内容を考えれば良いと考えます。なお、上記に書いたように、仏弟子の遺体や遺骨への供養(死者 供養)は、もう釈尊ご在世のころから行われていました。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
>上求菩提・下化衆生 のことですが、大乗仏教とくに日本の仏教では、お釈迦様はすべての衆生を救うために悟ろうとして >出家したと言うようなことが言われていますが、そうではないと思います。
 
前回、「上求菩提・下化衆生」というちょっと厳めしい言葉を使いましたが、要するに「自利(心、行)と利他(心、行)」 のことです。この二つはバランスよく両方やるべき修行であり、切り離すようなものではない、ということを記したわけです。 「お釈迦様はすべての衆生を救うために悟ろうとして出家した」というのは、半分は本当だろうと思います。 ”四門出遊”という伝説は、釈迦がまだ太子の時、王城の東西南北の四つの門から郊外に出掛け、それぞれの門の外で老人、 病人、死者、修行者に出会い、人生の苦しみを目のあたりに見て、苦諦に対する目を開き、出家を決意した、と述べてます。 しかし、釈尊が見た人生の苦しみは、普通の人でも見ることです。普段は忘れているが、身内や知り合いにそういうことがあ れば思い出す。
そして、自分もやがて老病その他の苦しみに襲われ、そして”必ず死ぬ”ということは、皆知ってます。 この苦しみを取り除けるのならその方法を教えてもらいたい、と普通思うのではないでしょうか?
釈尊の出家は、なるほど自己の安らぎのためですが、それが実現出来たら、すべての衆生を救うことができることになります。 釈尊がそのことに気づかないはずはない。半分は本当とはそういうことです。大乗仏教云々は別に関係ありません。 釈尊の出家は、自利行と利他行の現れです。釈尊は大変厳しい修行をされたが、自分のためだからそれができた。他人のため だったらやめていたでしょう。しかし、その”他人のためでもある”ということが、自分のやることを支える原動力でもある ことも事実でしょう。例えば、家族のためにも会社のためにもこれをやり遂げなければならない、ということが困難を乗り越 える力になることがある。そして、それが結局自分のためにもなっている。「情けは人の為ならず」です。 釈尊もその自利行を支えたのは、すべての衆生(というのが大袈裟ならば家族、友人、知り合いなど)を救うために諦めるわ けにはいかない、という利他の心でしょう。自利と利他は表裏一体で行うもので、それでこそ修行も進むと思います。 もっとも解脱された釈尊は、自分のしてきた修行と衆生の心の在り方を見て、彼らには無理だろう、と説法する気になれずに いました。
しかし、梵天から三度勧請され、分かるものもいるはずだ、と説法を決心されました。最初の説法の相手を、かっ て一緒に修行していた五比丘に決めたのは、まずレベルの高い者から説いてみようとお考えになったからでしょう。
なお、五比丘の所に向かう途中、ウパカという外道の出家が、釈尊をただものではないと見て話しかけてきましたが、釈尊は 彼の教化に失敗されました。
たぶんこの後、釈尊といえども、すべての衆生を救うには、どのように皆を導いていくかをいろ いろ考え、試行錯誤されたものと推測します。 その利他心、利他行の現れである布教伝道のおかげで、仏教は2500年間続いているわけです。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
>徹底した洞察をし、慚愧懺悔をして、180度の転回をし、正見=智慧が生じて初めて、八正道が歩めて、慈悲が生じるの >です。
 
慈悲(利他)など簡単に生じるではないですか。縁起の法・自業自得を理を知れば、「情けは人の為ならず」ということが理 解できる。我が身を救うためには人を助けることだ、ということが分かったら、人を助けようという心が起こる。これが慈悲 心(利他心)ではないですか。あとは自分でできる限りそれを実践することが、慈悲行(利他行)ではないですか。それによ って、結局自分も救われていくというのが理です。 自利の智慧獲得の修行も、初心から初めて段々と高めていくものでしょう。それと同じで、利他の善因善業を積む修行(徳行 、梵行)も初心から段々と高めていくものなのです。 前回述べたように、「ダンマパタ」183の”七仏通誡偈”の前半2つは”四正断法”であり、各科の”精進”です。それは、 不徳を積まずに徳を積むという徳行(利他行)です。そして、後半は智慧獲得の修行(自利行)です。 『我が生すでに尽き、梵行すでに立ち、所作すでに作し、自ら後有を受けずと知る』の”梵行”は徳行で利他行、”所作”は 智慧獲得の自利行です。両方の修行を完成して完全解脱できるわけです。 「ダンマパタ」57では、徳行を完成(利他行)、正しい知慧によって解脱(自利行)と上記と同様のことを述べてます。 「舎利礼文」は、万徳円満 釈迦如来(万徳を円満せし釈迦如来)と釈尊が徳行(利他行)を完成されていることを述べてい ます。 また、釈尊が、『多くの人々の利益のために、多くの人々の幸福のために、世間の人々を憐れむために、神々と人々との利益 ・幸福になるために』と説法されているのは、利他行の実践の重要さを示されているわけで、自分のことしか考えないようで は駄目だぞ、と諭されているわけです。 何度も言いますが、上記のように「自利行と利他行」は、セットで行う修行であり、どちらも徐々に高めていく修行です。自 利行優先ではない、むしろ、在家がやりやすいのは利他行のほうでしょう。それでも、在家であってもシュダオン~アナゴン の聖者にまで成れる可能性があることは、前回述べたとおりです。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
>まずは自己の確立です。180度の転回です。
 
自己の確立には、自利行だけでなく、利他行で徳を積み自分の人格の向上を図らなければ成し遂げられないと思っています。 それに気がつかず自利行にのみ目が行くひとには、陥りやすい罠があります。 ブログ「一条真也の読書館」で『仏教思想のゼロポイント』魚川祐司著(新潮社)を取り上げてらっしゃいますが、その罠の 部分を引用します。魚川氏がミャンマーの瞑想センターを訪ねたときのことです。 「瞑想センターの1つで、国際的にも非常に有名な大規模森林僧院を訪ねた時に、とても印象的な経験をした。そこで既に  7年以上も滞在している、古株の日本人僧侶がいるというので挨拶に行ったところ、彼が私に対して開口一番に、『ここで  瞑想しても人格はよくなりませんよ』と言ったのである」 また、正木晃先生も「修行もうまくやらないと、やればやるほど(人格等が)悪くなる人がいます」と話されてます。 人格が悪いということは、人から見て、自分勝手で独善的で人に対する思いやりや気遣いがない、ということでしょう。瞑想 修行して人格の悪くなった仏陀や阿羅漢など考えられますか?それなのにどうしてそうなるのかを考えてみると、自利、自利 の思いがいつの間にか我利に変わり、我利我利亡者になってしまったせいだと思います。亡者が聖者にはなれません。 ところで、正木晃先生の講義によると仏教の戒(シーラ)の本来の意味は、”気立てが良い”ということらしいです。そして、 仏教のシーラは、キリスト教のように神からこれを守れと言われた戒ではなく、自分たちで決めた自らを律するための自発的 な戒なのです。 他人から見て、”気立てが良い”人になることが仏教の教えです。その”気立てが良い人”になるためには、我を抑え、人に 対する思いやりや気遣いを持ち、さらには人を助ける心をもつ、という利他行をすることではないですか。それを行わないか ら、人格が悪いと批判されてしまうわけです。 昔から、「無財の七施」といって、お金や物がなくても七つの施しができると言われています。人に喜びを与え、人につくす 布施の行(徳行、利他行)は、その心さえあれば必ず出来るものです。 その七つとは以下の通りです。 1.和顔施(わがんせ):にこやかな笑顔を施す   2.和語施(わごせ):親切で和やかな言葉づかいを施す 3.眼施 (げんせ) :やさしい眼を施す      4.身施 (しんせ):礼儀正しい行動、身体を使う奉仕活動を施す 5.心施 (しんせ) :うるわしい思いやりを施す 6.床座施(しょうざせ)座を譲って施す 7.房舎施(ぼうしゃせ):気持ちの良い待遇を施す 人格が悪いと言われている人が、やさしい目で笑顔で和やかに話し、礼儀正しく思いやりを持って、人を助ける行いをしたら 聖者の卵に変わることができます。人に喜びを与え、人につくす布施の行(徳行、利他行)が自己確立に必要なことが分かる のではないでしょうか。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
>自分が救われる前にすべての人を救おう、などということを大乗仏教だという人がいますが、自分が救われなくて、自分が >無量でなくて、自分がのたうちまわって、人を導けるわけはありません。 カトリック教会の修道女だったマザー・テレサはご存じでしょう。カトリックには、徳と聖性が認められた信者の死後、調査 の上、福者・聖人という地位を与える制度があります。福者・聖人と認定されるためには、その信者が確かに奇跡を起こした という証明が必要です。生前から聖女と呼ばれていた彼女は、特例の速さで福者となり、やがて聖人認定されました。 死後、彼女が何度も奇跡を起こしたという証しです。 そのマザー・テレサは、祈るとき、昔の様々な聖人の祈りを唱えておられましたが、珍しく自分のことで神に救いを願った祈 りがあります。カトリック教徒で作家の曾野綾子さんが、週刊誌のエッセイで紹介されたものです。    『マザー・テレサの祈り』(石川康輔神父訳)  主よ、私が空腹を覚えるとき パンを分ける相手に出会わせてください。  のどが渇くとき 飲み物を分ける相手に出会えますように。   寒さを感じるとき 温めてあげる相手に出会わせてください。  ひまがなくなるとき 時間を割いてあげる相手に出会えますように。  私が屈辱を味わうとき だれかを褒めてあげられますように。  気が滅入るとき だれかを力づけてあげられますように。   理解してもらいたいとき 理解してあげる相手に出会えますように。  かまってもらいたいとき かまってあげる相手に出会わせてください。  私が自分のことしか頭にないとき 私の関心が他人にも向きますように。  空腹と貧困の中を生き そして死んでいく世の兄弟姉妹に 奉仕するに値する者になれますように。  主よ、私をお助け下さい。 マザー・テレサは、自分の至らなさ、自分の苦しみを自覚し、しかし、(キリスト教ですから)神への信仰、愛の心、愛の 実践で、それを乗り越えようとされた。そして、生前から聖女と呼ばれるほどのお方になられました。 これを仏教に直せば、仏陀への信仰、慈悲(利他)の心、慈悲(利他)の実践ではありませんか。それで人を救っており、 周りから聖者と見られたという実例を見てどう思われますか? 人を救うことが、結局自分も救われることになる。何度も言っている「情けは人の為ならず」の実例なんです。 もちろん普通はそこまで徹底はできません。しかし、前に述べた「無財の七施」は、その心さえあれば出来るものです。 それによって、人に喜びを与え周りの人の心を和ませることは、人を助けることではないでしょうか。 なお、大乗仏教についていえば、否定だけする必要はありません。”すべての人を救おう”というのは、釈尊ご自身が生前 インド中を布教され、般涅槃された後は、仏舎利を残して救おうとされていることを見ても、当然だと思います。また、倫 理的な生活をする(上記の気立てが良い人になる)という教えが悪いはずがありません。 ただ、そこに、本当の仏(現代では仏舎利)が居て、仏陀の教法があるのか、という点が大事なのです。なにしろ、それら が無いと人を本当には救えませんから。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
ちょっと息抜きで雑談を。 仏舎利を「聖遺物」と表現しましたが、これはキリスト教の言葉です。聖遺物について、ウィキペディアから関連部分を引 用すると、 『キリスト教の教派、カトリック教会において、イエス・キリストや聖母マリアの遺品、キリストの受難にかかわるもの、  また諸聖人の遺骸や遺品をいう。これらの品物は大切に保管され、日々の祭儀で用いられてきた。聖遺物のうち聖人の  遺骸については、正教会での不朽体に相当する。古代から中世において、盛んに崇敬の対象となった。』 『聖人の遺骸またその一部は古代から中世においては強い崇敬の対象となり、それに関連した奇跡が多く語られている。  現在でも一部の教派では聖人の遺骸に接吻するなどして崇敬を表明することもある。』 『また伝統的に、教会の祭壇(正教会では宝座)の下には聖人の遺骸または遺物(不朽体)を納めることが必要であると  される。これは東方教会においては必ずしも必須の要件ではないが、しかしそのようにすることが望ましいと今でも考  えられている。カトリック教会においてはかつては必須の要件であったが、現代ではこの要件は撤廃されている。』 聖人の遺骸や遺品が大事にされたのは、それらが奇跡を起こすからです。聖人の霊は天国にいますが、遺骸や遺品を媒介 にして、人々を救うということです。仏舎利からの救いもこれと同等、ということで「聖遺物」の言葉を使っています。 もちろん釈尊の方が先なのですが、他宗教でも同様の救いを行っていることは知っておいてよいでしょう。 もう一つ、マザー・テレサに関して。黒澤明監督の「赤ひげ」が、実は彼女の新たな運命を開いたという素晴らしい話。 ただし、彼女はおそらくそのことを知らなかった。詳しくは、以下を見て下さい。 https://white-knight.blog.ss-blog.jp/2008-01-01  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
>信根、信力、択法、正見が、なぜ『下化衆生』なのでしょうか。
 
これらの前提として、当然、まず仏陀の教法を学ばねばなりません。そして、教法を学び、ある程度の信念、確信を持た ねば、人に勧めること、すなわち布教伝道はできないではないですか。教法を学ぶのは、自利のためだけでなく、利他の ため、人に話して勧めるためでもあるということです。 なお、”信(根、力)””択法””正見”などの修行は、結局以下を実現するためだと思います。  
教法に対して『信あって解なければ無明を増長し、解あって信なければ邪見を増長する。         信解円通してまさに行の本と為る』 <大乗経典の涅槃経>
 
自分の信仰している教法が、一体どういうものであるのかを理解する必要があります。そうでないとどんな熱心な信仰でも 迷いが起こって、いつかは崩れてしまうことも起きます。また、意味も考えずただ信じてしまうことは盲信・狂信に陥ると いう危険があります。オ○○真理教とか、宗教ではないがナチスドイツとか、恐ろしい例がありますね。 教法を一応理解しても、自分が信じられない内容に対して勝手な理屈をつけて教法を捻じ曲げてしまう人がいます。宗教と は現象世界と霊的世界の両方を扱うものです。しかし、霊的世界など信じないから、例えば”仏教は哲学だ”などと言う。 人を害するような教えでない限り、たとえ今は納得できない部分があってもやがて分かるだろう、という素直な信は必要で しょう。 この信(感情の働き)、解(理性の働き)が円満に混じって行の根本となる、それがこれらの修行の目標でしょう。 なお、行とは、智慧獲得の修行と万徳円満完成の修行の両方を含みます。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
>三十七菩提分法はすべて悟りに至るための法であると思いますし、強いて上求菩提か下化衆生に分けなければならないと >すれば上求菩提だと思います。
 
今まで散々述べたように、悟りに至るための法は、智慧獲得と万徳円満完成、つまり自利行と利他行の2種類あり、七科三 十七道品は、その内容をみれば両方含んでいるのがわかるはずです。まあ、中には自利行と利他行の両方を含んでいる項目 もあるでしょう。釈尊は両方説いていらっしゃるんだから、両方やらねばなりません。それが完全解脱に至る道です。 なお、しつこく言いますが、「情けは人の為ならず」の理から、利他行とは自利行を助けてくれる行でもあります。 七科三十七道品の個々の内容を検討する前に、上記のような俯瞰を見ないと、木を見て森を見ずで迷うことがあるかもしれ ません。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
>定に関しては、止・観との関係や、色界定、無色界定との関係な関係など、これからいろいろ調べていきたい・・
 
格的な智慧獲得の修行に関しては、実習が必須ですから、実習して境涯をあげなければ、経典に説いてあることが中々 実感できないと思います。それまでは、勉強した内容で推察するということになるでしょう。 幸いネットには、調べたいと思うものがたいてい載っています。止観でも色界定でも他のものでも、勉強したければいくら でもできますので、健闘を祈ります。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
最初述べたように、議論するつもりはなく、参考になればということで書きましたので(正直いろいろ大変でしたが)、 一応これで失礼します。なにしろ口だけ人間で、いろいろ書いてるがお前はどうなんだ、と言われたらつらいです。 早々と退散した方がいいと思います。お騒がせしました。
 
 

 

 

私が目指しているのは、後世に付け加えられた勝手な意味づけを剥がしていって、歴史上の仏陀が本当は何が言いたかったのかを解明することです。

仏教は、後世、様々な天才たちが出現してきて、その人たちの解釈によって、姿を全く変えていきました。

仏教と一言で言っても、最も基本的な仏法僧の三宝でさえ、全く違うものを指しています。

仏法僧の仏は、歴史上の仏陀=ゴータマ・シッダッタなのか、久遠実成の仏陀なのか、阿弥陀仏なのか、大日如来なのか、宗派によって違います。法もそうです。

 

仏舎利を塔に納めて礼拝せよと書かれているのは、パーリ涅槃経、つまり原始仏典です。それは当然分かっています。大乗仏典に書かれているのであれば、それは気にもならないでしょう。

原始仏典に書かれていることなので、それまで、長い間に説き続けてきた『肉体は私(仏陀)ではない。』という理法と、仏の肉体または肉体の一部(骨など)を特別視、神聖視することを仏陀本人が言い残したこととの整合性について考えているところだと書いたまでです。

それが当たり前のことだと思えるのであれば、それはその人の考えでいいと思います。私は自分で考えて納得したいだけです。

あなたがいうように、仏陀のその遺言が『その業と因縁から解脱する智慧/神通力を、供養に応じて、【仏舎利を媒介として】供養した者に発揮するぞ』ということであれば、私には、仏陀が生涯かけて説き続けてきたこととの整合性が今のところ見つけられないということで個人的な感想です。

 

インドでは遺骨は川に流すのが昔も今も普通であるといいます。『肉体は私ではない』という仏陀の理法からすれば、なおさら、肉体を神聖視、特別視しない形が自然のように思えます。

仏教は最初から葬式仏教であった、その証拠はこうだ、と言われるのはその通りなのかもしれませんが、それを疑っているのではなく、もしそうであれば、なぜ、仏陀はそのようなインドの一般と違うことをわざわざしたのだろうか、ということを考えていこうとしているのです。

大乗仏教の考えに支配された日本で生まれ育った人間の私たちでは、見過ごすようなこと、つまり葬式が大事だとか、遺骨が大事だとか、先祖が大事だとか、当然のことに思えていますが、最古層の仏典から見た場合、どうしてそうなんだろうと疑問が涌いていると言うことです。

 

部派仏教の教団が、それまでストゥーパをお祀りし ていなかったと思いますか?』と聞かれても、それは仏陀自身が仏舎利塔を建てて礼拝しなさいと言い残したのですから、そうしたに決まっています。それは当然のことです。

それは事実として、なぜ、仏陀はそう言い残したのか、なのです。

 

>>慈悲(利他)など簡単に生じるではないですか。

 

これは、私と考えが違うところです。

智慧とは、180度転回した観方のこと、つまり正見=正見解です。

智慧が生じて初めて慈悲が生じると思っています。

『情けは人の為ならず』という、回り回って自分の利益になるから利他をするのは、私は慈悲とは呼んでいません。

これは解釈や考えの違いでしょうから、これで議論するつもりはありません。

ただ、私はそう思っているというだけです。

 

もし、仏陀が出家の最初から、人類を救いたいと思って悟りへの修行をしたのであれば、悟った時に、梵天に勧められなくても、人類に教えを説こうと思ったでしょう。

 

 

>>上記に述べたように、肉体や遺骨が、仏陀や聖者そのものでないのは当然です。しかし、”法を見る者は私を見る”というよ うに、法の体現者の仏陀は実在され人を救う力を発揮されます。仏・法は表裏一体で切り離せないものです。 仏の肉体は仏陀そのものではない、という当たり前のことを説きたいがため、法を強調し仏の存在を軽く見ているのでは、と 懸念しています。仏陀の説法は対機説法ですから、肉体ではなく、法とその法の体現者である仏陀の本質を見なさい、という 意味だと考えています。     

 

 

『法を見るものは私を見る』という言葉は非常に有名ですが、この言葉の本当の意味を知るには、次の言葉を見る必要があります。

 

たとい比丘が、わたしの和合衣の裳をとり、後より随行して、私の足跡を踏もうとも、もし彼が、はげしい欲望を抱き、欲望のために、激情を抱き、瞋恚をいだき、 邪な思惟にかられ、放逸にして知解なく、いつまでも惑うてあるなら、彼はわたしから遠く離れてあり、またわたしは彼から遠く離れてあるのである。その所以は何であろうか。比丘たちよ、かの比丘は法を見ず、法を見ざるものはわたしを見ないからである。

 

たとい比丘が、わたしを去ること百由旬のかなたに住すとも、もし彼が、はげしい欲望を抱かず、欲望のために、激情を抱くこともなく、瞋恚をいだくこともなく、 邪な思惟にかられることもなく、不放逸にしてよく知解するなら、彼はわたしの近くにあるのであり、またわたしは彼の近くにあるのである。その所以は何であろうか。比丘たちよ、かの比丘は法を見るのであり、法を見るものはわたしを見るからである。

 

 あなたは、

>>肉体ではなく、法とその法の体現者である仏陀の本質を見なさい、という 意味だと考えています。

と書かれていますが、その通りです。

そして、仏典によれば、仏陀の本質とは仏陀が説いた理法のことです。

仏陀の肉体ではなく、説いた理法です。

ゆえに、法を見るものは私を見る、と言ったのです。

 

見舞いに来たヴァッカリに仏陀は

『やがて腐敗して朽ちてしまうわたしの肉身を見たところでなんになろう。理法を見るものが私を見るのです。』と言っています。

 

この仏典を見ても、仏陀は、肉体は私(仏)ではない、説いた理法こそが私(仏)だと、断言しているのです。

 

なので、最後に遺骨を礼拝するように言った真意を知りたいと思っているのです。

 

あなたはひょっとすると、阿含宗の人でしょうか。

そう思った理由は、仏舎利に非常にこだわりが大きいこと、密教との関連、などからです。

 

 

>>つまり密教では、仏舎利が法身の本体とされ重要視されているわけです。 釈尊ご自身が、ストゥーパをつくって礼拝供養しなさい、大きな功徳があるぞ、と言われているので当然だと思います。 もう一度繰り返しますが、仏舎利自体が仏陀ではなく、現世からの供養を受け、かつ涅槃からの仏陀の功徳力を伝える「聖遺 物」であり、【現世での仏陀と同等とみなせる】聖なるものだということです。「舎利礼文」はそれを示しているわけです。

 

舎利礼文は日本仏教独自のものでしょう。

インドや中国で唱えられたことはあるのでしょうか。

 

聖遺物という考えは、密教やあるいはキリスト教では違和感はないですが、仏陀の教説との整合性はこれから考えていきたいテーマです。

 

>>これらの前提として、当然、まず仏陀の教法を学ばねばなりません。そして、教法を学び、ある程度の信念、確信を持た ねば、人に勧めること、すなわち布教伝道はできないではないですか。教法を学ぶのは、自利のためだけでなく、利他の ため、人に話して勧めるためでもあるということです。 なお、”信(根、力)””択法””正見”などの修行は、結局以下を実現するためだと思います。

 

それであれば、三十七菩提分法のうち、信根、信力、択法、正見だけが下化衆生ではなく、すべてがそうであるはずで、わざわざ、三十七菩提分法を下化衆生と上求菩提に分ける必要はないのではないですか?

 

 

 >>魚川氏がミャンマーの瞑想センターを訪ねたときのことです。 「瞑想センターの1つで、国際的にも非常に有名な大規模森林僧院を訪ねた時に、とても印象的な経験をした。そこで既に  7年以上も滞在している、古株の日本人僧侶がいるというので挨拶に行ったところ、彼が私に対して開口一番に、『ここで  瞑想しても人格はよくなりませんよ』と言ったのである」 また、正木晃先生も「修行もうまくやらないと、やればやるほど(人格等が)悪くなる人がいます」と話されてます。

 

これは本当にそうだと思います。

上座部仏教に限らず大乗仏教の禅でも、熱心に座禅をした人に人格がかえっておかしくなる人もかなりいるようです。

禅道場をしている禅僧の人が、雑誌のインタビューで『サラリーマンなどの社会人の人はあまり熱心に座禅しない方がいいようです。リクレーションくらいにとどめておくのがいいのではないでしょうか。』というようなことを言っていました。

私にはそれが大きな疑問でした。

何故なんだろう、と思いました。

それもひとつのきっかけになり、すべての仏教知識を白紙にして、歴史上の仏陀は本当は何を言ったのかを探求するようになりました。

 

 

>>大乗仏教運動が生まれたのは、前回述べたように、インドの部派仏教(特に一番勢力があった説一切有部)が僧院にこもり、 煩瑣な議論や他との論戦、自分だけの修行にあけくれ、人を救うことをおろそかにしたことへの反発です。

 

私はもっと根本的なことで、大乗仏教が興ったと思っています。

ただ単に、僧院にこもって煩瑣な議論と他の部派との論戦に明け暮れることへの反発であれば、そういう生き方をせず、原初のように、瞑想に打ち込み、遊説して回るようにすればいいだけです。

わざわざ、第一結集によらない仏典を創作していったというのは、並大抵の動機からではないでしょう。

 

また、大乗仏教の祖とも言われる龍樹は、他(主に説一切有部などの部派)との論戦に明け暮れていましたね。