グレゴリー・ショペンの『大乗仏教興起時代 インドの僧院生活』は非常に面白い本です。
この本の219ページの見出しは『世尊も舎利弗も大迦葉もみな金持ちだった』です。
『アヴァダーナ・シャタカ』には『仏陀世尊は、有名で金持ちで、衣、鉢、寝具、薬、所属品を持ち、しかじかの場所に、弟子衆とともに住しておられた。』とあるようです。
摩訶迦葉も『有名で金持ちで』と書かれており、それは仏陀の死体の供養を完全にやり直したことからも分かるということです。
最初の葬儀のためには、500セットの綿布や火葬のための香木を揃えるために、クシナーラ全村がそれにかかったくらいの出費だったわけですから、それを摩訶迦葉の私有財産で完全にやり直したということは、村全体より多くの財産を持っていたということです。
そして、もっと衝撃的なのは、大乗仏教は、中国では流行っていましたが、インドでは、かなり後世になるまでほとんど認められてなかったということです。
『三世紀の中国では、大乗は聖職者や社会的なエリートたちの間で「最も重要なもの」であり、よい位置を与えられていました。同じ時代に、インドにあっては、それは戦闘的であり、学識のある僧侶や社会的なエリートたちによって嘲笑され侮辱され、せいぜい社会の周辺の存在に過ぎませんでした。』
『インドにおける大乗は、中国での状況とは驚くほど対照的に、5世紀までは制度の上からも公衆にとってはまったく目にもとまらない存在でした。』
と書かれています。
また、アンドレ・バロー教授は法顕の旅行記を詳細に読み返した結果、『極めて稀な例外を除けば、インドには明確に大乗である要素はほとんどないと法顕は記している。』
『もし彼の説明を承認するならば、五世紀初頭のインド仏教徒の信仰対象はほとんどすべて初期経典に説かれている仏陀である。』
『それゆえ、法顕の旅行記全体を通して、われわれには五世紀初頭のインド仏教はもっぱら小乗のみであったと思われる。』
と書いています。